scars






毎日の天気予報で報告されていた桜前線は、ついに関東に到達した。
暦の上では とうの昔に春になっているのに、時折 思い出したように冬が姿を見せることも、そろそろなくなるだろう。
春本番、初夏の陽気、そして梅雨寒。梅雨が明ければ、いよいよ夏。
気候は めまぐるしく変わっていく。

慌ただしい季節の到来に備えて ナターシャの春夏の洋服を買いに行こうと、瞬は思ったのである。
ただ思っただけでなく、『そうしなければならない』と、ほとんど義務のように固く決意した。
それというのも、月日は着実に過ぎているのに、ナターシャが成長している気がしないから。
ナターシャは、その外見から推し量れる年齢の少女にしては 成長が遅い――ような気がする。
杞憂ならいいのだが、杞憂ではなかった時のために――何を置いても絶対に新しい服を買いにいかなければならないと、瞬は考えたのである。

成長が遅いといっても、ナターシャは決して成長していないわけではない。
ナターシャの身体は基本的に子供の身体でできており、当然、その細胞は若い。
フィリップスことパラケルススは、『ナターシャの精神は 意識が体の各部位と混じり合って 一つの人格を形成しており、その肉体も 体と魂がアルケウスで固く結びついている』と言っていた(と、吉乃から聞いた)。
ナターシャは一つの人格を持つ、一個の人間。
それは間違いない。
だが、ナターシャの命は 自然が生んだものではなく、ナターシャの人格も 自然に育まれたものではない。
何もかもが普通の子供と同じ――というわけにはいかないだろう。
それは瞬も覚悟していた。
覚悟はしていたのだが。

成長が遅いだけならいい。
瞬が恐れるのは、ナターシャがいつまでも子供の姿でいることだった。
知識だけが増え、心だけが大人になること。
万一 そんな事態が現出してしまったら、その心身のアンバランスは ナターシャを苦しめることになるだろう。
そうなることを、瞬は恐れていたのだ。
全く成長していないわけではないように見えるので、希望はあると思うのだが、不安は拭い去れない。

瞬の勤める病院にやってくる子供の両親たちは、我が子が言葉を話し始めない、一人で歩けるようにならない、じっとしていられない、反抗期がこない等々、些細なことで不安がり、我が子の成長発達が他の子供より遅いのではないかと騒ぎ立てるが、瞬に言わせれば、それらの事柄は全く心配に値しないものだった。
子供には――人間には、個体差があるものなのだ。
子供が言葉を話し出す平均の時期が11ヶ月から12か月目だからといって、すべての子供が満1歳になった途端、一斉に言葉を話し始めるはずがないではないか。
子供が賢すぎ、聡明すぎるようだったら、その時 初めて、子供の親たちは 我が子の発達について心配し始めるべきだ――というのが、最近の瞬の考えだった。
心と脳だけが発達することほど恐ろしいことはない――というのが。

以前は、ナターシャが欲しがる服を 次から次へと買い与える氷河に渋面を作っていたのだが、瞬は最近は、その件に関して 氷河に意見することはなくなっていた。
ナターシャは幼い子供である。
そして、子供は成長するもの。
子供の服は、すぐにサイズが合わなくなって、着ることができなくなるものなのだ。
他の子供と同じ頻度で――むしろ、それ以上の頻度で――瞬は ナターシャに新しい服を買い与えてやりたかった。

次の休日に皆で ナターシャの春と夏用の服を買いに行こうという計画は、ナターシャにも氷河にも大いに歓迎され、喜ばれた。
ナターシャは、洋服を見るのも、選ぶのも、着るのも大好き。
だが、ナターシャの家では、氷河と瞬の休日が重なった時でないと、ナターシャの洋服を買ってはならないことになっていた――いつのまにか、そんなルールができていた。
その機会は毎週必ず巡ってくるわけではないので、ナターシャはいつも“お洋服の日”を心待ちにしていたのである。






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