先日、氷河から聖域にもたらされたワダツミだったものは、強力な結界のようなものでガードされていて、そのガードを 俺には突破することができなかった。 面目ない。 あれは小宇宙とは異なる力で作られた防壁のようだった。 力の種類が異なるとはいえ、あの人ほど強大な力を持っているとは考えられない顔の無い者の追跡に 苦慮していて、いざ その時に あの人の攻撃に立ち向かえるのかと、俺が 少々 落ち込んでいたのは事実だ。 あなたは、何でも お見通しだね。 おかげで 俺は、いつまで経っても あなたには頭が上がらない。 シュラが日本で あなた方と行動を共にしていることは聞いている。 一度、俺も彼に会った。 できることなら、再度 俺が直接 彼に会って、彼の身体、心、記憶を探ってみたいのだが、それもできず。 俺が 今 聖域を離れるわけにはいかない。 だが、あなたがついてくれているなら大丈夫だろうと、あなたに心配をかけてばかりの俺だからこそ、思う。 本当に勝手な話だが、多分、俺は あなたに甘えているんだ。 あなたがいるから、俺は俺の務めを果たすことに専心できている。 この地上世界に何が起こっているのか、俺にも 全容が掴めているわけではないんだ。 だが、アテナのご判断が 地上世界に不利益をもたらすものであるはずがない。 それだけは信じていてほしい。 そんなことは、俺が言うまでもないことだとは思うが。 ところで、あなたの手紙にあった、顔の無い者の首領の一人だった少女の件。 とりあえず、最悪の事態を招くことのないよう、そういったことに精通している特別な医師を手配した。 近いうちに、そちらに行く。 敵か味方か、立ち位置の はっきりしない男だが、興味深い事例には目の無い男だから、問題の少女の件も、ちゃんと診てくれると思う。 氷河が その子を引き取って育てると言っているようだが、できれば それはやめるよう、聖域かグラード財団に委ねるよう、氷河を説得してほしい。 あなたに説得されたら、氷河も聞き入れるだろう。 彼を説得できるのは、あなたしかいない。 そもそも氷河は、基本的に人の話を全く聞かない男だ。 彼が まともに話を聞く相手が、この広い世界に何人いることか。 氷河は、アテナの話だって まともに聞いていないんじゃないか? アテナを信じ、アテナのために命をかけて戦うこともするのに、その話は まともに聞かない。 氷河の行動原理は 常人のそれとは かけ離れているように思う。 氷河の人間性は、実は 俺には よく わかっていないんだ。 あそこまで 他人を無視することのできる人間というのは、ある意味 すごい。 星矢や一輝も、もちろん仲間として氷河を信頼してはいるが、氷河を理解してはいないと思う。 かく言う俺も、彼を理解できていない人間の一人。 氷河は、理解していなくても、人は人を信じることができる存在なんだということを、俺に教えてくれた稀有な存在だ。 そういう特殊な人間を、俺は氷河以外には知らない。 ともかく。 黄金聖闘士が 雑事に時間と労力を割く事態は避けてほしい。 今は非常事態で異常事態。緊急事態でもある。 黄金聖闘士の力を、幼い子供の養育に取られることなどあってはならない。 そこのところを、氷河に こんこんと説いてほしい。 あなたは、氷河と他の人間の通訳――氷河の言葉がわかる唯一の人間だ。 くれぐれもよろしく。 聖域にて
貴鬼
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