巨大ショッピングモール前の屋外広場から、埠頭公園に移動したのは、もちろん ミスコン関係者に見付かることを回避するためだった。 が、買い物客でごったがえす商業施設近辺から、平日は釣り人くらいしかいない埠頭公園に 場所を移動したのは、別の意味でも正解だったろう。 瞬の話は、家族連れやカップルで明るく楽しく賑わうクリスマスムード一色の商業施設内で聞くには、少々ハードすぎるものだったから。 「一輝兄さんのお友だちに、エスメラルダさんていう人がいるの。お母さんは 多分、フランス領ポリネシアの生まれで、もしかしたら日本へは不法入国していたのかもしれない。エスメラルダさんが小さい頃に亡くなったので、詳しいことはエスメラルダさんも知らないんだって。エスメラルダさんのお父さんは ちょっと酒癖の悪い人で――多分、アルコール依存症で、しかも ギャンブル依存症。親として感心できるような人ではなくて、エスメラルダさんが小さな頃から、ほぼ育児放棄してて、エスメラルダさんは虐待めいたこともされてたみたい。それで、お父さんの許と あちこちの児童養護施設を行ったり来たりしてたそうなんだ。その施設の一つで、兄さんと知り合ったの。僕たちがグラードの養護施設で出会う前、兄さんは小学生になってたみたい。僕は、その頃、人員の関係で別の施設にいたから、僕がエスメラルダさんと知り合ったのは、中学を卒業してからだったんだけど。……兄さんは、いつも誰かを守っていたい人だから――僕と同じ施設にいられなかった時に エスメラルダさんと出会って、彼女を放っておけなかったんだと思う。僕とエスメラルダさん、感じが ちょっと似てるって、兄さんは言うし」 「おまえに似てる? まさか」 瞬は、その容姿も人間性も唯一無二。 氷河は そう思っていたが、一輝が瞬に似ているというのなら、そのエスメラルダなる少女(?)が、心根の優しい人間であることは確かなのだろう――と思う。 さすがに エスメラルダの容姿が 瞬のそれに似ているということは信じられなかったが、誰でも彼でも“いい人”にしてしまう瞬と違って、一輝の人物評価は かなりシビア、信頼できる――というのが、氷河の認識だった。 「半年くらい前に、エスメラルダさんのお父さんが泥酔して、路上で行きずりの人と喧嘩をして、相手の人に怪我を負わせたの。それも、大腿骨を骨折して、半年くらいは松葉杖なしでは歩けなくなるくらいの大怪我。歩けるようになってからもリハビリとかで、1年くらいは就労できないだろうって、お医者様の診断書もある。エスメラルダさんのお父さんも その喧嘩で怪我を負ってたんだけど、絡んでいったのがエスメラルダさんのお父さんの方で、先に手を出したのもエスメラルダさんのお父さん。複数の証人もいた。それで、相手の人に、治療費と慰謝料を300万 請求されて、細かい経緯はよくわからないけど、エスメラルダさんのお父さんは、借金をして、治療費と慰謝料を支払ったそうなの。でも、その後 まもなく、エスメラルダさんのお父さんは亡くなった。お酒の飲みすぎで、内臓がぼろぼろだったみたい。公園のベンチで亡くなっているのが発見されて――」 「のたれ死にってやつか。生きてても迷惑なだけの親が死んでも、子供ってのは悲しいもんなのかな……」 エスメラルダの気持ちを察してやれないことを、星矢は申し訳なく感じているようだった。 「瞬に似ているのなら、『死んで、せいせいした』と思うことはないだろうが、悠長に悲しんでいられる状況ではないのではないか」 察しのいい紫龍の指摘に、瞬は頷いた。 「エスメラルダさんのお父さんが お金を借りた相手というのが、ちょっと問題のある人だったらしくて、エスメラルダさんのところに恐い人たちが借金の取り立てに来るようになったの。でも300万円なんて大金――金利がついて、たった半年で320万に増えたみたいだけど――エスメラルダさんには返す当てなんかない。