うれしい雛祭り






「アカリをつけマショ、ボンボリにー。オハナをあげマショ、モモのハナー」
3月3日は雛祭り。
桃の花を飾って、女の子の健やかな成長を祈る、幸福で温かい春色の お祭りである。
ナターシャは、リビングルームのテーブルに 色とりどりの千代紙を並べて、雛人形の着物の重ねの色を悩んでいた。
可愛くて明るく華やかにしたいのだが、明るい色と明るい色の組み合わせだと、色が ごちゃごちゃして目が ちかちかする。
そう言って、ナターシャは悩んでいた。

「赤と黄色だと目立つんだけど、それだと大きな声で『キケン、近寄るナ』って騒いでるみたいになっちゃうんダヨ。なんか、うるさいんダヨ。ナターシャ、悩んじゃうヨ」
『色が うるさい』とは、ナターシャの悩み方は、なかなか高度かつ芸術的である。
「黒は どの色とも合うんだが、お祭りの着物にはダメダメらしい」
テーブルいっぱいに千代紙を広げて悩んでいるナターシャを見て、氷河は、
「ナターシャは美的センスに優れている。将来、デザイナーになるのもいいかもしれん」
と、ナターシャの才能を我が事のように得意がって、悦に入っている。
相変わらずで、いつも通りの父と娘。
瞬は 含み笑いを含み切れず、小さな笑い声を洩らすことになった。



忘れようにも忘れられない先月半ば。バレンタインデーの翌日。
スーパーのバレンタインチョコレートコーナーが ホワイトデー対応に縮小され、縮小されたスペースに雛あられが置かれるようになったことに気付いた氷河は、その場で 唐突に、ナターシャの健やかな成長を盛大に祈るために、雛人形の購入を決めたのである――決めたらしい。

右手と左手にキャベツを載せて、重さを比べていた瞬の手からキャベツを奪って棚に戻し、氷河は、瞬とナターシャの手を引っ張って、スーパーの外に連れ出した。
「氷河、どうしたの? キャベツ――」
「今日の お好み焼きパーティの計画は中止だ。俺たちは これから ナターシャの雛人形を買いに行く。大きくて派手なのを買うぞ。雛人形というのは、どこに行けば打っているんだ? 人形町か? 浅草橋か?」
「雛人形?」

キャベツを買うために家を出て、キャベツを買わずに雛人形を買って帰るなどという真似を、普通の人間は まず しない。
氷河に“普通”を求めるつもりはなかったが、“無茶”は できるだけ避けてほしい。
氷河が白鳥座の聖闘士だった時には それでもよかったかもしれないが、今の氷河は アテナの聖闘士の最高位たる黄金聖闘士で、しかも ナターシャのパパなのだ。
――という瞬の思いを斟酌してくれる氷河ではない。
一つの目的目標を定めたなら、その目的目標に向かって ひたすら突き進むのが、氷河という男。
それは彼が十代の少年だった頃から――否、もっと幼かった頃から変わらない、実に傍迷惑な氷河の美徳だった。

「ナターシャ。お好み焼きパーティは 今日の昼ではなく、夜にしよう。俺たちは、今日は これからナターシャの人形を買いに行く」
「ナターシャのお人形 !? 」
ナターシャを愛するがゆえの氷河の思いつきに、ナターシャが 否やを唱えるはずもなく、彼女は諸手をあげて、パパの計画(計画変更)に大賛成。
その気になって勢いづいた氷河とナターシャに 常識人の瞬が太刀打ちできるわけもなく、それから1時間後には、ナターシャのパパとマーマとナターシャは浅草橋の駅前に立っていたのだった。


“人形のQ月”と“顔が命の4C都区”。
それから2時間弱、ナターシャと彼女のパパとマーマは、日本有数の有名人形販売店の本店に置かれている雛人形を つぶさに見てまわったのである。
最初は豪華七段飾りの豪華振りに歓声を上げていたのに、有名どころの二店舗の雛人形を見終わった頃には、ナターシャは すっかり その気をなくしてしまっていた。
不満げに口を尖らせているナターシャに、氷河は、 少なからず困惑しながら尋ねたのである。
「気に入るものがなかったのか?」
“気に入るものがなかった”どころではない、
ナターシャは、とても、ものすごく、大いに不満だった。
そして、ナターシャの不満の内容は、極めて明瞭だった。

「ダッテ、どのお人形もパパとマーマに似てないんダヨ! おまけに、ナターシャがいないんダヨ! あんなの、ナターシャのお雛様じゃないヨ。おダイリ様は断然 キンパツがいいヨ!」
「む……」
ナターシャの言い分は至極尤も。
ぐうの音も出ないほどの正論である。
ナターシャの希望は、綺麗で優しい お雛様、金髪でカッコいい お内裏様、そして、二人の間にナターシャがいるファミリー雛人形だったのだ。
ナターシャの希望に同感するあまり、氷河(水瓶座の黄金聖闘士である)は ナターシャと一緒に がっくりと肩を落としてしまったのだった。

