「俺は、ナターシャに 笑っていることを強いるつもりは――」
「うん。わかってるよ」
もちろん、わかっている。
氷河ほど 偽りを嫌う人間はいない。
それが、氷河を“一般的な大人”にしない最大の要因。
嘘をつく大人になれないから、氷河は 自然に 寡黙で不愛想な男になってしまうのだ。
氷河は、子供の頃からそうだった。
もっとも、子供の頃の氷河は、完全に無表情でいることができず、言葉にしなかったことを表情に出して、大人たちに“反抗的な子供”というレッテルを貼られてしまっていたが。

「氷河、城戸邸にいた頃、仲間たちの気持ちも考えず、めそめそ泣いてばかりいる僕に 腹が立ったでしょう」
世の中の父親や母親たちが 時に子育てに失敗することがあるのは、自分が子供だった頃の記憶を 彼等が失ってしまっているからなのかもしれない。
その点、瞬は、幼い頃の記憶が鮮明だった――忘れようにも忘れられないことばかりだった。

「腹が立ったわけではない。驚きはしたが」
「何かというと、すぐ泣いて、兄さんや みんなに 『よしよし、泣くな』って言ってもらってる甘ったれ」
「瞬」
「って、思っていたんでしょう?」
「……」
氷河が、嘘をつきたくない大人の方便を稼働。
表情は変えずに 気まずそうな目をしている氷河を見て、瞬は つい吹き出してしまった。

「本当のことだから、無理して否定しなくてもいいよ」
「だが、おまえは、そんな子供でいることを みんなに許され、愛されていた。嫌われていなかった。驚きだったな。羨ましくもあった。妬ましくもあった」
「そう……」
氷河は、無理に笑うことの つらさと苦しさを身に染みて知っている。
“泣き虫 瞬ちゃん”の存在は、幼い頃の彼には驚異ですらあったのかもしれない。

「おまえが なぜ嫌われていないのかは すぐにわかったが。おまえは 人の優しさに敏感で、人の優しさに感謝することを知っていて――俺を恐がらず、俺を嫌わず、俺に向かって『優しい』と言ってくれた。俺に そんなことを言ってくれたのは、マーマを除けば、おまえが初めてだった」
「氷河は、優しい目をしてたよ。僕が知ってる氷河は、いつも優しい目をしてた」
今も、氷河は そうである。
「不愛想で、笑い方がへたでも?」
氷河は、彼自身を変えない。
大人になっても、どんな経験を経験しても。
その頑固さは、もしかしたら 彼の師譲りなのだろうか。
そう思うと――師弟関係というものも 様々である。

氷河の師は、氷河に、『常にクールに戦え』と 無理難題を強いた。
他でもない彼自身が、そんな戦い方に 最も遠いところにいる聖闘士だったのに。
そして、氷河は、『常にクールに戦え』という師の教えを守ることができず、結局 彼の師と同じタイプの聖闘士に育ってしまったのだ、
氷河が、氷河の師にとって“いい弟子”だったのかどうかは わからないが、氷河は彼の師にとって“愛すべき弟子”“可愛い弟子”ではあったのだろうと思う。

瞬の師は、瞬に、『おまえの戦い方で戦え』と言ってくれた。
瞬は、その教えに従い、自分の戦い方を貫いている。
自分が“いい弟子”だったとは思わないが、師は そんな弟子を許してくれるだろう。

「ナターシャちゃんも、氷河が優しいことを知ってる。氷河がナターシャちゃんを可愛がる気持ちがわかるよ」
「ナターシャは、おまえと同じ才能を持っている。優しさの才能。俺は、そういうのに弱いんだ」
言いながら、氷河が瞬を抱きしめてくる。
優しさでは人後に落ちないが、どうしようもなく不器用な氷河を、瞬は抱きしめ返した。

「俺は、かなり我儘で、その上 周囲が見えない 厄介な子供だったのに、そんな俺に おまえはいつも優しくしてくれた。俺の望みを叶えてくれた」
芯の部分は変わっていないが、大人になった氷河は、子供の頃よりは自分を客観的に見ることができるようになったらしい。
優しいのに、不器用。そして、強引。
瞬が誰からも“許される子供”“嫌われない子供”なら、氷河は彼を愛する者たちに“愛される子供”“甘やかされる子供”だった。

恋人としては、それで何の問題もない。
瞬自身、これまでは氷河を甘やかし、愛してきた。
だが、“ナターシャのパパ”は甘やかされる子供であってはならないだろう。
瞬は、ナターシャのパパには厳しく接することにしたのである。
『おまえは いつも俺の望みを叶えてくれた』と、瞬の耳許に囁きかけてくる氷河の耳許に、瞬は――瞬もまた、唇を寄せていった。

「氷河。氷河は わかってると思うけど」
「ん? 何だ?」
「氷河が どんなに甘い言葉を吐いても、おだてても、僕は あの巨大招き猫を 僕の部屋に引き取るのだけは断固 拒否するって」
「……」

氷河が一瞬、息を止めたのが、瞬には はっきり感じとれた。
瞬を抱きしめていた氷河の手の指先が、僅かに宙を泳ぐ。
そんなことは全く考えていなかったからなのか、あわよくばと思っていたからなのか。
「瞬~っ !! 」
氷河の悲鳴を無視して、瞬は、氷河の背に両腕を絡めていった。






Fin.






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