「氷河、会ってほしい人がいるんだけど……」
氷河が 瞬に そう言われたのは、その週の週末。
時期的に、その申し出の時期が早いのか遅いのかは、なにぶん こんな経験が初めてだったので、氷河には 全く判断できなかったのだが。
恋人の変心に気付かぬ男は、いつも呑気で悠長。
変心する側の人間の心は急いているもの。
それは早くもあり遅くもある申し出なのに違いなかった。
ナターシャの心のケアを考えたり、これからの生活の具体的な計画を立てたりすることに、氷河は全く未着手。
彼は いまだに混乱の中にいた。

「会ってほしい人?」
「うん。松山さんていう方なんだけど。明日の夕方、僕の部屋にいらしてくださることになってるから、ナターシャちゃんと一緒に」
バトルがなければ、日曜日はナターシャのために ある日。
氷河の予定を把握している瞬は、“会ってほしい”日の前日に、氷河に切り出した。
混乱し、今後の計画は全く立てていないが、覚悟だけはできている。
氷河は、『松山とは何者だ』と尋ねもしないで、松山なる人物と会うことを承知したのである。

男の方が来るのか、女の方が来るのか。
そもそも、その用件は何なのか。
おおよその察しはついているつもりだったが、実際“松山さん”が何のために光が丘までやってくるのか、氷河は 全く わかっていなかった。
ただ ナターシャのために、『ナターシャのマーマでなくなっても、時折ナターシャに会ってやってほしい』という要求だけは、別れの条件に何としても 捻じ込もうと、氷河は、それだけは悲壮な思いで固く決意していたのである。



瞬の負担にだけはなるまいと、できるだけスマートに綺麗に すべてを終わらせようと、覚悟して臨んだ その日。
残念ながら、氷河は、思い切り 出鼻を挫かれてしまったのである。
それも、誰あろうナターシャによって。

『夕方、瞬の部屋に行く』と ナターシャには言ってあったので、昼食後 ナターシャの姿が見当たらないことを、氷河は全く案じていなかった。
ナターシャは 一人で先に瞬の部屋に行ったのだろう。今後 ナターシャが瞬と共に過ごす時間は激減するだろうから、ナターシャには 少しでも長く 瞬と一緒にいる時間を持たせてやりたい。
そう考えて、あえて瞬に確認のための連絡も入れなかった。
約束の夕方5時。
瞬の部屋に行くために玄関に向かった時、氷河は 初めて その事実に気付いたのである。
つまり、ナターシャが 4時間も前に 家出していたという事実に。






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