僕が目覚めたのは、僕の部屋。
壁や家具は、デフォルト色のアイボリー一色。
余計なものが何一つない部屋。
寝台とダイニングテーブルを兼ねた勉強机と椅子、多少の衣類が入っているチェスト。
先日、空調設備が最新のものに変わったので、僕が何らかの音を作らない限り、室内は無音だ。

これを“整然とした部屋”と評するか “殺風景な部屋”と評するかは、人それぞれの価値観によるだろう。
僕は、望めば家具も洋服も、好きなものを好きなだけ提供されることになっているし、部屋の装飾も好きにしていいことになっているんだけど。
生産的なことも 誰かの役に立つようなことも――世界や社会のために まだ何一つできていない子供の身で そんなことをするのは気がひけるから、今の僕にはこれくらいがちょうどいいんだと思う。
アンドロメダ島にいる僕に比べれば、僕の今のこの境遇は 途轍もなく恵まれた環境だ。
この世界の僕は、誰も傷付けずに済むんだから。

アンドロメダ島の僕は、あれでアンドロメダの聖衣を手に入れることができたんだろうか。
僕が こうしていつも通りに目覚めたということは、アンドロメダ島の僕が生きているということだと思うけど。

そんなふうなことを考えて――目覚めた僕が最初にしたことは 溜め息を一つ洩らすこと。
そして、つい周囲を見回す。
僕の部屋――僕以外には誰もいない部屋。
誰かがいたとしても――異変感知器が 僕の感情の変化や緊張を感知したとしても――僕の夢を僕以外の誰かに見られるはずはないのに、僕は それを恐れていた。

僕は、どうしてあんなふうな荒唐無稽な夢を見るんだろう。
女神アテナだの、その聖闘士だの、小宇宙だの――そんなものが現実にあるはずがないのに。
その上、僕が見る夢の世界で、僕は 孤児なんだ。
孤児。両親のいない子供のことを、僕が見ている夢の世界では孤児、みなしごと呼ぶ。
頼る者のいない、たった一人の――孤独な子供。
親のいない子供は ひとりぽっちになるなんて、本当に不思議な世界だ。

僕が見ている夢の世界は、ひどく原始的で、それでいて とても精神的な世界のように思える。
子供には それぞれに保護者たる親がいるのが普通で、親のいない子供は孤独なものと見なされる。
そこには“社会”という概念が欠如していて――ううん。欠如しているわけではないんだけど、僕が見ている夢の世界の“社会”は、人に優しくないんだ。
人が人を助けない世界――社会。
あんな世界で生きている すべての人に、僕は心から同情する。
その世界は、僕が夢に見ているだけの、実在しない世界なんだけどね。

自分の生きている世界が平和で平凡で――だから 僕は何か刺激を求めて、それで あんな夢を見るんだろうか。
昔、赤ん坊の頃、あんな小説でも読み聞かされたことがあったんだろうか。
だとしたら、とても古典的なフィクションだ。SF、かな。
僕が あんな夢を見てるなんて――物心ついた時からずっと、眠るたびに同じ世界の夢を見て、その世界で時間が過ぎ、僕自身も成長し、SFめいたストーリーが進んでいくなんて、そんなこと、絶対に誰にも言えない。
そんなことが人に知れたら、僕は社会不適合者として処分を受けかねない。僕が生きている、この社会に。
それは心配のしすぎかな。
夢想家というのも、社会には必要なものなのかな?
あんな夢を見ていることが“社会”に知れて、それで処分されることはなかったとしても――でも、眠るたびに あんな夢を見ているなんて、“大人”たちに知れたら、僕はきっと今の評価を失う。

知能、体力、身体能力、人格、精神の安定、対人能力――中立性、公平性。
僕は、すべてが最高にして最上ランクの子供らしい。
どの分野に進んでも、成功と栄達が約束されている。
この世界の支配者層に属し、国家機密に接することのできる地位に就くことも可能だと、僕の育成を担当している社会養育官は興奮気味に言う。
『こんなふうに興奮してしまうから、私は子供たちの養育官をしているんだ』と、自嘲しながら。

自分の手柄でもないのに――たまたま僕が彼の担当地区に生まれただけのことなのに――それを得意がるような人間は支配者層には入れない――んだそうだ。
でも、養育官には そういう感情や軽快な性質も必要なんだとか。
でないと、彼に養育される子供たちが、優しさや他人の気持ちを理解できない無感動で無感情な子供になってしまうから。
自分と他人の感情を理解することは大事。
そして、その感情を完全に制御できることは、もっと大事。
支配者層に属する人間には、そういう資質が必要――なのだそうだ。

僕が生きている現実の世界では、子供は実父実母に育てられない。
その両親が子供を育てることの適性を欠いていたら、そんな親に育てられる子供たちが不幸になるだろうから、それは当然のことだ。
僕も、自分を生んでくれた実の両親を知らない。
名前も顔も、生きているのかどうかさえ。
この世界の子供は、みんなそうだ。

でも、僕が見ている夢の世界は、親がいない子供たちは、親がいないことで虐げられる世界――野蛮な世界。
特定の親に育てられるなんて、そんな子供は、どんな育てられ方をしたって、偏った価値観を持った人間に育つに決まっている。
人間なのに、まるで獣や鳥のような――いつの時代のどこの星の原始民族かと思う。
社会が社会として機能していない。
偏見のない完全な人間を育てようという思想と気概がない社会――理想のない社会だ。

