浅草酉の市は、毎年11月の酉の日の深夜0時から深夜24時まで24時間、丸一日 開催される。
様々な種類の縁起熊手を売る露店が山門や境内に ずらりと並び、祭りに付き物の綿菓子や焼きそば、リンゴ飴やチョコバナナ等、飲食物を売る屋台も目白押し。
氷河たちが出掛けていったのは日中だったので、熊手を購入するためではなく 純粋に(?)お祭りを楽しむためにやってきたらしい家族連れも多かった。
幾つもの露店を覗き、あれこれ見比べて、最終的にナターシャが選んだのは、全長80センチほど、重量30キロの巨大な常滑焼きの招き猫。
両耳に赤いリボンがついているのが、ナターシャの気に入ったらしい。
「パパのお店にくる お客さんも大喜びダヨ!」
ナターシャは、自分のセレクトに自信満々、満悦至極の(てい)である。

なぜ そんな物が酉の市の露店にあるのだと、氷河は(ナターシャではなく、露天商に)文句を言いたげだったが、ナターシャが気に入ってしまったのなら仕方がない。
「熊手と違って 招き猫は大きくなくてもいいって言ったのは、氷河でしょう」
と、瞬に たしなめられたにも かかわらず、氷河が それを買うことにしたのは、もちろん ナターシャがそれを気に入ったから。
そして、それとは別に、もう一つの理由があった。
赤いリボンつき巨大招き猫の置き物を、一般的には 大人の社交場であるらしいバーの前に置くのは、さすがの蘭子もためらうだろう――ためらってほしい。ためらうべきだ。
そうなることを、氷河は期待したのである。



その日の夕刻、氷河の期待は めでたく現実のものとなった。
だが、同時に それは、とんでもない厄介事を 彼の元に運んできてくれたのである。

店のオーナーの指示に従って購入したのだから、当然のごとくに 氷河は領収証を添えて、酉の市で購入した巨大招き猫(赤いリボンつき)の置き物を 謹んで蘭子に納品した。
これで蘭子が 己れの馬鹿げた思いつきを、少しは反省してくれるだろうと考えて。
ところが、蘭子は、その巨大招き猫を見るなり、
「やだあ、ほんとに巨大招き猫を買ってくるなんて思わなかったわ。アタシは ただ、氷河ちゃんに、社員の福利厚生の一環として、家族サービスの機会を提供しようとしただけだったのに!」
と 無責任に言い放ってくれたのである。
あげく、
「大人の社交場たるバーに、こんな可愛いネコちゃんは さすがに場違いでしょ。この巨大招き猫は、ナターシャちゃんにプレゼントするわよ。ナターシャちゃん、おうちに持って帰りなさい」
と言って、巨大招き猫をナターシャに(つまりは氷河に)押しつけてきたのだ。

「なに?」
赤いリボンつきの巨大招き猫の置き物をバーに飾ることは、いかに奇抜を好む蘭子でもしないだろう――とは思っていた。
思ってはいたのだが。
そうなった時、重量30キロの巨大招き猫の置き物が どうなるのかということを、氷河は全く考えていなかったのである。

「だから言ったのに……」
蘭子からの思いがけないプレゼントに大喜びのナターシャと、蘭子からの とんでもない現物支給に蒼白になっている氷河を見やり、瞬が呟く。
『なぜ もっと真剣に止めてくれなかったのだ』と瞬を責めるわけにもいかず、氷河は 陶器の巨大招き猫の横で、陶器の巨大招き猫よりも硬く、全身を硬直させることになったのだった。






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