謎解き名探偵志望のナターシャの許に、極秘の謎解きの依頼を持ち込んだのはシュラだった。
シュラは依頼したつもりはなかったかもしれないが、結果的に そうなってしまったのである。
時は、春の大型連休の最終日。
所は、浅草雷門からスカイツリーまで徒歩15分の大通りから1本ずれた通りに 臨時で作られた屋台村。――だった。

平日でも観光客でごった返す浅草の大型連休。
朝の通勤ラッシュ時の満員電車内さながらに密集密着した観光客で 5メートル進むのに1分かかるような仲見世通りの混雑を、少しでも緩和・分散させるために、浅草の観光連盟は大型連休限定で脇道に屋台村を設ける企画を立てた。
お祭り好きの蘭子が その企画に乗り、焼きそばを提供する屋台を出すと言い出したのである。

営業は、当然 日中。
氷河は、屋台のために店の仕事をおろそかにするわけにはいかないと主張し(本音は、初夏の陽気の中、熱い鉄板相手に格闘したくないから)、その屋台にはシュラだけが駆り出されることになった。
が、シュラが一人で屋台を切り盛りするには、大きな問題が一つ。致命的な支障が一つ。
既に下ごしらえ済みの野菜と肉と麺と調味料を鉄板の上で焼き炒めるだけなら、シュラにもできるだろうが、彼は、客商売をするには あまりに愛想がなさすぎる男だったのだ。

とはいえ、せっかく場所代を払ってまで屋台を出すのなら、大きく儲けたい。
そう考えた蘭子は、シュラとは別に、主に接客を受け持つ売り子を一人 雇うことにしたのである。
可能なら瞬を雇いたいところだったろうが、瞬には瞬の仕事があり、その仕事は副業が許されない仕事。
そこで、蘭子が白羽の矢を立てたのがナターシャだった。

「お店には可愛い看板娘が必要なのよ」
ナターシャなら、その愛嬌で シュラの愛想の無さを十分に補うことができ、氷河と瞬は その間 シュラにナターシャを預かってもらえるので一石二鳥。
バイト代は、金魚の模様の浴衣を一着。
当のナターシャが、
「パパとマーマの名にかけて、ナターシャは可愛い看板娘になるヨ!」
と大喜びで 蘭子の求めに応じてしまったので、瞬と氷河も強く反対ができず、あれよあれよと言うまに、ナターシャの春の大型連休限定のバイトが決まってしまったのだった。

朝から夕方まで ナターシャはシュラの屋台の看板娘を務め、瞬が日勤の時は仕事を終えてから瞬が、夜勤の時は蘭子が迎えにいく。
どんなに遅くなっても、夜7時にはナターシャは撤退。
――という約束のバイトを、ナターシャは華麗に勤め上げた(といっても、ナターシャは、険のあるシュラの目付きに怯える客に、『焼きそば、おいしいヨー!』と言うだけだったが)。
前払いのバイト代の浴衣は 大いにナターシャの気に入り、しかも、途切れることなく やってくる客は 浴衣姿のナターシャに『可愛い』を連発。
特に外国からの観光客たちからは、幾度も 一緒に写真に写ってくれと乞われ、ナターシャは ご機嫌だった。

そんな楽しい初バイトの最終日に、ナターシャは、シュラから 一つの謎解きの依頼されたのである。
シュラがナターシャに解明を依頼してきた謎の内容は、なかなか本格的なものだった。
名探偵ナターシャにとって、挑むに不足ない難しい謎。
シュラは、『得体の知れない謎の老人の正体を探り出してほしい』と、ナターシャに依頼してきたのだ。

連休限定の屋台村は、フードコート形式。
屋台で買った飲食物を ゆっくり食べられるように、屋台村の各所にテーブルと椅子が用意されているのだが、謎の老人は そのテーブルに着いて、(別の屋台で購入した)ビールを一口も飲まずに、ぼんやりと周囲を眺めている。
それだけならシュラも、『暇を持て余した老人が 暇つぶしにやってきているのだろう』と考え、気に留めなかっただろうが、実は その老人は 以前――1ヶ月ほど前に 一度だけ氷河のバーに来たことがある客だったのだ。
それ以後も、シュラは氷河の店の周辺で幾度も その老人の姿を見掛けていた。
老人は姿を隠しているつもりのようだったが、聖闘士の目はごまかせない。

「あんなに髪が真っ白で、どう見ても80は超えている――へたをすると90も超えているかもしれない ご老体だ。ひょろひょろに痩せてて 身体を鍛えているようにも見えないんだが、あの爺さん、やたらと機敏なんだ。爺さんがいるのに気付いて、俺が目を向けると、さっと物陰に隠れる。聖闘士でなければ気付かない――とまでは言わないが、呑気な奴なら まず気付かない。あんな年寄りの コソ泥がいるとも思えんが、そうとでも考えなければ説明がつかないほど、素早く身を隠すんだ」
と、シュラは言った。
「その爺さんが、俺が この屋台を始めてから毎日 ここにやってきて、今度は隠れる様子もなく ああして、買ったビールも飲まずに ぼーっとしている。今日も朝10時くらいにやってきて、もう2時間近く、あそこを動かずにいる。おかしいだろう」
と。

ナターシャは『キビン』の意味がわからなかったのだが、謎の老人が 隠れんぼの名人だということは わかった。
隠れんぼの上手い謎の老人。その正体を探る。
これほど名探偵に ふさわしい謎があるだろうか。
シュラが持ち出してきた謎に、ナターシャの心は踊った。
実際のところ、ナターシャは、名探偵に ふさわしい謎というものがどんなものなのか、わかっていなかったのだが、瞬が投げ掛けてくる謎のように、すぐに答えがわからないという、その一点において、それはナターシャにとって 素晴らしい謎だったのだ。
そして、それが すぐに答えがわからない難しい謎だったから、ナターシャは、俄然 やる気になったのである。

「パパとマーマの名にかけて! ナターシャは、あのおじいちゃんの正体を探り出すヨ!」
「頼んだぞ、ナターシャ。無邪気な子供に訊かれたら、謎の男も油断して、ぽろっとの本当のことを言ってしまうかもしれないからな」
シュラがナターシャに謎解きを依頼した理由は、それ―― ナターシャが名探偵志望だからではなく、ナターシャが無邪気な子供だから――だったのだが、ナターシャには その依頼理由は受け入れ難いものだった。
なにしろ ナターシャは、ただの探偵志願ではなく、名探偵志願なのだ。

「ナターシャは 無邪気な子供じゃなくて、お利口な いい子ダヨ。パパとマーマが いつもそう言ってるヨ」
「ん? ああ、利口な いい子になら、あの爺さんも 隠さずに正体を教えてくれるかもしれないからな」
ちゃんと言い直したシュラに満足して、ナターシャは 早速 謎の老人がぼうっと腰掛けているテーブルに向かって、無邪気に駆け出した。
屋台村のある脇道を、浅草寺雷門からスカイツリーに向かう人の波、あるいはスカイツリーから雷門に向かう人の波。
二つの人の波を ぼんやりと眺めている(ように見える)老人の正面にまわり、そこにある縁台に 膝をついて よじ登る。
そうしてから ナターシャは、謎の老人が口をつけずにテーブルの上に放置しているビールのコップを指差して、
「おじいちゃん。それ、おいしくない? どうして飲まないノ?」
と尋ねた。






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