「私の可愛い氷河。あなたは私の天使よ」 「とんだ厄介者だよ。あの可愛げのないガキ、せめて もう少し、愛想よくできないもんかね」 愛している人の言葉と、嫌いな奴の言葉。 人は、どちらを信じるものだろう。 その両者が、真逆のことを言っていたら。 「氷河は 私の生きる希望よ。私の幸せ そのもの。氷河がいるから、私は生きていられるの。氷河の幸せだけが、私の願いよ」 「あの子さえいなきゃ、あんた、まだ若いし、綺麗なんだから、いくらでも幸せになるチャンスはあるのにねぇ」 普通は 愛している人の言葉の方を信じるものなんだろう。 そして、大抵の場合、人は、自分に好意を示してくれる人間を愛し、自分に悪意や敵意を示してくる人間を嫌いになる。 つまり、自分に快い言葉を手渡してくれる人間を愛し、不快なことを言う相手を嫌いになる。 それが普通の人間だろう。 それは、俺も例に洩れない。 だが、“愛している”と“信じられる”は別物だ。 俺が マーマの言葉を信じられなかったのは、まさに俺が彼女を愛しているからだった。 俺が彼女を愛しているのは、彼女が俺に優しくて、俺の耳と心に快いことを言ってくれるから――快いことしか言ってくれなかったからだ。 可愛い氷河。私の天使。 あなたは、私の宝。私の希望。私の幸せ そのもの。 あなたは、誰より美しい。 俺の上には、毎日、雨あられと 快い言葉が降ってきた。 その言葉を信じていた時もあった。 だが、そんな言葉は、たった一つの否定的な言葉に、悲しいほど あっけなく打ち倒されるんだ。 『この厄介者』 『あの子は、すべての不幸の源』 甘く優しく美しい言葉には、悪意に満ちた冷酷な言葉ほどのインパクトはない。 俺はマーマを愛するがゆえに、マーマの言葉を信じられなくなったんだ。 マーマは優しいから、俺みたいに 可愛げのない厄介者を愛してくれて、天使だの、希望だの、幸せ そのものだのと、甘いお菓子や 綺麗な花のような、快い言葉を ふんだんに与えてくれる。 本当は、俺に そんな価値なんかないのに。 俺は、マーマを不幸にした元凶で 厄介者。 俺さえ生まれなければ、マーマは幸福な人生を生きられたのに。 なのに、俺が生まれたばっかりに。 俺がいるばっかりに。 優しい人の言葉だから、俺はマーマの言葉を信じられなかった。 それは、優しい嘘なんだと思った。 やがて 優しく美しい人がいなくなると、俺の周囲には、意地悪で冷酷で本当のことしか言わない奴だらけになった。 「親の人生を狂わせて、散々 苦労させて、不幸にして、最後には命まで奪うなんて、厄介者どころの話じゃない。あの子は質の悪い疫病神――いや、悪魔だよ」 マーマが死んでしまったら、俺の周りにいるのは、俺の嫌いな奴ばかりになった。 つまり、悪意に満ちた真実しか言わない奴等だけに。 『うるさい! 言われなくても、わかってるよ!』 俺は、何度 そう叫ぼうとしたか わからない。 実際に 叫ばなかったのは、そんなことをしても 腹が減るだけだということが わかってたからだ。 |