問屋街の真ん中で、父娘揃ってしょんぼりしてしまった氷河とナターシャ。
豪華七段飾りを買っても置き場所がないので、購入を阻止するしかないと思っていた瞬は、ナターシャの希望(不満)に、実は 内心で安堵の胸を撫で下ろしていた。
が、氷河は ともかく、ナターシャを このまま しょんぼりしたままにしてはおけない。
雛人形に代わる何か、ナターシャの心を浮き立たせる何かを求めて、瞬は周囲を見回したのである。

幸い、浅草橋は問屋街。
人形だけでなく、和紙や手芸小物、アクセサリー・パーツ、店舗装飾の店が軒を連ねている。
この町は、ナターシャの大好きな“綺麗なもの”で あふれているのだ。
しかも、今は、町全体が雛祭り仕様。
瞬たちの目の前にある 和紙の専門店のウィンドウにも、綺麗な千代紙でできた雛人形が幾つも飾られていた。

「ナターシャちゃん。じゃあ、僕と氷河とナターシャちゃんとで、手作りのお雛様を作ろうか。それなら、金髪のお内裏様も、ナターシャちゃんが一緒の三人家族の雛人形も作れるよ。お人形には、ナターシャちゃんの好きな着物も着せてあげられるしね」
「パパとマーマとナターシャのお手製 !? 」
しょんぼりしていたナターシャが、ぱっと顔をあげる。
瞬は すかさず、彼女の視線を、人形販売店の隣りの和紙専門店のウインドウへと導いた。
「うん。ほら、あんなふうな」

ウインドウに飾ってある、大小さまざま、形もさまざま、色とりどりの雛人形。
その周囲には、桃色の和紙でできた桃の花。
和紙でできた笛や鼓。紙製の牛車や菱餅まである。
綺麗なものが好きで、その上、ものを作ることも大好きなナターシャは、瞳を輝かせて歓声をあげた。
「綺麗ダヨ! すごく綺麗ダヨ! パパとマーマとナターシャは、パパとマーマとナターシャで、パパとマーマとナターシャだけのお雛様を作るヨ!」
「なに」

いつのまにか、ナターシャのパパまでが 雛人形作りのメンバーに組み込まれていることに、氷河は慌ててしまったのである。
料理はいけるが、手芸は不得手。
水回りの掃除はできるが、部屋の掃除は下手くそ。
ナターシャの遊び相手はできるが、躾は駄目。
ナイフで果物を切ることはできるが、ハサミで紙を切るのは苦手。
氷河は、得意な分野と苦手な分野が 実に はっきりしている男だった。
そして、挑んだことがないので 断言はできないが、どう考えても 人形作りは、氷河的苦手分野の最たるものだったのである。

そのあたりのことを訴えて、氷河は人形制作への協力を免除してもらおうと思ったのだが、残念ながら、氷河の人形制作協力の免除要請は、
「ナターシャは 毎年 パパとマーマと一緒に、パパとマーマとナターシャのお人形を作って、こんなふうに ナターシャのお部屋に並べて飾るヨ!」
というナターシャの決定事項の報告 兼 宣言に阻まれてしまったのだった。

和紙専門店のウインドウに、和紙の美しさ繊細さを見せつけるように繰り広げられている千代紙製の桃の節句の世界は、確かに美しかった。
自分とパパとマーマの手で、その世界を目指す。
ナターシャの計画は、100万円の豪華七段飾りより、氷河の心を打つものだった。
『俺は、その手の工作が苦手で……』などというセリフは、太陽が西から昇っても北から昇っても口にすることはできない。
たとえ、氷河が勇気を奮い起こして正直に、『俺は、その手の工作が苦手で……』というセリフを口にすることができていたとしても、それは あまり意味のないことだったろう。
氷河が口を開く前に、ナターシャは 千代紙製の雛人形が飾られている店の中に 張り切って飛び込んでしまっていたのだから。

そうして、豪華七段飾り雛人形の代わりに千代紙を大量に購入して、ナターシャとナターシャのパパとマーマは自宅に帰ったのだった。
もし購入していたなら、豪華七段飾り雛人形は100万前後。
和紙は、100色以上のカット紙を5枚ずつ購入したお代が 3万円にも満たなかった。


ハンドメイドの雛人形の作り方は、ネットにいくらでも――それこそ、迷うほど、公開されていた。
瞬が幾種類かの設計図をプリントアウトしてやると、ナターシャは その中から、お雛様マーマと お内裏様パパの分と、ナターシャ人形の分の二つをセレクト。
それらに色鉛筆で加筆修正して、パパとマーマとナターシャの雛人形の設計図を完成させた。
ナターシャには、氷河の50倍ほどの計画性(推定)が備わっている。
未就学児童とは思えない優れた計画性を発揮して、ナターシャは、翌日から半月計画の人形作りの実作業に取りかかったのだった。






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