発端は、エスメラルダの後見人ギルティが 姑息な ろくでなしだったこと。
遠い遠い親戚であることを利用して、エスメラルダ一人きりとなったエリティス家に入り込み、エスメラルダの後見人の立場を手に入れたギルティは、エリティス家と根は同じセフェリス家の権勢が気に入らなかったらしく、セフェリス家の関係者や領地に 実に低レベルな嫌がらせ(正面切っての攻撃ではなく、姑息な嫌がらせ)を続けていた。
ある夜、セフェリス家の館の壁の一角をハンマーで打ち壊している者を見付けた瞬の兄は、セフェリス家の当主でありながら、自分で 嫌がらせの黒幕を突きとめようとして、その不審人物の後を追いかけた。
そして、その不審人物が、我が家の仇敵の館に入っていくのを目撃することになったのである。

仇敵の せこい嫌がらせに立腹し、不審人物をひっとらえるために、エリティス家の館の敷地の内まで(許可なく)潜り込んだ瞬の兄は、その際 逆に 宿敵の家の令嬢に、不審人物として見咎められてしまった。
最初は 見知らぬ侵入者に怯えているようだったエスメラルダは、しかし、見咎めた不審人物が怪我(ほんの掠り傷)を負っていることに気付くと、不審な男への怯えを忘れたように、不審人物の怪我の手当てを始めるという非常識に及んだらしい。
瞬の兄は、非常識に優しいエスメラルダに好意を抱いた。
弟に瓜二つの面差しにも、運命的なものを感じた。
低レベルな嫌がらせは、もちろんエスメラルダの あずかり知らぬことで、彼女に非はない。

彼女の家の者が 仇敵の家に低レベルの嫌がらせをしていることを知らせることができず、当然 自分が何者なのかをエスメラルダに教えるわけにもいかず――正体を知らせぬまま、瞬の兄は エスメラルダの許に通い続けたのだそうだった。
奴隷と誤解されていることには気付いていたが、その方が通いやすかった。
少なくとも、セフェリス家の当主と知られるよりは問題がなかった。
“世間知らずのお姫様だから”では片付けられない、エスメラルダの非常識な優しさ。誠実で素直な心。
一輝は、いずれ真実を告げて、彼女を正式に妻に迎えることを考えていたのである。

一方、恋した一輝を奴隷と誤解したエスメラルダは、ある日、後見人であるギルティに、自分の婚資のことを尋ねてみた。
エスメラルダは、自分の婚資を使って、一輝を奴隷の身分から解放し、在留外人(メトイコイ)にできないかと考えたのである。
彼女は、彼女が恋した男を、主人の意向一つで 命すら容易に奪われる奴隷の身分から 解放したかったのだ。
実際、それは可能なことだったろう。
零落したとはいえ、アテナイで セフェリス家と1、2を争う権勢を誇ったこともある名門エリティス家の財産があれば。
エリティス家の財産は、丸ごとエスメラルダの婚資なのだから。

エスメラルダが自らの計画を一輝に打ち明けていたら、一輝も自身の正体をエスメラルダに告白しないわけにはいかず、それで、すべての誤解と虚偽は白日の下に さらけ出され、事態は大団円ということになっていたかもしれない。
そうならなかったのは、ただの“姑息な ろくでなし”と思われていたギルティが、実は“途轍もない大盗人”だったから――だった。
ギルティは、あろうことか、エスメラルダの婚資を使い込んでいたのだ。
零落したとはいえ、市民の許に嫁するには十二分のものだったエスメラルダの婚資――エリティス家の館、オリーブ畑、郊外の荘園――を、ほぼすべて。
エリティス家の畑と荘園は人手に渡り、エリティス家の館はギルティの借金の抵当に入っていた。

これが ばれたら、ギルティは裁判にかけられ、大罪人として処刑されることは、まず間違いない。
エスメラルダが結婚の意思を持てば、世間知らずのエスメラルダはともかく、その夫となる男が ギルティを 犯罪者としてアテナイ政府に訴え出ることは間違いない。
ギルティは、エスメラルダを結婚させるわけにはいかなかったのである。
だが、エリティス家最後の生き残りの後見人という立場上、エスメラルダの結婚を邪魔することもできない。

