14年前、新王の母である前王妃が、新王の弟に当たる第二王子を産んだ時、その赤ん坊が冥府の王に愛される男子だという神託を受けたこと。 王子が冥府の王に愛されるということは 国が死に瀕することだと解した父王が、自国と自国の民を守るために、授かったばかりの第二王子を葦舟に乗せて川に流したこと。 国のために 我が子を奪われた王妃は、それでなくても 産後の肥立ちが悪かったところに悲しみと喪失感が重なり、我が子を求めるように冥界に旅立ってしまったこと。 瞬は、その王妃が清らかな少女だった頃の姿に生き写し。 光の加減で 澄んだ緑色の宝石に見える瞬の瞳は、王妃から受け継がれたもの。 父王とて、国のためにしたこと。 その父王が生きている間は、兄王は 大っぴらに弟を探すことはできなかった。 新王が、即位して すぐさま弟探しを始めたのは、 『あの子が生きていたら……。誰か心優しい人が、あの子の葦舟を拾って、あの子を育ててくれてはいないかしら……』 という、母である前王妃の最期の言葉ゆえ。 早く務めを果たしたいと考えているのか、あるいは、一応 病人の身を気遣っているのか、王の使いは 余計なことは ほとんど語らず、手短に事実だけを語った。 そして、最後に、 「瞬様。どうぞ、お城にいらしてください。兄上様が お待ちです」 と、彼の来訪の目的を口にする。 「あ……」 瞬が すぐには どんな反応を示すこともできなかったのは、何よりもまず 驚きのためだった。 瞬は これまで、自分の実の両親のことを考えたことすらなかった。 兄弟がいるかもしれないなどということも 考えたことはなかった。 それが この国の前王と前王妃と新王だと言われても、にわかには信じ難い――信じられない。 王の使いの話は聞こえているはずなのに、氷河は 王の使いを睨んだまま、何も言ってくれない。 『実の肉親の許に行け』とも『行くな』とも言ってくれない。 王の使いの話を、氷河がどう考えているのか――よいことと思っているのか、不快に感じているのか、そもそも信じているのかどうかさえ わからない。 もしかしたら マーマを失うことになるかもしれないという恐怖、心細さ。 『ここにいろ』とも『行くな』とも言ってくれない氷河。 一度に色々なことを知らされ、一度に色々なことが起こりすぎて――瞬は いつなく激してしまったのである。 乱れている心を、瞬は、思ってもいなかった話を 自分の許に運んできた王の使いに ぶつけてしまった。 「あなたは、見てわからないの! 僕を育ててくれたマーマが、重い病で苦しんでいるの! 王妃様だの 王様だの、そんな人たち、僕は知らない。僕に何をさせたいの。僕をどうしたいの。僕が今 欲しいのは、僕と氷河のマーマの病気を治す薬とお医者様だよ。こんなに苦しんでいる人の枕元で、あなたは なぜ、そんな どうでもいいことを話していられるの! 僕は 国に死をもたらすかもしれないという神託を受けて 捨てられた不吉な子供。それは わかったから、もう帰ってください!」 涙ながらの瞬の訴えを聞いても、王の使いは 動じた様子を見せなかった。 否、もしかしたら 動じていたのかもしれない。 彼が、つらそうに その眉根を寄せたところを見ると。 「実の母君の嘆きと死を知らされて、その お言葉は……。それでは、あまりに亡き王妃様が お気の毒でしょう」 「あ……」 瞬とて嘆きたかったのだ。 もちろん 嘆きたかった。 時が時でなかったから。 だが、今は、時が時で、場合が場合だったのである。 言葉と声を失った瞬に、王の使いは 大きく吐息して、やはり冷静としか言いようのない声音で告げた。 「瞬様の恩人でもある方。瞬様の第二のお母上。その方の ご様子を拝見したから、私は 瞬様が この村で育つことになった事情を、無作法を承知で このように性急に 瞬様にお知らせ申し上げたのです。兄王様は、亡き王妃様のためにも、失われた14年の空白を埋めることを お望みです。今すぐ、兄王様の許に行き、第二の母君のために 最高の医師と治療を お望みください。兄王様は 瞬様の願いを きっと叶えてくださいます」 「え……」 だから、あえて 病人の枕元で、彼は“そんなこと”を語ったのだったらしい。 確かに、それは魅惑的な、心揺さぶられる提案だった。 冥府の王に愛される運命。 その神託が事実なのであれば、自分はマーマの側にいない方がいいのかもしれない――という思いが、瞬の中に生まれてくる。 「王様は、マーマを助けてくれるかしら……」 「兄王様は、瞬様のため、瞬様の もう一人のお母上様のために、最善のことをしてくださるでしょう。お急ぎください」 「……」 迷っている時間は、瞬にはなかった。 「王様が マーマを助けてくれる……」 瞬が そう呟いた時――その呟きを聞くと、それまで 世界中のあらゆることに腹を立て、世界のすべてを睨みつけているようだった氷河が、やっと口を開いた。 氷河は、 「行く必要はない」 と、低い声で 瞬に告げた 「おまえの母は誰だ? おまえの兄は誰だ? この国の王か !? 違うだろう。おまえの兄は、この俺だ。俺だけだ」 『行くな』と、氷河は瞬に言った。 『おまえの兄は俺だけだ』と。 しかし、王の許に行くことを 瞬に決意させたのは、皮肉なことに、氷河のその言葉だったのである。 自分のその言葉が 瞬の心を乱したことに、氷河は気付かなかったが。 「氷河……。僕、王様のところに行く。マーマを助けてくださいって、お願いしに行く」 「瞬……!」 「氷河。僕にとって 氷河は……兄さんじゃないの。いつからか、そうなっていた……」 「瞬……」 氷河は 瞬を止められなかった。 止めたかったが、止めることができなかった。 彼女の息子たちが 今のまま、ただ病人の枕元についていても、彼女が快方に向かう可能性は皆無。 他に打つ手があるものなら、どんな手でも試したい。 その気持ちは切実だった。 だが、その気持ち以上に――氷河が瞬を止めることができなかった もう一つの理由。真実の理由。 氷河も――氷河にとっても、瞬は弟などではなかったのだ。 |