葦舟の記






生まれたばかりの子供が捨てられるのは珍しいことではなかった。
長雨や日照りや旱魃等、悪天候のために穀物や果樹の実りが少なかった年には、特に。
穀物や果樹の実りが少ないと、飢えるのは人間だけではなく、鳥獣の数も減る。
それは人間の飢餓を更に厳しいものにするのだ。
広い国の中には貧しい村も多く、生まれたばかりの赤ん坊を捨てるのは、今 生きている人間が生き続けるためには やむを得ないことなのである。

我が子を捨てる時、その親たちは、葦で編んだ小舟に赤ん坊を乗せ、川に流す。
それが、この国の慣習になっていた。
この世界にある川は すべて海に注ぎ、海に注いだ流れは再び川となり、最後に冥界の忘却の川――レテ川に続いていると考えられていたから。
捨てられた子供が獣に襲われたり、長い間 孤独や風雨にさらされることなく、速やかに冥界に辿り着くことを願って、子を育てられぬ親たちは我が子を川に流すのだ。
憎んで捨てるわけではないと、我が子と神に訴えるために。

だが、その年は実りの多い年だった。
前年も前々年も気候がよく 豊作が続いていたので、どれほど小さく 豊かとはいえない村でも 食料の蓄えは豊富だった。
食糧事情が許されるなら、どの村でも 子供は――たとえ親のない子でも――育てたい。
子供は、村の将来の働き手なのだ。
子供のない村には発展が望めない。
だから、その年、村を流れる川に葦舟が姿を見せることは ほとんどなかった。
もしかしたら、氷河が見付けた、その一つだけだったかもしれない。

子供を捨てる時、子の親たちは、豊作の年に もう一度 自分たちの許に生まれ変わってくることを願って、両親の名を記した札を葦舟に乗せる。
その札がない捨て子は、生まれ変わってくることを望まれていない子、生まれてきてはならなかった子、父母に愛されていない子と みなされた。
罪人の子、不義の子、成人が望めないような病を患っている子、あるいは、災いをもたらすという不吉な神託が下った子。
もちろん 例外はあるだろうが、そういう子供と見なされることが多かったのである。

氷河が その葦舟を見付けた時、氷河は4歳になったばかりだった。
氷河の母は、毛織物や麻布の染色で生計を立てていて、その日は布を青く染めるハマタイセイの葉の採集のために野に出ていた。
母と共に野に出た氷河は、川に入らないという約束で、川岸でヨモギやフキを摘んでいたのである。
氷河は 母との約束を破り、川に入ってその葦舟を手に入れたわけではなかった。
そうではなく――葦舟の方から、氷河の立つ岸辺に寄ってきたのだ。

氷河が生まれてから ずっと豊作の年が続いていて、それは氷河が生まれて初めて見る葦舟だった。
そもそも氷河はそれまで 子供を捨てる親がいるという話を聞いたことがなかった――そんな話を好んで我が子に語る親はいない。
当然、氷河は、実りの多い年に捨てられる子供は“わけあり”の子であることが多いのだということも知らなかった。
だから 氷河は、どんな先入観も偏見もなく、自分の許に近付いてきた葦舟を岸に引き上げ、その中を覗き込んだのである。

小さな葦舟の中には、とても美しい赤ん坊がいて、氷河に笑いかけてきた。
村で、幾人もの赤ん坊を見たことはあったが、これほど美しく可愛らしい赤ん坊は見たことがない。
氷河が見たことのある 生後まもない赤ん坊は、どの子も しわくちゃの 真っ赤な顔をしていた。
氷河は いつも、そんな赤ん坊を見て、嬉しそうに『可愛い』と言う大人たちの気が知れないと思っていたのである。
だが、氷河が見付けた葦舟の中にいた赤ん坊は、世辞を知らない正直な子供の目で見ても、文句なく『愛らしい』と思える様子をしていた。

白い肌。
淡い色の髪。
光の加減で、澄んだ緑色の宝石に見える瞳。
ヨモギや山菜でいっぱいになっていた籠を その場に放って、氷河は その葦舟を両手で抱え、母の許に急いだのである。
こんなに可愛らしい赤ん坊を見付けたと母に知らせたら、母は籠いっぱいのヨモギを見るより喜んで、自分を褒めてくれるだろう。
そう考えて、氷河は大得意だった。
氷河の拾ってきたものを見た母の反応は、微妙に――かなり、氷河の予想とは違うものだったが。

氷河の母は、
「葦舟? まさか」
と驚き、
「まあ、どうしましょう」
と困惑し、結局、村の様々なことを取り仕切っている村長(むらおさ)の考えを聞きにいかなければならないと言い出したのだ。
てっきり、素敵なものを見付けてきたと褒められ、赤ん坊は自分の家で育てることになるだろうと思っていた氷河は、少なからず がっかりした。
村長の家に向かう道すがら、母が幾度も、
「それにしても綺麗な赤ちゃん」
と繰り返すのを聞いて、希望はありそうだとも思ったが。






【next】