姑息な ろくでなしであり、途轍もない大盗人のギルティは、悪知恵の働く詐欺師でもあった。
エスメラルダの恋の相手が何者なのかを知らないギルティは、決して結婚できない相手との結婚を命じる神託をでっちあげ、エスメラルダに その神託に従うことを神に誓わせた。
セフェリス家の男を夫にすることなど、エスメラルダには不可能。
しかも、エスメラルダには 他に好きな男がいる。
ギルティは二重の意味で、エスメラルダが決して結婚できない状況を作り上げたのである。

そういう経緯で、ギルティの罠に はまってしまったエスメラルダ。
彼女は、世間知らずで、非常識に優しく、誰に対しても誠実。そして、情熱的な少女だった。
一輝を思う心が抑え難かった彼女は、神に誓った誓いを破らないために、処女女神の神殿に逃げ込むしかなかったのだ。

そして、瞬は 兄思いの弟だった。
セフェリス家の当主でありながら、いつまでも妻を迎えず、跡継ぎの心配をされていた、不器用で武骨な兄の恋。
兄の恋人が誰なのか、恋人が行方不明になってしまったことを知った瞬は、相手が相手なせいもあって、家内の者を安易に使い エスメラルダを探させることはできなかった。
近頃アテナイで評判を取っている人探し屋の噂を聞いた瞬は、そうして 氷河の家の扉を開くことになったのである。


姑息な ろくでなしであり、途轍もない大盗人で、悪知恵の働く詐欺師でもあったギルティ。
彼の悪巧みが白日のもとに さらけ出されると、問題は問題でなくなり、面倒は面倒でなくなり、障害は障害でなくなった。
瞬には似ても似つかない瞬の兄には驚かされたが、氷河には 文句を言う筋合いも権利もない。
それで、瞬の価値が損なわれるわけでもない。

ギルティは アテナイから永久追放になった。
アテナ神殿を出たエスメラルダは、
「神託は ギルティがでっち上げた嘘だったんだから気にすることはないだろうが、神への誓いは守られなければなるまい」
と言う瞬の兄に、妻として迎えられることになった。

これは、いわゆる大団円。
これを大団円と言わずして、何を大団円と言うだろう。
そういう勢いの大団円だった。



「悪かったな、いろいろ。あまり早くエスメラルダが見付かると、おまえがエスメラルダ探しの進捗確認に来てくれなくなって、ナターシャが寂しがると思ったんだ。そうなると、俺も困るし」
「僕こそ、氷河の深い思慮を知らずに誤解して――。僕、氷河がエスメラルダさんを見付けたことを報告してくれないのは、氷河がエスメラルダさんを好きになったからなんじゃないかって、勘繰ってたの。ごめんなさい……」
「それは、もしかして――」
一輝とエスメラルダの大団円のあと、まどろっこしい告白と言い訳を続けている氷河と瞬を 大団円に導いてくれたのは、誰よりパパを愛しているナターシャだった。

「エスメラルダお姉ちゃんは、一輝ニーサンと仲良しダヨ。ナターシャは、パパとマーマと仲良しするヨ。めでたしめでたしダヨ」
「ほんとだね。エスメラルダさんが一輝兄さんと仲良しになったから、僕は、氷河とナターシャちゃんと ずっと一緒にいられるよ」
「ヤッターッ!」

氷河は 人探しの才能――情報収集能力と勘の良さ――に恵まれていた。
本来は勤勉な(たち)ではないのだが、ナターシャを育てるため、彼女から理想のマーマを奪わないため、自身の恋と幸福のため、今は努力家でもある。
そして 氷河は、いつも運がよかった。
なにしろ、面倒なことや ややこしいことは、パパの幸せ至上主義者のナターシャが、その笑顔で すべて なかったことにしてくれるのだ。

アクエリアス人探し屋は、最近、氷河の情報収集能力と勘の良さ、瞬の洞察力と推理力、ナターシャの笑顔と愛嬌という三位一体のトロイカ体制で、大いに繁盛している。






Fin.






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