「それで、俺は 瞬を好きになったんだ。その時が、俺の人生に春が巡ってきた瞬間だ。得になるから好きになった わけではないが、瞬を好きだということを認めたら、俺には 得になることばかりが起こったな。瞬は優しくて綺麗で 強くて 頭もよくて、瞬と一緒にいると、みんなが俺を羨ましそうに見て、俺は得意だった」 「ナターシャ、知ってル! それがパパのハツコイなんだヨネ!」 ナターシャは パパとマーマのラブストーリーを聞くのが本当に大好きである。 大抵 それは、氷河が一方的に語るだけで、瞬が自発的に語ることはなかったが、マーマはオクユカシクて ハズカシガリヤさんだから、それはシカタガナイことなのだと、ナターシャは 氷河から説明されていた。 マーマが否定しないのだから、パパの語るラブストーリーは すべて真実なのだと、ナターシャは信じている。 「パパは これまで100回くらい恋をしたけど、相手は全部マーマなんだヨネ。パパはマーマに純愛してるんダヨネ」 「ああ」 「ウフフ」 もっとパパとマーマの恋物語を聞きたいナターシャは、瞬の膝の上から 氷河の膝の上に移動した。 パパの恋のことなら、マーマより詳しく知っている。 それがナターシャの自慢だった。 そして、それは事実だったろう。 氷河は、瞬には語れない(瞬が語ることを許してくれない)が、ナターシャになら語ることのできる気持ちや事情や都合を無数に抱えていたのだ。 「俺は、瞬のおかげで、俺のマーマが何の得にもならない俺を育て、俺を愛し、俺のために 命を投げ出してくれたことを知った。マーマがどれだけ深く 俺を愛してくれていたのか、俺は それを 瞬に教えてもらった。それまでの俺は、マーマに愛されるばかり、マーマを求めるばかりだった。瞬に会えなかったら、俺は今でもマーマの愛の深さを知らず、彼女に愛された自分が どれほど幸福な人間だったのかにも気付かなかったろう。きっと、彼女の愛に感謝することもなかった。愛に関する ほとんどすべてのことを、俺は瞬に教えてもらったんだ」 「ソッカー。パパはマーマに アイのすべてを教えてもらったんダ。よかったネ、パパ。マーマは とっても物知りダヨ。マーマは ほんとにすごいヨ!」 氷河の恋の話を聞くナターシャの瞳が いつもより きらきらと輝いているのは、それが ナターシャが初めて聞く話だったからだった。 それは そうである。 氷河も、言葉にして語るのは、これが初めて。 瞬にすら語ったことのない、氷河が瞬を好きになった理由の一つだった。 奥ゆかしくて恥ずかしがり屋の瞬は、奥ゆかしく恥ずかしがって そんな話を まともに聞いてくれない。 だが、ナターシャは 喜んで聞いてくれるから――氷河は、つい舌が滑らかになってしまうのだった。 ナターシャになら いくらでも、瞬への気持ちを吐露できる。 「俺がナターシャを可愛いと思うのも、ナターシャと一緒にいられることを幸せと感じるのも、すべては瞬が 俺に 愛とは何なのかを教えてくれたからだ」 「マーマ、お手柄ダヨ。さすが、ナターシャのマーマダヨ」 瞬に向けられるナターシャの尊敬の眼差しにも、今日は一段と熱がこもっている。 ナターシャの尊敬の眼差しを、瞬は いつになく気恥ずかしげに受けとめ、微かに瞼を伏せた。 幼い日の氷河が、そんなふうな考えから 自分のお節介を受け入れてくれるようになったのだったことを、瞬は知らなかったから。 氷河に“マーマの愛を教える”などという大層なことをしたつもりはない。 愛に関する すべてのことを 氷河に教えることなど、なおさら したつもりはない。 だが、氷河が そういう考えでいたというのなら、それは 瞬が常々抱いている『どうして、氷河は、僕なんかを こんなに好きでいるのだろう?』という疑念への答えの一部にはなった。 そんな氷河と瞬の やりとりを眺めながら、星矢が、 「俺たち、のろけを食わされにきたのか?」 と、ぼやく。 そういう星矢は、氷河と瞬のナターシャの傑作を 赤鬼寿司、青鬼寿司、黄鬼寿司、お多福寿司と 軽く3巡したあとらしく、太巻き3本分の量が 既に彼の腹の中に収まってしまったようだった。 「そもそも、おまえの話を聞いた限りでは、肉親だから仕方なく愛するのではないことや、得になるから愛するのではないことを、おまえの前で体現していたのは 瞬ではなく一輝の方だ。なぜ 一輝ではなく瞬の方に惹かれるんだ」 紫龍の鋭い指摘を、氷河は、 「俺にも 好みというものがある」 で一蹴した。 「パパのコノミー?」 ここまでの、ある意味 感動的ですらあった氷河の恋の演説を ぶち壊しにする、パパの“好み”。 ナターシャに そこを追求されたくなかった瞬は、慌てて ナターシャを 氷河の膝の上から奪い取った。 「つまりね。損だとか得だとか、そんなことは 本当に人を好きになる理由にはならないってことだよ。あの人を好きになると損をするとか、この人といると得になるとか、そんなことを考えて 誰かを好きになるのは、本当の“好き”じゃないの。好きっていう気持ちは、損も得もないところにある。人は 人を、好きにならずにいられないから、 好きになるんだ。愛さずにいられないから、愛するんだよ」 瞬の口調が、節分には あまり適していない『泣いた赤鬼』の絵本を読み聞かせる人間のそれになってしまったのは、ナターシャには 常に 無償の愛の存在を疑わない少女であってほしいから。 氷河が 損得を考えて 孤独で不幸だった少女を引き取り愛し育てているのではないことが わかるナターシャであってほしいという願いゆえ。 いつか ナターシャが、『何の得にもならないのに、パパは なぜ私を』と悩むことがないように――という思いからだった。 氷河は、愛さずにいられないから、小さなナターシャを愛した。 ナターシャの幸福を願うから、彼女を引き取り育てている。 そのことを疑わない幸福な少女でいてほしかったのである。瞬は、ナターシャに。 おそらく、ナターシャなら大丈夫だろう。 「ナターシャ、わかるヨ! パパはマーマを 好きニナラズニイラレナイカラ好きニナッテ、愛さズニイラレナイカラ愛しテルンダヨ。ナターシャも、パパとマーマを 好きニナラズニイラレナイカラ好きニナッテ、愛さズニイラレナイカラ愛しテルヨ!」 自信満々の笑顔で そう断言してくれるナターシャなら、きっと大丈夫だと、瞬は思った。 |