「あのー、すいません」
「はい?」
平和な家族団欒図に割り込んできた赤の他人。
休憩所のテーブルの脇に立つ俺を、瞬センセイは怪訝そうに首をかしげて見上げ、金髪男は無言で俺を睨んできた。
何か ものすごい迫力――つーか、威圧感。
金髪男の視線を受けて、そこだけ重力が大きくなってるような錯覚を、俺は覚えた。
その分、瞬センセイが ふわっと やわらかい感じで、二人が同じ場所にいるから、家族の周辺では普通の重力が保たれてる――みたいな。
金髪威圧男を見ないようにすれば、瞬センセイは気安いっていうか、気軽に話しかけられるタイプの人に見えた。
これが男だとか、俺よりずっと年上だとか、ほんとかよ? って感じだ。

「あなたが男だっていう人がいるんだけど、そんなことないですよね?」
恐い金髪威圧男を意識して視界の外に追いやって、訊いてみる。
「は?」
瞬センセイは困ったように笑って、答えてこない。
瞬センセイの隣りに座っていたナターシャチャンが、俺の顔と瞬センセイの顔を交互に見て、その視線は 最後に瞬センセイの上に落ち着いた。

「マーマ、このお兄ちゃん、ダレー? マーマのお友だち?」
「ナターシャちゃん……うん。このお兄ちゃんは風邪をひいてるの。ナターシャちゃんに伝染ったらいけないから、あっちの方で お話をしてくるね。ナターシャちゃんは氷河と一緒にいて」
「ウン。ナターシャ、パパと一緒にいるヨー」
「5分」
ナターシャチャンは いい子のお返事。
金髪威圧男は――何が5分なんだ?
ナターシャチャンのパパは、どうやら日本語が不自由らしかった。

初子が、休憩所から30メートルくらい離れたところに立つ木の陰に隠れて、こっちを窺っている。
木の陰で、糸が絡まって動けなくなった操り人形みたいな動作付きで、俺に向かって百面相をしてる。
おまえのことはバラさないから、安心しろって。

俺をナターシャチャンから引き離した瞬センセイは、ナターシャチャンと金髪威圧男のいる休憩所と初子のいる木の ちょうど中間点にある意味不明のモニュメントの前で立ち止まり、
「どこかで お会いしたことがあったでしょうか?」
と、俺に尋ねてきた。
改めて その顔を見ると、これがまた 実に綺麗な顔。
しかも 年齢不詳。
でも、医者なんだから、20代後半以上のはず。30代ってこともあり得る。
それが、無礼な高校生に対して敬語。
やわらかい微笑の おまけ付き。
釣られて、俺の顔までが緩みそうになる。
こんな優しそうな人に突っかかっていく俺が、礼儀知らずの悪者みたいだ。
いや 実際、俺は 礼儀知らずなことをしているんだろうけど。

「病院」
日本語の不自由な金髪威圧男を真似たわけじゃないけど、主語も述語も省略して、俺は答えた。
「僕の診察を受けた方……ではないですよね?」
瞬センセイは敬語モードをキープ。
「瞬先生――だよね? 病院で あなたを見掛けた俺の友だちが、あなたを男だって言うんだ。俺は信じられなくて、担がれてるんだと思った。で、本人に確かめに来た。それだけ」
瞬先生が ほんとに男なら、腹を立てられても仕方ないとこだけど、瞬先生は立腹した様子は見せなかった。
そして、あくまで低姿勢を崩さなかった。

「僕は 間違いなく男子ですけど、ナターシャちゃんの――さきほど一緒にいた女の子ですけど、あの子の前ではマーマということになっているので、できれば――」
できれば、マーマの猿芝居に付き合えって?
いや、まあ、わざわざ その嘘を あの子の前で暴いてやろうとは思わないけどさ。

「ほんとにオトコ?」
「はい」
「男のくせに、小さな女の子にママって呼ばれて喜んでるわけ?」
「喜んでいるわけではないですよ」
「嫌がってるのか?」
「いいえ」
「そういうの、ヘンタイっていうんじゃね?」
「そんなつもりはないんですけど」

瞬先生は何を言われても怒らない。
大物なんだか、鈍いんだか。それとも、そういう誤解をされることに慣れてるのかな。
とにかく、ずっと やわらかい微笑を浮かべたまま。
暖簾や柳相手に喧嘩を吹っかけても空しいだけだから、とりあえず 俺は引くことにした。
「そっか。一応、オトコなんだ」
でも、やっぱり嘘っぽい。
女っぽくもないけど、男らしくもない。
初子に男だって教えてもらってなかったら、俺は 瞬先生と その親友と 親友の娘を 毫も疑うことなく、美人のママと果報者のパパと可愛い娘で構成された“綺麗な家族”だと信じていたと思う。

綺麗すぎるのって、立派に欠点だと思うんだけど、初子は それを承知してるんだから、そんなことで“恋っての”を諦めたりはしないんだろうなあ。
何かこう、俺、瞬先生の別の欠点がほしいんだけど――せめて瞬先生を怒らせたい。
「あなたが男だって証拠が欲しいんだけど」
「証拠と言われても……見てわかりませんか」
「わかんないから、証拠がほしいんだよ」
だから、ここで服を脱げっていうつもりはないけどさ。
そんなこと されても困るし。

でも、このまま、『そーですか。男ですか。では、さようなら』で別れたら、俺が 何のために こんな無礼を働いたのか わからないじゃないか。
俺は、初子に、『瞬先生はやめとけ』って言える根拠をゲットするために、平和なファミリードラマの中に割り込むようなことをしたってのに。
引っ込みがつかなくて、まさに進退両難状態に陥っていた俺に救いの手を差しのべてくれたのは、例の鉄棒ぐるり少女だった。

「マーマ!」
ツインテールをなびかせて駆けてきたナターシャチャンが、
「5分過ぎタヨ。マーマがパパ以外の人とずっと二人でいると、パパがヤキモチ焼くよ」
と言って、瞬先生の手に しがみついてきたんだ。
「あ、ナターシャちゃん」
「パパが連れ戻してこいって。ナターシャ、『ラジャ!』って言ってきたんダヨ。『ラジャ!』って、カッコいいでショ!」
助かった。
ナターシャチャン、確かにカッコいいぞ。

ほっと安堵の胸を撫でおろして 休憩所の方を見ると、金髪負圧男が 更に重力を増した顔で 不機嫌そうに こっちを睨んでる。
と思ったら、横を向いた。
瞬先生が ほんとに男だっていうのなら、あの金髪威圧男は、親友(男)と一緒にいる男に焼きもちを焼いているわけで、それこそ立派なヘンタイってことになる。
いや、子供がいるんだから、両刀か。

「マーマ、早く! パパがぷんぷんダヨ!」
瞬先生の親友の金髪威圧男が 両刀のヘンタイだってことは、初子に瞬先生を諦めさせる理由になるだろうか。
初子は 気が強いから、逆にヘンタイ男から瞬先生を守らなきゃならないなんて、変な使命感に燃えそうな気がする。

「あ、じゃあ、失礼します」
瞬先生は 最後まで礼儀正しく、ナターシャチャンに手を握られて、ナターシャチャンのパパの許に引っ張られていった。
「瞬先生の新情報、何かゲットできた?」
仕方なく手ぶらで、俺が初子の許に戻ると、さっきまでの滑稽な百面相をやめた初子は、俺に図々しく“成果”を求めてきた。
手土産のなかった俺が、
「あの二人、普通にヘンタイだと思うけどなー」
と報告(?)すると、初子は、力任せに、全く容赦なく俺の足を踏んづけてくれたんだ。






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