墨田区立花1丁目1番地。 一般の住宅地の中に ひっそり こじんまりと、その神社は建っていた。 立花という地名は オトタチバナヒメの名から取ったものらしい。 短い参道、鳥居、拝殿。 先の大戦で失われるまでは、夫妻の情愛の象徴たる“連理のクスノキ”が境内に立っていたことを示す石碑。 へたに有名な観光名所になっていない分、そこは静謐な神域になっていた。 天気のいい日中だというのに、瞬たちの他に 参詣者の姿は一つもない。 「可愛い神社だね。ナターシャちゃん、神社の お参りの仕方は憶えてる? 二礼二拍手一礼。鈴を鳴らしてから、2回 お辞儀をして、2回 手を叩いて、お祈りをしたら、最後にもう1回、お辞儀をするんだよ」 「ナターシャ、憶えてるヨー」 スカイツリーの足元にある浅草寺と浅草神社には何度も お参りに行っている。 (多少の例外はあるが)鳥居と鈴があるのが 神様のいる神社。 お線香と木魚があるのが 仏様のいるお寺。 ナターシャは作法にのっとり、鈴を鳴らすと二礼二拍手。 「白鳥の皇子様に会えますように」 と声に出して、神様に お願いをした。 それが よかったのだろうか。 あるいは、ナターシャの願いごとを聞いた氷河が胸中で 『そんな願いごとをしなくても、白鳥の王子なら ここにいる』と文句を言ったのがよくなかったのか。 願いごとを口にしたナターシャが最後のお辞儀をした時、ふいに、どこからともなく、その声は聞こえてきた。 『助けて。あの方を助けて』 最初、それは女性の声に聞こえた。 『誰か、助けてくれ。私はどうすればいいんだ……!』 重なるように、男の声が聞こえてくる。 だが、それは“声”といっていいものだったか どうか。 瞬が“聞こえる”と感じた それは、瞬の耳ではなく、瞬の脳に直接 響いてきたのだ。 小宇宙ではない。 超能力――テレパシーとも違う。 しいて それに名をつけるなら霊力、あるいは意思。もしくは、思惟。 人の心から あふれ出た強く熱い思いが、たまたま その思いを感じる力を持った者の受容器に届いてしまった。 そう解釈するしかない何か――だった。 「パパ、マーマ。誰かが呼んでるヨ」 その声を、ナターシャも感じているらしい。 ということは、その声は アテナの聖闘士ではなく、この神域にいる者に届いているのか。 「氷河……」 「嫌な予感がする」 氷河の呟きは、少々 遅すぎたかもしれない。 氷河の予感は、もちろん的中したのである。 氷河が彼の呟きを呟き終えた時にはもう、彼等は見知らぬ場所にいた。 |