命をかけた戦いを幾度も経験し、ぎりぎりのところで幾度も死線を乗り越えてきた闘士であるにもかかわらず――であればこそ?――彼等は人生を甘く見ていたのかもしれない。
ナターシャから、星矢たちの許に 再びSОSの打電があったのは、それから 僅か2日後のことだった。

ナターシャは、瞬のスマホを こっそり使う術を身につけたらしい。
スマホのディスプレイには、涙で顔を くしゃくしゃにしたナターシャが映っていた。
「星矢おにいちゃん、紫龍おじちゃん、助けて! パパが……パパが変なの! パパが変になっちゃったの! 目や口やほっぺが 病気みたいに ぴくぴくして、がくがく 引きつって、ナターシャ、あんなパパ、初めて見たヨ。きっと、何かあったんダヨ!」
「へ……?」
星矢と紫龍は、涙声のナターシャの訴えの意味が、すぐには わからなかったのである。
彼等に わかったのは、今回は 氷河が泣いているのではないらしい――ということ。
“パパが泣いていた”事件とは別の、新しい事件が起きたらしい――ということだけだった。

「氷河に何かあった――って、瞬は何て言ってるんだ?」
「パパは練習中だから、もう少し待ってアゲテ……って。きっと上手になるからって。デモ、パパが何を練習してるのかは、教えてくれないの。きっと マーマは、ナターシャにシンパイさせたくないカラ、あんなこと言ってるんダヨ。きっと パパは恐いビョウキなんダヨ!」
半泣きのナターシャに そこまで言われて、星矢と紫龍には やっと事情が飲み込めたのである。
おそらく 氷河は、なるべく ナターシャに笑顔を見せるように瞬に言われ、懸命に“笑う”練習に取り組んでいるのだ。
しかし、ナターシャは、見慣れぬ氷河の笑顔に 恐怖を覚えてしまっている――。


ナターシャは、パパにもマーマにもシンパイをかけたくないので、二人の前では必死に平気な振りを装っているらしい。
ナターシャの涙ながらの訴えを受けて、星矢と紫龍には 氷河の恐いビョウキが感染ってしまったのである。
泣いても笑っても、幼く いたいけな少女をパニックに陥れる正義の味方。
ナターシャのために 氷河が必死に努力していることは わかるのだが、世の中には、努力しない方が 世のため人のためになる人間というものが、確かに存在するようだった。
努力せず、愛想のない仏頂面でいた方が、世の平和に貢献できる人間というものが。

「ナターシャ、すまん! 何か よく わかんないけど、俺が悪かった!」
「エッ」
「氷河は、泣かせようとか 笑わせようとか、そんなことを考えちゃいけない男だったんだ。すまん」
突然 星矢に謝られてしまったナターシャが、スマホのディスプレイの向こうで、びっくりしている。
星矢は、平身低頭でナターシャに詫び、責任をもって 氷河の恐いビョウキを治すことをナターシャに約束した。
ナターシャは、
「ナターシャも 何か よくわからないケド、パパが元のカッコよくて優しいパパに戻ってくれるなら、それでイイヨー」
と、快く(?)星矢を許してくれたのだった。


今、この地上世界は平和なのか、存亡の危機にあるのか。
地上の平和を守るために命をかけて戦うアテナの聖闘士である星矢には(紫龍にも)、それは わからなかったのである。
人の感性は、人それぞれ。
世界が平和なのか、そうではないのか。
正しい答えは どこにもなく、その答えは誰にもわからないものなのかもしれない。
ただ、水瓶座の黄金聖闘士 アクエリアスの氷河が 愛想のない仏頂面でいた方が、世界の平和は保たれるということだけは、今の星矢にも、何か よくわからないなりに確信できたのだった。






Fin.






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