「ナターシャちゃん、おはよう」 「マーマ、オハヨウダヨ! パパはまだ おねむ?」 「氷河は、夕べ帰ったのが3時頃だったんだよ。もう少し寝かせておいてあげて」 「了解ダヨ!」 日本は1年で いちばん寒い時季。 光が丘周辺は 昨日も今日もいい お天気で、放射冷却のために 朝方の気温は摂氏0度前後。 室内は ぽかぽかと暖かい上、パパが毎日、『日本の冬は 生暖かくて気持ちが悪い』と文句を言うので、ナターシャも いつのまにか日本の冬を寒くないと感じるようになっていた。 「パパ、恐い夢、見てないカナ。ナターシャ、側にいてあげようカナ」 ナターシャのパパとマーマは、いつ眠っているのかと疑ってしまうほど睡眠時間が短い。 おそらく、ナターシャの半分どころか3分の1も眠っていないだろう。 午前3時に帰宅したなら、大抵は8時前には起きてくる。 パパの今日の起床時刻は8時頃と踏んで、ナターシャは 意識してゆっくりゆっくり朝ごはんを食べたのである。 目覚めたパパがダイニングルームにやってきた時に朝ごはんを食べ終わっていれば、残さずに朝ごはんを食べたナターシャを パパは『偉い』と褒めてくれるだろう。 そのために ナターシャは ちょうど8時に綺麗に朝ごはんを食べ終えたのに、パパが起きてこない。 「きっとパパは恐い夢を見てるんダヨ。ナターシャ、心配ダヨ。ナターシャ、起こしに行ってあげようカナ」 マーマに『もう少し寝かせておいてあげて』と言われたばかりだったので、いい子のナターシャは、まずマーマの意向を確認するために 独り言を呟いてみたのである。 マーマの答えは当然、『もう少し待ってあげて』か、『じゃあ、ナターシャちゃん、氷河を起こしてきてくれる?』のどちらかだろうと、ナターシャは思っていた。 だが、パパに褒めてもらうために 朝ごはんを食べ終えてもフォークを握りしめているナターシャを 困ったように見詰めていたマーマの答えは、そのどちらでもなかった。 「恐い夢じゃないんだけど……。そういえば、僕、夕べ、奇妙な夢を見たよ」 「えっ。マーマの夢?」 パパなら、ナターシャと遊んでいる夢や、マーマに叱られて しょんぼりしている夢を見るのだろう。 何となく ナターシャは そう思っていた。 そして、どういうわけか ナターシャは、マーマが どんな夢を見るのかを考えたことがなかった。 綺麗で優しくて、『瞬の言うことをきいていれば、間違いはない』と、パパのみならず 星矢お兄ちゃんや紫龍おじちゃんにも断言させるくらい 賢いマーマは、いったい どんな夢を見るのだろう。 ごくりと息を呑んで、握りしめていたフォークを 更にきつく握りしめたナターシャに、マーマの夢の内容を教えてくれたのは、ナターシャの見積もりより15分 遅く起きてきたパパだった。 「まさか、俺たちの前に 俺たちがいて、『僕たちのナターシャちゃんを、よろしくお願いします』と言って、俺たちに頭を下げてくる夢じゃないだろうな」 「氷河、どうして その夢……」 着衣は部屋着に着替えているが、髪は ぼさぼさのまま好き勝手な方を向いている、いつも通りの寝起きのパパ。 今日のパパがいつもと違うのは、寝起きなのに 目をしょぼしょぼさせていないこと。 奇妙な夢の内容を語るパパの目は、完全に夢から覚めていた。 パパとマーマは、どうやら昨夜(パパは今朝方)、同じ夢を見たらしい。 夢の内容の奇妙さより、パパとマーマが同じ夢を見ていたということが とても素敵なことに思えて、ナターシャは歓声をあげた。 「パパとマーマは、おんなじ夢を見てたノ? すごいヨ! きっと、パパとマーマが一つの夢を見るのは、パパとマーマがネツレツに愛し合ってるからダヨ!」 「ナターシャ……。おまえ、意味がわかって言っているのか」 ナターシャの二組のパパとマーマ。 奇妙な夢の奇妙なシチュエーションに困惑していたパパは、だが、ナターシャの歓声の方に もっとずっと困惑させられたようだった。 ナターシャの言葉を勝手に深読みして 怯んだように両肩を後方に引いたパパに、ナターシャは、 「アッタリマエだよ! ナターシャは意味がわかって言ってるヨ! パパとマーマは とってもとっても仲良しだってことダヨ!」 と、力強く断言した。 ナターシャの解説は 決して間違いではなかったので、パパの顔が 更に引きつり、強張る。 「瞬!」 パパは悲鳴じみた声でマーマに援護を求め、パパのその声で、マーマは はっと 我にかえった。 ナターシャの二組のパパとマーマの夢。 マーマは、その夢を、パパとマーマがネツレツに愛し合って作った一つの夢ではないと考えているようだった。 一度 ゆっくりと瞬きをして、 「もしかしたら 僕たちは、本当は ナターシャちゃんに会えない運命だったのかもしれない」 と、パパにだけ聞こえるように小さな声で告げる。 それから、マーマは笑顔でナターシャの方に向き直った。 「僕と氷河が見た夢は、きっと、『ナターシャちゃんは もう恐い夢を見ませんから、よろしくお願いします』って、夢の世界の僕と氷河が ご挨拶に来たのかもしれないね」 「夢の中のパパとマーマが?」 “マーマ”に忘れるように言われたことを“マーマ”に言われた通りに忘れてしまったナターシャが、素敵な お話の絵本を読んでもらっている子供のように、楽しそうに瞳を輝かせる。 ナターシャにとって、それは、大好きな絵本の1ページ――怪我の癒えたツバメの背に乗った親指姫が、南の国を目指して 空に飛び立つ おとぎ話のような、まさに“お話”だったのかもしれない。 素敵な絵本というのは、大抵 そういうものなのだ。 子供が読むと楽しくて、大人が読むと とても切ない。 ナターシャの最初のパパとマーマは、二度と ナターシャの夢に現れなかった。 Fin.
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