「氷河、急に、なに言い出したの!」 時間が あとどれだけ残っているのかもわからない、こんな大変な時に、馬鹿なことを言い出さないで。 僕が“まともに取り合っていられない”ってポーズで、氷河の無茶な提案を やりすごそうとしたら、今度は紫龍までが、 「俺も残るぞ」 って。 おかしいよ、二人共。 僕一人が残れば十分だっていうことは、氷河も紫龍も わかってるはずなのに。 「僕一人で、十分だよ」 大事なのは、星矢の命をつなぐこと。 二人は それがわかっているようだった。 星矢の命こそが大事。 星矢が生き延びてくれさえすれば、他のことは どうとでもなる。替えはきく。 僕が言葉にしなかった言葉が、氷河には聞こえてしまったらしい。 「そういう問題じゃない!」 氷河の声は、ついに怒声になった。 氷河の怒った顔。 ほんとに綺麗だね。 氷河は いつも僕を綺麗だって言ってたけど(本音を言うと、そんなことを言われても、僕は あまり嬉しくなかったけど)、僕は いつも、僕なんかより氷河の方が ずっとずっと綺麗だと思ってた。 最後に この綺麗な顔を見て死ねるなら、それは とてもいい死に方。 僕は 最高に いい気分で、最期の時を迎えられるよ、きっと。 「氷河と紫龍は、アテナと星矢を守って、地上に向かって。二人がアテナと星矢についていてくれれば、兄さんは いつも通り、自分の命は自分で守ってくれると思うから」 「どうだか、わかるものか」 「え?」 『兄さんなら、一人でも大丈夫』って勝手に決めつけられて 心配されないのは不公平というもの。 それは 強者に押しつけられる理不尽なハンディキャップだ、確かに。 氷河が兄さんの身を案じてくれるのは嬉しいけど、それは 少し意外なことでもあり――僕は 憤怒の形相の氷河の前で、二度三度と瞬きをした。 残念ながら(?)、氷河の心配は、僕が想定していた心配とは 随分と内容が異なっていたけど。 「俺と紫龍が アテナと星矢を守って地上に向かえば、一輝は、それで自分が死んでもいい名分が立ったと言わんばかりに抜け駆けをして、おまえと生死を共にしかねない。俺だけが阿呆面をさらして生き延びるなんて、それだけは 俺は絶対に許さんぞ!」 「氷河!」 星矢が生き延びられるかどうか、アテナが無事に聖域に戻れるかどうか、そして、アテナの聖闘士が何人 この聖戦を生きて乗り越えられるか――地上世界のこれからがかかった、大事な時なんだよ、今は! こんな大変な時に、何て くだらない意地で命を捨てようとしているの! 「紫龍! 氷河と一緒に、早く 星矢とアテナを――」 「俺は!」 眦を吊り上げて、氷河は僕の声を遮った。 「俺は、おまえだけが死ぬことは、絶対に許さない!」 「氷河、頼むから……」 「詰まらぬ意地と言わば言え。だが、この意地を張ることができなければ、たとえ生き延びることができても、俺は 残りの人生のすべてを敗残者として生きるしかなくなる!」 「氷河……」 氷河。 氷河、氷河、氷河。 でも、僕は――それでも 氷河に生きていてほしいんだよ! どうして それがわからないの! わかってくれないの! 「氷河、お願い。氷河は生きて」 「俺は、星矢と違って 面倒な役どころを負っていない」 「氷河……!」 本当は――本当はね。 僕が星矢を救いたい本当の理由は、星矢が特別な役目を担った英雄だからじゃなく、星矢が僕の大切な仲間で、大好きな友だちだからだ。 ほんとは、ただ それだけ。 同じ理由で、僕は、氷河にも紫龍にも生き延びてほしい。 なのに。 氷河は どうしていつも――氷河は、いつも我儘だ。 僕が せっかく 幸せな気持ちで、自分の生に満足して死ぬことができそうだったのに、氷河は氷河の我儘で、それをみんな 台無しにする。 氷河。僕は、ここで 無意味な押し問答なんかしてられないの。 氷河が僕の言うことをきいてくれないのなら、僕は 無理にでも――力づくで、僕の言うことをきいてもらうよ。 僕は、氷河の説得を諦めて――僕の中に残っているハーデスの力のかけらを使って、氷河たちを エリシオンから 冥界の嘆きの壁の方へと押しやろうとした。 もう そうするしか策はない。 そう思ったから。 でも、その時――。 『僕の力をあげるよ』 どこからか、不思議な声が響いてきた。 不思議な声――本当に不思議な声だ。 その声が不思議でなかったら、何が不思議たり得るのかというほど、不思議な声。 それは、僕の声だった。 僕の声――砂男の声。 僕は なぜ、今まで気付かずにいたんだろう。 あの人は僕だ。 僕――ハーデスの力を 自分の中に取り込んだ僕。 でも、僕ではないから――過去の僕であるはずがなく、未来の僕では、なおさら あり得ないから――この人は、異世界の僕ということになるんだろうか。 いつも悲しい色をして 僕を見詰めていた彼の瞳が、なぜか 今は生気に輝いている。 「あなたの力……? あなたは誰?」 エリシオンの園。 支離滅裂に吹き荒れている風に翻弄される雪のように舞い乱れている楽園の花たち。 その花吹雪の中に立つ、“あの人”。 「瞬……?」 「瞬が二人……?」 彼の姿は、僕だけでなく、アテナにも氷河にも紫龍にも見えているようだった。 彼は、僕だけに見える幻じゃなかったんだ。 それが、僕が以前 話したことのある砂男だということに、氷河は気付いたらしい。 その人――別の世界の僕(?)は ゆっくりと やわらかく、僕たちに微笑んだ。 そして、 「僕は、この世界とは別の世界でアンドロメダ瞬だった者だよ。僕の力を、君たちにあげる。僕にはもう 使いようのない力だから」 と言った。 異世界の僕は、僕が欲していることを全部――知りたいこと、確かめたいことを全部――承知しているようで、僕が『なぜ?』と問う前に、彼と彼の世界のことを語り始めてくれた。 “語る”というより、それは“記憶を手渡す”という行為で為された。 おそらく、一瞬にも足りない時間で。 「僕の世界では、僕の仲間は みんな 死んでしまったの。地上に生きる多くの命を守って――この世界を守って。その戦いの中で、アテナもハーデスもゼウスも古の神々も――すべての神々が消え、世界は人間だけのものになった。地上世界を滅ぼそうとする神々が すべて消えて、アテナの聖闘士も必要なくなった。もっとも、あの大戦で生き残った聖闘士は、僕一人だけだったんだけど」 「あなた一人だけ……?」 「僕は、かつては神々がいた世界の残骸、あの世界の記憶のかけら――不要なかけら。僕は少し、僕に似てる。見せてあげる。僕の世界、僕の仲間たち。一瞬だよ。僕の世界――」 世界中の悲しみを すべて乗り越えた人間のそれのような目をして、彼は彼の記憶を僕たちに手渡してきた。 |