「あれ? 氷河……?」
アテナ神殿のアテナの玉座の間。
突然 そこに現れた俺(と瞬たち)に驚いたらしい星矢が、驚いている割りに のんびりした声で 俺の名を呼ぶ。
「アテナ! これは どういうことだ!」
その場にいた星矢と紫龍に『ただいま』も言わず、俺はアテナに噛みついていった。

『やはり、人間業ではなかったわね』
アンドロメダ島に登場した時のアテナの言葉(正確には思考)。
俺が気付かずにいると思ったら大間違いだ。
アンドロメダ島にある怪しい気配、人間業ではない気配を、俺は、邪神たちが何事かを企んでいるのだと思って、あの島に渡ったんだぞ。
実際 その通りではあったんだが、アテナの目的は邪神の企みの内容を探ることじゃなかったんだ、おそらく。
アテナは、そこに彼女の聖闘士になり得る人材がいることを察していた――おそらく。
『人間業じゃない』というのは、『邪神の仕業だ』という意味ではなく、『普通の人間業じゃない』つまり『聖闘士の為せるわざ』という意味だったんだ。
最初から そう知らせてくれていれば、俺は無駄な悩みを悩むことなく、別の対処法を採ることができていたのに!

「どういうこと……って、こういうことよ?」
アテナは、肝心の情報を俺に手渡していなかったことに、全く罪悪感を抱いていないらしい。
申し訳ないと思うことはおろか、ほんの少しの反省もしていないようだった。

「『あなたたちは私の聖闘士になるべき人間だと思うから、聖域に来て、聖闘士になるための修行をしなさい』と言ったって、ギリシャの神々に不信感でいっぱいの この二人が、素直に私の許に来てくれるとは思えなかったし、もし二人が その気になっても、二人の身近には その邪魔をしようとする者の気配があったから」
アテナが その視線を ちらりとパンドラの上に投じる。
その視線に 他意はないようだった。今はもう。
パンドラも無言無反応である。

「いくら私でも、そうなることを望んでいない人間を、その意思に反して 私の聖闘士にすることはできないわ。私が あなたたちを ここに運ぶことができたのは、あなたたちが そうなることを望んだからよ。タナトスたちの思う通りにさせられてなるものかと、あなたたちが思ってくれたから、私は こうして、すんなり あなたたちを聖域に運ぶことができたの。あなたたちは、氷河を含めて全員が、素直に私の力に従うタマじゃないから」
ああ、確かに、瞬も一輝もパンドラも、アテナの意思に抵抗するだけの力を持つ人間だ。
一輝たちの気持ちを変えるには、一度 タナトスに無体を働かせる必要があったのかもしれない。
百歩譲って、その理屈は認めるとして、アンドロメダ島に俺を派遣する意味はあったのか?

ああ、アテナは それでいいだろう。
アテナは、一輝たちの意思を変え、自分の力の強大さを一輝たちに示すこともできた。
だが、俺は?
俺はアテナの引き立て役か?
俺自身の力では瞬を守り切ることができず、あまつさえ、瞬に庇われるなんて無様を 瞬の前に さらすことになったんだぞ!

怒り心頭に発して、俺がアテナに そこのところを問い詰めようとした時。
「ふうん。この子が 氷河好みの清純派美少女かぁ。アテナも世話好きだな。わざわざ、氷河に、先に唾をつけるチャンスを作ってやるなんて」
という星矢の呟きが、俺の反抗心を萎えさせた。
「氷河が ほどよく力不足だったから、彼女も 自分の力に目覚めることができたわけですね。さすがはアテナ。見事な適材適所だ」
心得顔で言う紫龍は、瞬の性別を見誤っている。
どちらにしても、俺は、自分がアテナに文句を言える立場にないことを、それで思い知ることになったんだ。

「ええ。私は 常に私の聖闘士の幸福を願う、慈愛の神だから」
自分で言うな、自分で!
俺は、アテナの自画自賛が忌々しくてならなかったんだが、瞬は素直に――なにしろ、地上で最も清らかな心の持ち主だから――アテナの差配に感動し、感謝まですることになってしまったようだった。
瞬は、自分がアテナの聖闘士(になるべき人間)だということも、すんなり受け入れてしまったらしい。
アテナの強大な小宇宙に触れてしまったら、それは仕方のない――自然なことなのかもしれなかった。

「僕は、あの黒い雲が氷河に ひどいことしようとしているのがわかったから、やめてって思っただけだったんだけど……」
瞬が、澄んだ瞳で俺を見詰めてくる。
本音を言えば、俺は 瞬に あまりに自覚がないことが恐かった。
あれだけの力を持っているのに――瞬は、あれほどの小宇宙を無自覚に生んでいるというのか。
「氷河が無事でよかった……」

おそらく瞬は聖闘士だから――小宇宙を感じ取ることのできる聖闘士だから――俺の気持ちも感じ取れてしまうんだろう。
そして、聖闘士になることを受け入れて この聖域にいれば、俺たちが いつまでも離れずにいられることも承知しているようだった。
涙で潤んだ瞬の瞳は、俺の思いに応えるように熱っぽく、嬉しそうで――。
それは嬉しい。
それは、本当に死ぬほど嬉しいんだが。

「氷河が僕を守ろうとしてくれているのがわかったの。絶対にハーデスには渡さないって……」
瞬が何か言うたび、一輝とパンドラが殺気立ち、こめかみが引きつり、唇の端が歪んでいくのが(聖闘士の動体視力を用いるまでもなく、容易に)見てとれる。
野に咲く白い花のように 可憐で素直で清らかな心を持った瞬。
どう考えても 俺以上に強大な力を持ち、同様に強大な力を持つ小姑が二人もついている瞬。
俺は この先、瞬と二人、自分の命と恋を全うできるんだろうか。






Fin.






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