Andromeda Unbound






世界は平らで、大洋オケアノスに浮かんでいる。
幾本かの川で区切られてはいるが、大陸は一つ。
ギリシャの北にヒュペルボレイオス、南にエティオピア。
世界の果てで、大洋オケアノスの水は大滝を成して、世界の外に落ちている。
ギリシャの民が、世界の姿を、そのように考えていた頃。

瞬は、大陸から遠く離れた絶海の孤島に、たった一人で暮らしていた。
島の名はアンドロメダ島。
瞬はエティオピアの王子で、つい半年前までは、壮麗なエティオピア王宮で 兄王に守られ、何不自由ない暮らしをしていた。
それが、半年前、“怪物”に さらわれて、この島に連れてこられ、それ以降、エティオピアの王城にいた頃とは較ぶべくもない質朴な暮らしを余儀なくされることになったのである。

だが、その暮らしを、奴隷の暮らしより悲惨過酷と評価していいものかどうか。
考えようによっては、アンドロメダ島での瞬の暮らしは、一国の王や王子の暮らしより はるかに安楽なもの――といえるかもしれなかった。
そこには、どんな憂いもなかったから。
島には、瞬以外の人間はいない。
当然、家はない――奴隷が住むような家すらない。
だが、瞬は、その島で 一切 働く必要はなかった。
瞬が生きていくのに必要な食べ物や衣類は、瞬を この島に さらってきた怪物が 毎日 せっせと陸地からアンドロメダ島まで運んできてくれたので。

怪物は、怪物と呼ぶことが ためらわれるほど美しい姿を持っていた。
それは、白鳥の姿をしていた。
人間が舟を漕いで渡ろうとしたら3日もかかる距離を、瞬を背に乗せて半日とかからず飛んで渡ることができるのだから、尋常の白鳥でないことは確かなのだが、“尋常のものでないから”という理由で、彼を“怪物”に分類することに、瞬は同意できなかった。

大きいことは大きく、力強いことは力強いが、巨大というほどではない。
首を伸ばして立てば、瞬より少し背が高いくらい。
翼を左右に広げれば、その幅は 瞬の身長の1.5倍ほど。
彼を“怪物”と呼ぶしかないのだとしても、彼は、夜は極寒のアンドロメダ島で、その翼で瞬をすっぽり包んで 寝具の代わりを務めてくれるような、心優しい怪物だった。

優しい怪物の名は氷河。
氷河は 人間の言葉を話すことができた。
半年前、エティオピア王宮の庭に降り立った氷河に、
「俺の背に乗ってくれ」
と頼まれて(決して脅されたわけではない)、瞬はその通りにした。
氷河は、翼を広げて、歓喜の声と共に空中に飛び立った。
そして、空を駆け抜けるように 海を渡って、瞬をこの島に連れてきたのである
それ以来、瞬はこの島で、一人で(氷河と共に)暮らしている。
瞬を故国に連れ戻すこと以外なら、氷河は瞬の望みを何でも叶えてくれた――彼にできることは すべてしてくれた。

オレンジが食べたいと言えば、甘く熟したオレンジを籠いっぱい持ってきてくれた。
欲しいと言わなくても、着替え用の清潔なチュニックを手に入れてきてくれた。
さすがに家は無理だろうと思っていたのだが、氷河は、どこからか 羊の毛で作ったフェルトの天幕を運んできて、瞬は 氷河と二人して、2日掛かりで その天幕を組み立て、簡易の家を建てた。
泉が一つと、その周囲に 申し訳程度に立つ数本の木々。
他には、浜昼顔等の砂地植物を時折見掛けるだけの島。
アンドロメダ島は、日中は灼熱、夜は極寒。
外気や日光を隔てるものがあるのとないのとでは、過ごしやすさが格段に違う。
瞬が氷河と二人で建てた家は、島での瞬の暮らしを極めて快適なものにしてくれた。

瞬は最初から、氷河が恐くなかった。
エティオピアの王城の庭で初めて出会った時にも、氷河には 恐れや嫌悪の気持ちを抱かせるようなところが全くなかった。
声も言葉も威圧的ではなかったし、所作も やわらか。
アンドロメダ島に来てからも、不自由な暮らしをさせていることを心苦しく思っているのか、瞬の望みは、可能な限り叶えようとしてくれた。
氷河は、尋常の白鳥ではないという意味で“怪物”なのかもしれなかったが、“悪い怪物”ではない。と瞬は思っていた。
そもそも言葉を話せる鳥など、普通の怪物であるはずがない。
何か事情があるに決まっている。
瞬は、そう信じていた。
もし 特段の事情などなく、たまたま言葉を話せるだけの普通の白鳥なのだとしても 一向に構わない――と思ってもいたが。






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