「乗り遅れたハロウィンのコスプレではないようだな」 自分が興味を抱いていない人間には 徹底してクールな氷河が、クールに客観的推測を口にする。 自身の感性を『申し訳ありません』と詫びるわけにもいかない瞬は、その言葉を口にしないために、氷河の見解に自分の意見を付したのだった。 「コスプレで、このドレスを用意したのなら、この人は 途轍もなく裕福な人だよ。襟のレースは どう見ても手編みだ。とても凝ったニードルポイントレース。同じ物を買おうと思ったら、襟代だけで数十万はする。へたをすると、もう1桁いくかも。スカートの刺繍は真珠が2、300個は縫いつけられてる。帽子の宝石はダイヤにエメラルド。どう見ても天然石。エメラルドは20カラットはある」 「このまま リヨンの織物博物館に行けそうだな」 そうして 博物館のルネサンスモードのコーナーに行って、動かなくなってくれればいいのに――と思っているのが ありありとわかる氷河の不愉快そうな顔。 氷河が何を考えて そんな様子をしているのかが、瞬には手に取るように わかっていた。 氷河は、あの神の悪ふざけの可能性を考えているのだ。 女性は、ベンチに座って、芝生広場を睨んでいた。 取り乱しているようには見えない。 戸惑っているようにも見えない。 理解の域を超えすぎて驚くことすらできずにいるのかもしれなかったが、ともかく彼女は静かだった。 氷河は、できれば、このまま回れ右をしたいと思っているのだろう。 それは 瞬も似たり寄ったり、大同小異。 だが、もし彼女が ここにいるのが あの時の神の悪ふざけのせいなのであれば、あの神を知る人間の一人として、彼女を ここに放置するわけにはいかない。 瞬は意を決して、彼女が何者なのかを確かめてみることにした。 ――のだが。 『失礼ですが、どなたですか』と、何語で尋ねるべきなのかを 瞬が決める前に、彼女の方が先に瞬に尋ねてきたのだ。 「ここは どこじゃ」 と ひどく威厳のある声で。 岩の感触のする声だった。 言語はフランス語。 瞬がぽかんとしていると、彼女は、イタリア語で同じことを訊いてきた。 「日本だ」 氷河が嫌そうにフランス語で答えると、彼女は まるで 食べたことのない料理の名を確かめるような様子で、 「日本?」 と、氷河が口にした言葉を反復した。 「そう、東京都練馬区光が丘……」 詳しく言うだけ無駄と判断し、 「東の果てだ」 と言い直す。 「なぜ、ここに来た。いつ生まれだ。15世紀か16世紀か」 へたをすると聖衣より重いかもしれないドレスを身に着けている女性を問い質す氷河の口調は、この事象は 絶対にクロノス絡みだと確信している人間のそれだった。 あの神は、また何か 悪さを思いついたのだ。 そして、アテナの聖闘士が慌て ふためく様を見て、無聊を慰めようとしている。 アテナの聖闘士は、彼の暇つぶしの道具ではないのに。 ――と、状況が判明する前から、氷河は完全に立腹状態。 だが、絶対に現代人ではない彼女の口から、時の神クロノスの名は出てこなかったのである。 代わりに、神の名ではなさそうな名を、彼女は口にした。 「ノストラダムスが、誰からも愛されるようになる魔法の指輪が ここにあると、わらわに言ったのじゃ」 「ノストラダムス?」 氷河が瞬の方に視線を巡らせてくる。 ノストラダムス(= ノートルダム)という名の人物を、瞬は、ミシェル・ノストラダムスしか知らなかった。 ノートルダムという姓を持つ人物は、無論 彼の他にもいるだろうが、この奇矯な状況から察するに、彼女の言うノストラダムスが ミシェル・ノストラダムス以外のノストラダムスであることは考えにくい。 ミシェル・ノストラダムス。 16世紀 フランスの医師にして占星術師。 日本では、1555年に出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』にある世界滅亡の予言詩でのみ有名だが、彼は、当時のフランス国王アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシスに重用され、国王アンリ2世の死や、カトリーヌの子供たちの王位継承を予言したとも言われている。 “未来”は運命によって定まっているものではない。 “今”に生きている人間次第で、どんなふうにでも変わるものである。 ノストラダムスに限らず、予言などというものを、瞬は信じたことはなかった。 これからも信じるつもりはなかったが、そこに時の神クロノスが絡んでいる(のかもしれない)となると、話は少し変わってくる。 予言者ノストラダムス。 彼は、当時のフランスの王族の死を 次々に予言したという。 それは、予言者ノストラダムスが 時の神クロノスと関わりがあったということなのだろうか。 ノストラダムスの予言に、クロノスの力が関わっているということなのだろうか。 あの悪ふざけの好きなクロノスなら、ありそうなことである。 実は未来を見通す力などない一介の医者に、いかにも誤解しそうな断片的な知識を与えて、あやふやな予言をさせ、人心を惑わし、右往左往する人間を眺めて、暇を潰すのだ、あの神は。 時の神クロノスは、自身に与えられた力と時間を持て余している。 クロノスの暇潰しの今回のターゲットは、15、6世紀に生きた女性らしい。 クロノス、もしくはクロノスに操られたノストラダムスが、誰からも愛されるようになる魔法の指輪がここにあると でたらめを言って、愛を欲する不幸な女性を、なぜか 21世紀の東京の都立公園に運んできたのだ。 「誰からも愛される魔法の指輪だと? そんなものが本当に存在すると、本気で考えているのか」 「ノストラダムスが そう言ったのじゃ。あの者は、神に特別な力を与えられている。現に、わらわを、このように珍妙な場所に運んでのけた」 「ノストラダムスとやらが 神とつるんでいるのは 事実かもしれないが、その神は無責任な嘘と冗談しか言わない神だ。誰からも愛される魔法の指輪など、あるわけがない。馬鹿げている」 女性の主張を、氷河は 次々に否定していった。 が、彼女は、『はい、そうですか』と、氷河の否定を受け入れてはくれなかった。 当然である。 『誰からも愛される魔法の指輪など あるわけがない』という氷河の言葉は事実だが、彼女は現に “珍妙な場所に運んでのける”という 尋常ではあり得ない力を、ノストラダムス(クロノス)によって示されているのだ。 こういう場合、彼女に限らず 人は、『そんなものは ここにはない』と言うだけの氷河より、ノストラダムスの方を信じるだろう。 |