“パパとマーマと お手々つないで”、ナターシャと彼女のパパとマーマは 公園事務所を出て、銀杏の並木道を家に向かって歩いていた。
その間ずっと、氷河は険しい顔をしていた。
ナターシャのために、せめて無表情になろうとしているらしいのだが、どうしても怒りが滲み出てしまう。
そんなふうだった。
氷河は怒っていた。

氷河の心と神経が ぴりぴりしていることを、ナターシャは感じ取っているのだろう。
ナターシャは勘のいい子である。
老若男女を問わず 大抵の人が恐がる“機嫌の悪い氷河”を ナターシャが恐れていないのは、その怒りさえ 優しさが生むものだということを、彼女が知っているからなのに違いなかった。

「ナターシャは……」
「ん?」
たなばたさまの歌も、“お手々つないで”も歌わずにいたナターシャが ふいに口を開いたのは、銀杏の並木道を半分 通り過ぎたあたりだった。
瞬が 首を傾けて、ナターシャの顔を覗き込む。
ナターシャのために、氷河は まっすぐ 前を向いたままだった。

「ナターシャは、パパはカッコよくて強くて、マーマは綺麗で優しくて、だから、ナターシャはいつも大得意なの。ナターシャは、ナターシャのパパとマーマが ご自慢なの。みんなも、そう言うノ。ナターシャちゃんはいいね、幸せだねって。ナターシャのパパとマーマは世界一のパパとマーマダヨ。みんなが そう言うから、ナターシャも みんなに そう言うの。でもね、ナターシャ、チョコちゃんには そう言えなかった。どーしてカナ」
銀杏の並木道を半分歩く間、ナターシャはずっと チョコちゃんのことを考えていたらしい。
いつもは優しいパパが ぴりぴり怒っているように、チョコちゃんの前では いつもの自分でいられなかった自分を怪しんで。いつも通りに屈託なく振舞えなかった自分を訝って。

「ナターシャちゃんがそう言うと、きっとチョコちゃんは悲しい気持ちになる。ナターシャちゃんには、それが わかったんだね」
自分が傷付かないために、チョコちゃんは、恵まれた幸せな子供と そうではない子供がいることを考えないようにしていた。感じないようにしていた。
子供だから、何も感じず、何も考えていない――と決めつけ 油断することの危険を、瞬はナターシャでよく知っていた。
子供は、大人より はるかに繊細で 傷付きやすい心と、鋭敏で屈折のない思考力を持っている。

「ナターシャは一人ぽっちだったノ。パパに会うまでは、ナターシャも一人ぽっちだったノ。でも、ナターシャは パパとマーマに会えた。チョコちゃんは、マーマがいるのに、一人ぽっちなノ? どうして、そうなっちゃうノ? チョコちゃんは ずっと一人ぽっちなノ? そんなことないヨネ?」
自分だけが一人ぽっちでなくなったことに、ナターシャは、引け目を感じているようだった。
ナターシャの瞳は不安の色を帯びている。
ナターシャは、チョコちゃんの つらさを伝染(うつ)されてしまったのかもしれなかった。
不幸は いつも、(たち)の悪い伝染病である。

「そんなことはないよ。人は いつまでも一人ぽっちではいない。チョコちゃんが ずっと 一人ぽっちのままでいるわけがないよ」
「瞬の言う通りだ。俺は俺のマーマを失って 一人ぽっちになったが、瞬に会って、一人ではなくなった。今はナターシャもいる。ナターシャも俺たちに会って、一人ぽっちでなくなった。人が生きるというのは、そういうことなんだ」
「チョコちゃんも?」
「もちろんだよ。今度 チョコちゃんを見掛けたら、ナターシャちゃんが チョコちゃんと一緒に遊んであげればいい」
「あ、ソッカ!」

瞬の提案に、ナターシャが瞳を輝かせる。
チョコちゃんが一人ぽっちでなくなる素晴らしい解決法。
パパの言う通り、人が生きていることは、人と出会うことなのだ。
「ナターシャ、チョコちゃんと お友だちになるヨ!」
それは行政にも児童相談所にも繰り出すことのできない必殺技。
父も母もないアテナの聖闘士たちが 永遠に孤独から解放された最終奥義。
ナターシャは、やがてチョコちゃんの最強のお友だちになるに違いない。
氷河と瞬と手を繋いだまま、ナターシャは嬉しそうに その場所でジャンプをした。






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