「世界から不幸な子供が一人でも減るように、世界の平和のために尽くしたい――」 「え?」 氷河が ふいに 低く呟いたのは、織姫ヴェガと彦星アルタイルと橋渡しのデネヴは見えるのに、天の川が見えない東京の夜空の謎について、なんとかナターシャを納得させ、ようやくナターシャが眠りに就いてくれた夜更けだった。 ナターシャの願いを込めた七夕飾りがベランダで揺れている。 首をかしげた瞬の視線を、氷河が その青い瞳で捕まえた。 「なぜ おまえは そんなご立派な考え方ができるのかと、ガキの頃はずっと不思議だった。自分自身が幸福とは言い難い状況にあるのに、他人のことまで 普通は考えないだろうと」 氷河が何を語ろうとしているのか、瞬には ほぼわかっていた。 「大人になって、それはアテナの聖闘士として 当然の――自然で基本的な考え方なのだと得心し、認め受け入れた。だが 俺は、理屈で理解したような気になっていただけで、実感できてはいなかったんだ」 氷河は、チョコちゃんに会って感じた怒りのことを、アテナの聖闘士であり、長年の友であり、固い絆と信頼で結ばれた仲間であり、ナターシャのマーマでもある人に語りたがっている。 「ナターシャに出会い、父娘として暮らすようになってから、俺は、ナターシャだけでなく この世界に不遇な子供がいることが、どうにも許せなくなった。子供は皆、幸福でいてほしいと思うようになった。ナターシャと大差ない年頃の女の子が、空腹を抱えて パン屋のパンを見詰めているなんて、子供をそんな状況に追い込んだ親を殴り倒してやりたいと、今の俺は 心から思う。俺は、おまえに20年くらい 後れをとっているのかもしれん」 「殴り倒したいなんて、そんなこと、僕は、今も20年前にも考えたことはないよ」 氷河は怒っているのだ。 この地上世界に不幸な子供がいることに。 「氷河は、氷河自身が子供で つらかった時に、不遇な子供は救われるべきだとは思わなかったの」 「思わなかったな。これが現実だから、自力で乗り越えるしかないと思っただけだった」 「なら、それは、氷河が 僕に後れをとっていたわけじゃなく、氷河は強かったから、自力で自分を救えない子供たちのことに思い至らなかっただけだよ。僕は弱い子供だったから、まず 助けられたり助けてあげたりすることを考えるのが自然だったんだ」 「だとしても――」 非力で小さい者たちの存在に もっと早く 本気で目と心を向けるべきだったと、子供の親になってからやっと気付くのは遅すぎるだろう。――と、氷河は考えている。 だが、それは普通のことなのである。 よいことでも正しいことでもないが、それは普通のことだった。 実際には、その普通のレベルにさえ達することのない大人が相当数いる。 病院で、瞬は、虐待を受けていると思われる子供たちに しばしば出会っていた。 「だとしても、氷河は今は 世界中の子供たちの幸福を心から願っている。それでいいでしょう」 氷河は腹を立てている。 チョコちゃんを苦しめる母親、チョコちゃんを救えない大人たち、アテナの聖闘士として、お題目だけを守り 実感なく戦うことを続けてきた自分自身に。 もしかしたら氷河は、そんな自分を瞬に叱ってほしがっているのかもしれなかった。 だが、氷河は何一つ叱られるようなことはしておらず、なので 瞬は 氷河を叱るわけにはいかなかったのである。 だから。 『世界中の子供たちが幸せになれますように』 その夜、氷河と瞬は、心からの願いを書いた短冊を 二人で笹の枝に結んで、星に願いをかけたのだった。 Fin.
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