花の夢






梅雨入りには まだ間がある6月の空は 真っ青。
光が丘公園の芝生広場は、平日の日中だというのに結構な人出だった。
ちびっこ広場で遊んでいる子供たちの歓声が、6月の爽やかな微風に乗って、吉乃たちの許に運ばれてくる。

「AI作品の合同展覧会?」
瞬に手渡された招待状を見て、吉乃は首をかしげた。
チケットには、ピカソやゴッホ、レオナルド、ラファエロ、ベラスケス等、美術界の巨匠たちの絵画をコラージュにしたような図版が印刷されている。
展覧会のタイトルは、『亡き天才たちの新作展』となっていた。
期限は、明日から2週間。
都合のいい日に、その展覧会にナターシャを連れていってほしいというのが、瞬の依頼だった。

「これは、合同展覧会というより、AIの個展というべきものなのかもしれないんですけど……。ちょっと前に、人工知能が描いたレンブラントの新作が話題になったことがあったでしょう? その二番煎じ企画なんです。AIの開発をしている某企業が、巨匠たちの絵をAIに学習させて、レオナルド風やら ベラスケス風やら、過去の巨匠たちの新作を描かせた。その作品の展覧会。そのAI開発企業の専務さんが 蘭子さんの友人で、氷河のお店の常連さんで、僕たち、作品のモデルを務めたんです。モデルを務めた――というか、いつのまにかモデルにさせられていた――というのが、本当のところなんですけど……」
「蘭子ママが勝手に、俺たちを盗み撮りして、動画や何百枚もの写真を、俺たちに無断で横流ししていたんだ。それを過去の巨匠たちの新作二次創作で 一山当てようとしている企業が、開発中のAIのデータベースに取り込んで――」

瞬と吉乃が掛けているベンチの前で、ナターシャの遊具になっていた氷河が、人間に戻って言葉を口にする。
ナターシャは、氷河の指と自分の手の大きさを比べて、2倍、3倍、半分と、計測結果を発表していた。

「それで、そのAIが創作した作品――僕と氷河とナターシャちゃんで ラファエロ風の“聖母子”、僕と氷河で レオナルド風の“受胎告知”、ベラスケスのマルガリータ王女風のナターシャちゃんの肖像画――の3点が展示されることになったんです。他にも、ピカソの“泣く女”風のパンダとか、ゴッホの“ひまわり”風のコスモスとか、AIの新作が50点ほど」
「はあ……」

瞬の説明への反応が妙に間の抜けたものになったのは、『亡き巨匠たちの新作展』という展覧会のターゲットが誰なのかが、吉乃には 今ひとつ把握できなかったからだった。
人工知能の研究者たちなのか、芸術家や芸術愛好家たちなのか、あるいは、ルネサンスの巨匠やスペインの宮廷画家に自分の肖像画制作を依頼するような金満家たちなのか。
氷河や瞬をモデルにして描かれた絵は、もちろん万難を排しても見にいかなければならない――とは思ったのだが。

「展覧会の準備がほぼ済んでから、ママはそのことを俺たちに知らせてきた。当人の許可を得ず、勝手に絵のモデルにするのは 肖像権の侵害だと、俺はママに訴えたんだが……」
氷河が この状況を苦々しく思っていることが、吉乃にはわかった。
つまり、氷河は、瞬やナターシャ以外の人間に感情を読み取らせるほど――いつもの無表情を維持できないほど――『亡き天才たちの新作展』に腹を立てているのだ。

「氷河は、自分が見世物になるだけなら ともかく、ナターシャちゃんを見世物になんかできないと言って、展示をやめさせようとしたんです。でも、蘭子さんは 氷河より一枚も二枚も上手で――」
無許可で制作された絵を不特定多数の人間の目にさらすようなことを許してなるかと いきり立っている氷河を無視し、蘭子は、マルガリータ王女のドレスを着たナターシャの絵の写真を ナターシャに見せたのだそうだった。
正真正銘 王女様のドレスを着ている自分の絵に、ナターシャは大喜び。
ナターシャの笑顔に阻まれて、氷河は、蘭子に、AI作品の展示をやめさせることはおろか、展示の中止を要求することさえできなかったのである。