そんなだから――僕が夢に見ている世界は 平和じゃない。
世界中の至るところで、人は毎日、大なり小なり争いに接し、争いの中にいる。
時に、世界中の ほとんどの国が関わる世界規模の戦争が起こったりもする。


あんな夢の中の世界と違って、僕が生きている現実の世界に 争いはない。
戦争なんて、それこそ 創作物の中にしか存在しない。
すべての人間の遺伝子を調べて 個々人に適した役割が与えられるから、人の心に 我慢できないほどの不満が生じないというのが大きいのかな。
個性を否定したら、世界が変化発展することもないから、人と人の差別や区別は存在し 貧富の差もあるけど、両親の地位や職業が 子供の価値を決めることもない。
個々人の才能と適性と努力が、その人間の価値と評価を決める。

僕は、幸い、健康で、体力や運動能力に恵まれ、知能も高く、危険な病気を発症する可能性もない。
種々の才能や適性に恵まれていて、為政者にも科学者にもなれるし、芸術の分野に進んだり、宇宙に出ていくような仕事に就くこともできるらしい。
各種組織や機関の末端で単純労働に従事することは許されないけど、それは仕方がない。
社会に育てられた人間が、その社会に、自分にできる最大の貢献を為すのは、当然の義務だろう。

僕は広範囲に渡って 高レベルの才能適性が備わっているというので、平均的な子供の何倍もの教師をつけられ、最高レベルの教育を受けることができた。
「瞬。君は どんな道でも選べる。何にでもなれる。幾種もの稀有な才能に恵まれ、しかも美貌。君は 人間としての精神のバランスもとれている。12神になることすら、夢ではない」
まるで夢見るように そう言っていた僕の担当の養育官が、最近では、真顔で そう言うようになっていた。
12神――この世界を統べる12人の指導者の一人になることができると。
僕が夢で見ている世界では、世界が200前後の国に分かれていて、それぞれに 有能無能の統治者がいる。
政治体制も、民主主義体制、権威主義体制、全体主義体制と様々で、だから国同士での争いも頻発している。

でも、僕が生きている現実の世界では、国というものはなく、世界は一つ。
才能と適性を総合的に考慮し判断して選ばれた12神と呼ばれる12人の人間が 世界を統治している。
夢の世界風に言うなら、寡頭制。
12神が誰なのかは 公に知らされてなくて、姿はもちろん 名前も公表されていない。
指導者の数が12なのは、それ以上 増えると、いかに選りすぐりの12神でも 統一した一つの決定に至れないからなのだそうだ。

12神は、コンピュータと選抜者たちによって、聡明で穏和で 愛他精神の豊かな人間が選ばれるらしいんだけど、その中に天才というのは いないんだとか。
先鋭的で突出している人間は、愚者より先に 12神候補から排除されるらしい。
そんな人間には、力を与えられないから、
優れた才能があっても、尖りすぎていると、その人間は 争いの元を作り、社会を乱しかねない。
僕が生きている この世界は、何よりも“平和”が尊ばれているんだ。

「穏和な性格というのは、素晴らしい才能だ。他者に対して敵意を抱かず、攻撃性も持たない。私利私欲もなく、清らかで他者への思い遣りに満ち、世界の平和と 人々の幸福を第一と考える。そういう人間が、12神に選ばれるんだ。君は、その可能性が非常に高いと思う」
夢の世界的に言うなら、我が子の立身出世を喜ぶ親のように嬉しそうに、養育官は言う。
「こんなことを言うと、虚栄心や自尊心を肥大させて よろしくないのだが、人にどれだけ称賛されても思い上がって高慢にならないことが、12神に選ばれる重大な要件なんだ」
とは、夢の世界の親たちは言わないかな。

夢の世界の僕が 聖闘士になるためにサクリファイスに挑んだ頃から、僕は一ヶ月に1本、様々なテーマの論文の提出を求められるようになり、それは高い評価を受けたらしい。
誰が評価しているのかは 知らないけど――その“高い評価”というのは、“斬新”とか“画期的”という意味ではなくて、中立性、公平性、道徳心に富んだ視点に立った考え方をしているという意味だ。

夢の世界では、アテナの命を奪おうとする聖域からの刺客が 次々に送り込まれてきて、僕は戦いに倦んでいた。
人と戦わずに済む世界、人を傷付けずに済む世界が、いかに価値ある世界なのかということを、ひしひしと(夢の中で)感じるようになっていた頃、僕の許に思いがけない指示がきた。

1年後に 12神の中の1人が務めを退くことになって、その選抜が始まった。
僕が次の12神候補に選ばれたから、選抜用の施設に出頭するように。
その指示は、僕の携帯機器に、その日の天気予報を知らせるメールと同じように何気なく 届けられた。
12神選抜の施設は 極秘の場所にあり、2日後に移動用の個人ポッドが迎えに行くので、何も訊かずに それに乗るようにと、それだけ。

その指示に服従しないことは許されない――ということを、僕は知っていた。
“指示”が示した通りにやってきた 一人乗りの移動ポッドに乗り込むなり、僕は眠りに落ちた。
もちろん、人為的に眠らされたんだ。






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