愛の記憶






大きな失敗を経験したことのない幼い子供は、往々にして 恐れ知らずなものだろう。
そして、活発な子供は、スリリングな遊びを好むものだろう。
だが、ナターシャが興じていた その遊戯は、ひとつ間違うと、第三者を巻き込んだ大事故を引き起こしかねない危険なものだったので、瞬は ナターシャの無茶を叱り、彼女に その遊びを禁じた。

ナターシャは、いつもはパパとマーマの言いつけを守る いい子で、基本的に 叱られ慣れていない。
そのせいもあって、ナターシャは、瞬の叱責を受けて、かなり しおれてしまったようだった。
瞬は瞬で、人を叱り慣れていないので、少し厳しく叱りすぎてしまったかと、こちらも 少々 気落ち気味。

前日 そんなことがあったので――その時、瞬は ちょうど、ナターシャを元気づけるために何かしたい――何かをしてやらなければ――と考えていたところだったのである。
だから、
「パパ、マーマ。ナターシャ、オネガイがあるノ」
と ナターシャに言われたことは渡りに船。
瞬は、ナターシャのおねだりが嬉しかったし、ナターシャは 昨日のことを忘れて 平素の元気を取り戻してくれているようだと安堵もしたのだ。

「ナターシャちゃんの お願いって、なあに? 何か欲しいものがあるの? お洋服? おもちゃ? それとも、どこかに お出掛けしたいのかな?」
大きな瞳で上目使いにマーマを見上げてくるナターシャの前に しゃがみ込み、視線の高さをナターシャと同じにして 微笑み、何が欲しいのかを尋ねる。
瞬は、ナターシャのオネガイを叶えてやるつもりだった。
叶えてやれないことはないだろうと思ってもいた。
経済的に自立した黄金聖闘士が二人揃っていて、小さな女の子の たった一つの願いを叶えてやれないことなどあるわけがない。
そう、瞬は思っていたのである。
しかし。

ナターシャが彼女のパパとマーマに求めてきたもの。
それは、黄金聖闘士二人の力をもってしても 叶えてやることのできない難題だった。
大きな瞳で じっと瞬を見詰めたナターシャは、これ以上ないほど緊張した真面目な面持ちで、
「アノネ。ナターシャは 妹が欲しいノ」
と言ってくれたのだ。

「え……?」
「なに……?」
ナターシャのオネガイは、瞬だけでなく、氷河にとっても意想外。
もし ナターシャのオネガイが 瞬が渋るようなものだったなら、ナターシャの味方について 一緒に瞬を説得してやろうと考えていた氷河にこそ、それは より一層 想定外のオネガイだった。
「え……と、ちょっと そういうのは、すぐには無理だから――」
言下に拒絶して ナターシャをしょんぼりさせるわけにもいかず、歯切れの悪い口調で 答えをごまかす瞬の横で、氷河が、
『はっきり無理だと言え!』
と、声には出さずに視線で促してくる。
『なら、氷河が そう言って!』
と、瞬も 眼差しで氷河に答えることになった。

『人付き合いが苦手だから』だの『話下手だから』だのと理由をつけて、氷河はナターシャの躾や訓育を ほぼ瞬に任せている。
おかげで、ナターシャを叱るのは いつも瞬の役目。
褒めるのも、瞬の役目。
氷河がすることといえば、いつもナターシャの味方でいることだけ。
たまには 氷河が、駄目は駄目、無理は無理と、ナターシャに言ってくれてもいいのではないか――。
泣きたい気持ちで、瞬はそう思ったのである。
さすがに、ここで本当に泣き出すほど、瞬も子供ではなかったが。






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