「AIの開発研究には、とにかく莫大な費用がかかりますから、この展示会は 研究開発の出資者と、作品の注文主を得るためのものなんだそうです。僕たちがナターシャちゃんを連れていければいいんですけど、内覧会の日には、僕も氷河も仕事の都合で行けなかったんですよ。一般公開日に モデルの僕たちが揃って行くと、騒ぎになるかもしれないので、吉乃さんに、ナターシャちゃんを連れていってもらえたらと……。受付でお名前を告げてくだされば、カタログをいただけることになっていますから」
「あ、そういうこと……」

多くの一般来場者がいる日に、絵のモデルたちが揃って会場に出向けば、氷河たちがAI絵画のモデルになることを了承していたと誤解されかねない。
後々のためにも、慎重に振舞っておく必要があるという考えもあるのだろう。
吉乃は、瞬の頼みを快く了承した。
「瞬先生と氷河さんが一緒に行ったら、目立ちますもんね。巨匠の絵のモデル、いっそのこと、話題になって騒がれたい売り出し中の芸能人でも起用すればよかったのに」
それで、その芸能事務所から いくらかの協賛金を出してもらえたら、AIの開発企業も助かったのではないか。
――と、吉乃は考えたのだが、それはAI(巨匠)の心がわからない人間の思いつきにすぎなかった。

「AIの開発企業の方でも、それは一応 考えたそうなんですけど……。実際、幾人かモデルの候補を提示したそうなんですけど、レオナルドのAIやラファエロのAIに、描く気にならないと拒絶されたんだそうです」
「さ……さすが巨匠のAI。はした金のために、自分の腕を安売りするようなことはしないんだ……」
コンピュータのプライドの高さに 人間が感心するというのも奇妙なことだが、吉乃は素直に感心した。
AIの反応は、吉乃にも 至極納得のいくものだったから。
「で、その気難しい巨匠AIたちは、瞬先生と氷河さんをモデルにすることには一発OKで、張り切って創作に取り掛かったわけですね。私だって、瞬先生や氷河さんをモデルにできるなら、超ラッキーって浮かれて、創作活動開始しちゃうもんなー」

「ナターシャは、パパとマーマの絵をいっぱい描いてるヨー!」
既に創作活動に取りかかっている巨匠の卵が、吉乃の許に駆け寄って報告してくる。
その報告に、吉乃は、かなり本気で羨望の念を抱いた。
「ナターシャちゃんは、世界一のモデルを使って、世界一 贅沢な芸術活動をしてる芸術家よ。おまけに、ベラスケスに王女様の絵を描いてもらえるなんて、ラッキーすぎ」
自身の幸運が どれほどのものなのかは把握できていないが、自分が幸運であることは、ナターシャも わかっているらしい。
無邪気な笑顔で、ナターシャは自分の幸運を喜んでみせた。

「ナターシャ、お写真では見たけど、本物の絵を見たいノ。本物は、ナターシャより大きな絵なんだって」
「うん、私も見たいな。ナターシャ王女様の絵。処女マリアの瞬先生に、大天使ガブリエルの氷河さん。一緒に見に行こうね。初日は混むだろうから、明後日がいいかな」
「ワーイ! ヤッター!」
吉乃にナターシャ引率を承知してもらえて、瞬は安堵したらしい。
蘭子の肖像権侵害に 腹を立てている氷河と、肖像権侵害の成果である絵に歓喜して 本物を見たいと騒ぐナターシャの間で、瞬は苦労していたのかもしれなかった。
法的には どう考えても、蘭子が傍若無人すぎるのだが、だからといって、無邪気に喜ぶ子供の笑顔を消し去るようなことは、それがナターシャでなくても したくない。
それがナターシャなら、なおさら したくない。
瞬は、そんな二人の板挟みになっていたのだろう。






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