魔法の指輪の存在を否定した瞬に、『いや、それはある』と言い張ることを、彼女はしなかった。
代わりに、断固とした口調で、
「わらわの気持ちは、愛されている者にはわからぬ」
とだけ言う。
「あ……」
瞬は、咄嗟に、返す言葉を見付けられなかったのである。
声と言葉を見失ってしまった瞬に代わって、ナターシャが カトちゃんの宝探しへの助力を申し出た。

「魔法の指輪が、光が丘公園のどこかにあるノ? ナターシャ、探すの手伝ってあげるヨ。ナターシャ、魔法の指輪を見てみたいヨ」
『子供を死産した』『夫は二度と、わらわの臥所に来ない』――カトリーヌが苦しげに口にした言葉の意味するところを、ナターシャが理解したとは思えないが、カトリーヌが とても悲しい人で、とても つらい思いをしているのだということは、ナターシャにも ひしひしと感じ取れたらしい。

ナターシャには 日頃から、『いつも優しい心で。困っている人には親切に』と言っている。
ナターシャがカトリーヌの力になりたいと思うのは自然なことであるし、ナターシャを養育している者として、ナターシャの優しい心は とても嬉しい。
瞬は、ただ、『魔法の指輪を見てみたい』というナターシャの言葉が気になった。

「ナターシャちゃんは、魔法の指輪を見てみたいの? ナターシャちゃんは、誰からも愛される魔法の指輪が欲しい?」
「エ?」
瞬に問われたナターシャが、僅かに首をかしげる。
暫時 考え込む素振りを見せてから、ナターシャは、
「ナターシャはイラナイと思う」
と答えてきた。

『ナターシャはイラナイ』
それも不思議な答えである。
「ナターシャちゃんは、みんなに愛されたくないの?」
瞬自身は、これまで ただの一度も、より多くの人に愛されたいと望んだことはなかった。
しかし、ナターシャを養育している者として、ナターシャには 多くの人に愛されてほしいと思う。
だから、瞬は ナターシャに尋ねた。
「ンー」
再び考え込んだナターシャは、答えを言葉にする前に、瞬の前で浅く頷いた。

「アノネ。ナターシャは、パパとマーマが大好きなんダヨ。パパとマーマも、ナターシャのことを好きでいてくれる……ヨネ?」
「もちろん、僕たちはナターシャちゃんを大々々好きだよ」
「ウン。ウフフ」
瞬の答えを聞いて、ナターシャは 嬉しそうに、どこか くすぐったそうに笑った。
そして、きっぱり断言する。
「だったら、ナターシャは、魔法の指輪はイラナイ。もうイラナイ」
欲しい愛は手に入れているから、それ以上の愛を、魔法に頼ってまで手に入れようとは思わない。
それがナターシャのスタンスらしい。
ナターシャは、いったい子供らしいのか、子供らしくないのか。
瞬にわかったのは、現在のナターシャが 心理的に大変なリア充だということだけだった。

「パパが、自分が好きな人に 自分を好きになってもらえたら、人は それでいいんだって言ってタ。パパは、マーマとナターシャがパパを好きなら、あとはどうでもいいんだっテ。タイプじゃないオンナに好かれテモ困るだけダッテ」
「氷河……!」
氷河の性格的に、そして 彼の仕事柄、それは 嘘偽りのない本音なのだろう。
しかし、それはナターシャに言って聞かせるようなことではないし、よりにもよって 今 カトリーヌに そんな考えの男がいることを知らせるのは残酷。
瞬は、つい 氷河の名を呼んで 彼を責めたのだが、氷河は飄々(ひょうひょう)としたものだった。
氷河にとってカトリーヌは、“タイプじゃないオンナ”。嫌われた方が 楽な気持ちでいられる存在なのだ。

「当然だ。俺は、俺が愛している人を愛するのに忙しいんだ。俺が愛している人に愛し返してもらえることは嬉しいが、それも 実はさほど重要なことじゃない」
氷河は 本当に、どこまでも氷河らしい。
自分の信念を崩さない。
そして、それは、カトリーヌへの助言・忠告にもなっていた。

『自分が(夫を)愛しているのなら、それで――それだけでいいではないか』
愛されることより 愛していることこそが重要な氷河らしい忠告。
だが、現に、カトリーヌは、愛している人を愛するのに忙しい夫に顧みられずに苦しんでいるのである。
『自分が愛しているなら、愛する人に愛し返されなくても、それでいい』
自信に満ちて そう言い切ることができるのは、自分の愛に よほど強く深い自信を持っている人間だけなのだ。
大抵の人間は、自分が愛した人に愛し返されて初めて、自分の愛には意味と力があるのだと考えられるようになる。
カトリーヌも、氷河が自信に満ちているのは、彼が彼の愛する者たちに愛し返されているからなのだと思ったようだった。

「そなたは――そなたたちは 恵まれすぎている。わらわは、生まれてすぐに両親を失い――」
「不幸自慢を始めるつもりならやめろ。俺と瞬だって、両親は早くに亡くした。俺は何年間も瞬に振り向いてもらえなくて、ずっと片思いをしていたんだからな」
「なんと」
氷河の口調が忌々しげなのは、彼の過去の長い片思いの記憶のせいではなく、そんなことを言葉にさせたカトリーヌへの苛立ちのせいだったろう。
カトリーヌが 不思議そうに、彼女の前に立つ氷河の顔を見上げる。

「こんなに美しいのに。そなたほど整った顔立ちをして、そなたほど見事な金髪を持ち、そなたほど美しい青い瞳を持った男は、我が宮廷はもちろん、フィレンツェの宮廷にも ローマにもいなかったぞ。……まあ、着ているものは貧しそうだが」
「どんなに金のかかった豪勢な服でも カボチャパンツだろう、16世紀のフランスなぞ」
カトリーヌが彼女の宮廷で日々 目にしている衣装が“貧しくないもの”なのであれば、そんなものを着るのは御免被る。
誰かに聞かせるためではない低い声で ぶつぶつ文句を言ってから、氷河は、
「瞬は面食いじゃないんだ」
と、カトリーヌの賛辞に(?)、礼を(?)言った。

「うむ。人間の価値は顔だけで決まるものでは ないからの」
カトリーヌが冷酷なのは、言いたい放題の氷河への意趣返しではなく、その身分柄、人を気遣う必要と機会が ほぼないからなのだろう。
氷河の語る言葉に、カトリーヌは大いに興味を抱いたようだった。
「それで、そなたは、どうやって この者に愛してもらえるようになったのじゃ? 魔法の指輪の力を借りたのか?」
「両親のいない貧乏な孤児に、指輪なんて、そんな気の利いたものを手に入れることができるか。貧乏人は モノには頼れない」
「せっかくの綺麗な顔は役に立たず、貧乏で、高価な贈り物も贈れないとなったら、それこそ 魔法に頼るしかないではないか」

人間の価値は顔だけで決まるものではない。
そして、財力、権力、武力で決まるものでもない――と、氷河がカトリーヌに反駁しなかったのは、『では、そなたには どんな価値があるのじゃ?』と問われた時の答えが 氷河の中にはなかったから――氷河には 思いつけなかったから――だったろう。
氷河には、容姿以外にも 価値あるものを多く持ち合わせているのだが、氷河は そのことを全く自覚していない。






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