第一次世界大戦の端緒は、サラエボ事件をきっかけとしたオーストリアのセルビアへの宣戦布告。
第二次世界大戦の端緒は、ドイツのポーランド侵攻。
二つの国の間に生じたトラブルにすぎなかった それ等が 世界大戦に拡大したのは、二国の周囲の国々が、ある国は自国の利益のために自発的に、ある国は結ばれていた同盟のために 致し方なく、次々に戦いに関わっていったからである。
参戦の決断を為した時、各々の国は、当事国のどちらに正義があるのかという問題については、ほとんど考えなかったに違いない。

同様のことが、現代日本の東京都練馬区にあるマンションの一室でも起こった。
アフロディーテ VS ナターシャの第二次大戦への瞬の参戦を促したのは、正義の有無や所在地ではなく、ナターシャの嗚咽だった。
氷河に しがみついているナターシャの震える肩を 暫時 見詰め、いつもの微笑を消し去って、瞬がアフロディーテの方に向き直る。
「嫌いと言われたから、自分も相手を嫌いだと思うことで 自分の心を守ろうとするのは、子供じみた振舞いです」
「なに……?」

ナターシャを守るのが氷河の務め。
ナターシャのために戦うのが瞬の務め。
人を傷付けるのは嫌いだが、目の前で 人が傷付けられている様を、ただ手をこまねいて眺めていることはできない。
アテナの聖闘士としても、ナターシャのマーマとしても、氷河を愛する者としても。
アフロディーテは、そんな瞬の攻撃に、意地を張った子供の戦法で反撃してきた。

「私は君も嫌いだ。自分はいつも正しいと信じているような、君の その したり顔が癇に障る。不愉快だ」
言うつもりはなかったのだろう。
アフロディーテが唇を噛んだのが、瞬には わかった。
魚座の黄金聖闘士の その姿を見て、瞬の戦意は あっという間に霧散してしまったのである。
小さな子供(ナターシャ)を 敵から守るために 武器を手にしたのに、敵もまた 小さな子供だった。
そんな錯覚に捉われて。
そして、その錯覚が錯覚でないことに気付いて。

「僕は あなたのことが好きですけど……」
『嫌い』に『嫌い』で対抗することほど、稚拙で愚かな戦法はない。
瞬は歴戦の勇士だった。
実戦の経験なら、アフロディーテなど 比較の対象にもならないほど数多く重ねてきている。
正攻法とは言い難い瞬の攻撃に、アフロディーテは 無鉄砲な子供のように 真正面から切り返してきた。

「卑怯な嘘をつくな。嫌われたことで傷付きたくないから『嫌いだ』と言い返す。許されないことで苦しみたくないから、先手を打って『君を許す』と言う。そんな私を、君が好きなはずがない……!」
「は……?」
アフロディーテが何を言っているのかが、瞬は すぐには わからなかったのである。
いつ 自分がアフロディーテに“許して”もらったのかを、瞬は、思い出そうと意識しなければ思い出せないほどに忘れていた。
少しばかりの時間をかけて、熱海での再会時のアフロディーテとのやりとりを思い出し、再び 戸惑う。

瞬は、アフロディーテの“許し”を、言葉通りの“許し”と解していなかった。
それは、アテナと聖域への反逆者とはいえ 同胞の命を奪ったことを悔やんでいるかもしれない元青銅聖闘士の心を思い遣って言ってくれた“言葉”に過ぎず、アフロディーテが本気で元アンドロメダ座の聖闘士を“許した”のだとは、瞬は思っていなかったのだ。
アフロディーテは アンドロメダ座の聖闘士に倒されたのではないのだから。
アフロディーテを倒したのは アフロディーテ自身の過ちだったのだから。
だから、アフロディーテが 元アンドロメダ座の聖闘士に『許す』と告げたのは、ただの優しさ。
それ以上の意味はない。
アフロディーテの『許す』という言葉を、瞬は そう解していたのである。

であればこそ、アフロディーテの優しさに感謝はしていたが、瞬は 彼のその言葉を あまり重大な発言だと思っていなかった。
だが、アフロディーテは ずっと気にしていたらしい。
自業自得で死んだことを瞬のせいにして、『許す』と告げたことを。
アフロディーテは、自分に死をもたらしたのは 他の誰でもない自分自身だということを認め、自覚し、その上で、瞬への優しさではなく――もしかしたら この世界(現在の世界)で戦う自分の立場を確保するために、あるいは 自身の過去の敗北と過ちを糊塗するために、瞬を『許す』と告げたのだったのかもしれない。
それを 瞬が優しさと解していることに気付き、瞬の誤解に 彼は苛立っていたのかもしれなかった。

瞬は、アフロディーテの言葉を忘れていたことを少し反省し、それから、できれば忘れたままにしておいてほしかったと思ったのである。
元アンドロメダ座の聖闘士に そのまま 誤解させておけば、アフロディーテはアフロディーテ自身の面目を失うこともなく すべてが丸く収まるというのに、あえて 今 その件を蒸し返すのは、彼のプライドの高さゆえなのだろうか。
瞬に“優しい人”と思われていることに、彼のプライドが耐えられなかったのか。
自分に非があったことを認めないために、“優しい人”と誤解されることと、自身の罪を詭弁で糊塗する卑劣な人間と思われること。
どうしても そのどちらかを選ばなければならないのなら、アフロディーテは後者を選ばずにはいられない人間らしい。
アフロディーテは とにかく『ごめんなさい』の一言が言えない人間なのだ。
その一言を言ってしまえば楽になれることが わかっていても。

「わかっているのなら、つらいでしょう。そういう生き方は……自分を 苦しくするばかりですよ」
人に同情されることほど、アフロディーテにとって忌むべきことはないだろう。
それが わかるから、瞬は できる限り冷ややかに聞こえる声で、アフロディーテに忠告した。
しおらしく振舞うことはしたくないらしいアフロディーテが、瞬に刺々しく言い返してくる。
「うるさい。そういう生き方しかできない人間もいるのだ。私は、君たちのように おめでたくできていない!」
「そうですね。僕には、弱音を吐くことを許してくれる仲間がいましたから……。僕は幸運だった」
「そうとも。君は幸運だった。だから、正しい人間でいることができている。自分の弱さも過ちも、呆れるほど容易に認め、受け入れ、正して、償う。汚点一つない清廉潔白居士、完全完璧な正義の士でいられる。それだけのことだ」
アフロディーテにも仲間はいる。
だが、“仲間”にも、色々な仲間があるのだろう。
弱さや甘えを許してくれる仲間と、弱みを見せたくない仲間。
どちらも 大切で価値ある存在ではあるのだろうが。

「ですが、自分の不運や不幸を武器や鎧にして生きることは、あなた自身のために よくありません。そんなもので ナターシャちゃんの心を傷付けることを、僕は許しません」
やわらかな同情より 厳しい批判。
瞬がアフロディーテを非難できるのは、彼が優しさや同情より 批判や非難を望む人間だと思うから。
そして、瞬が もう幼い青銅聖闘士ではないから――大人になったから――だった。
一人の大人として、瞬はナターシャを守らなければならなかったのだ。






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