そうしたら、その恐い人たち、エスメラルダさんに いい仕事を紹介するって言ってきて――」 「いい仕事というのは、風俗関係か? それは……古典的手法というか、普遍的展開というか――。エスメラルダの歳はいくつなんだ」 「僕と同い年だよ」 「つまり、高校生? それを風俗に勧誘とは、普通に犯罪だろう」 「相手は恐い人だし、エスメラルダさん、借用書を突きつけられて、『人一人の人生を狂わせて300万で済むんだから安いもんだ』って、頭ごなしに脅されて、何も言えなかったみたい」 「人一人の人生を狂わせたのは、エスメラルダではないぞ」 エスメラルダは、紫龍が呟いたような正論を言い返せる少女ではないのだろう。 瞬は、切なげな微笑を作った。 「兄さんは、どこかで、年齢を偽ってバイトをしてるみたい。だから、僕も、少しでもエスメラルダさんの力になりたくて――」 「それで、ミスコンか。まあ、普通に考えて、300万は、高校生が地道にバイトしてどうにかなる金額じゃないからな」 「うまくいきそうだったのに……」 瞬は、氷河を責める気はないのだろう。 ほんの少し 愚痴りたいだけで。 氷河が 派手に引っ掻きまわしさえしなければ、瞬は、誰にも迷惑をかけることなく、むしろ多くの人に娯楽を提供しつつ、エスメラルダの力になることができていたのだ。 「氷河は、確かに軽率だったな。おまえが見世物にさせられていると誤解して、頭に血がのぼってしまったんだろう。――しかし、おまえが失念しているとは思えんが、娘に親の借金の返済義務はないぞ。成人した娘が借金の保証人になっていたというのならともかく、未成年では借金の保証人になることもできないわけだし」 エスメラルダの借金の返済義務がなくなれば、氷河の軽率も帳消しになる。 決して氷河のためではなく、瞬とエスメラルダのために、紫龍は その点に言及したのだが、“恐い人たち”は“場数を踏んだ人たち”でもあるようだった。 「借金の取り立ての人たち、巧妙なんです。エスメラルダさんのお父さんの喧嘩が半年前。治療費と慰謝料の請求、借金をして支払ったのが、喧嘩から1ヶ月後。その直後に エスメラルダさんのお父さんは亡くなった。お父さんと二人暮らしだったエスメラルダさんは、悲しむまもなく、自分の生活と学校のことを考えなきゃならなくなって――蓄えなんかなかったから、児相に相談して、一人暮らし用の狭いアパートに引越したの。その間、エスメラルダさんは お父さんの借金のことを知らなかった。恐い人たちは、借金返済請求の権利を行使しなかったんだ。多分、わざと。恐い人たちは、エスメラルダさんのお父さんが亡くなって3ヶ月以上が経ってから、借金があることを、エスメラルダさんに知らせてきたんです」 「作為を感じるな。悪意込みの」 「うん」 紫龍の渋面、瞬の沈んだ表情。 その意味するところが、星矢にはわからなかった。 「作為って、どういうことだよ」 無邪気に問うてくる星矢に、紫龍の渋面は暗さを増した。 「人が死んで 相続が発生した時、相続人は相続を放棄することができるんだ。残された遺産より借金の方が多かったら、まあ、好んで負債を負う人間はいない。相続放棄の申述ができるのは、被相続人が亡くなったことを知った翌日から3ヶ月以内。遺産に手をつけていないことが条件だ。エスメラルダは引越しに際して様々なものを処分しただろうから、亡父の遺産に手をつけたと見なされるだろう。もはや、相続放棄はできない。エスメラルダは父親の借金も相続したということになる」 「3ヶ月って……」 「おそらく、恐い人たちは、最初からエスメラルダを風俗店で働かせて借金を返させるために、わざと借金の返済を求めずにいて、父親の借金の事実を3ヶ月以上 知らせなかったんだろうな」 「……」 紫龍の説明で、恐い人たちの作為と悪意、エスメラルダの置かれた状況を把握した星矢のコメントは、 「親ってのは、いればいたで面倒なもんなんだな」 だった。 |