「そういうわけだから、瞬。あなたは誰に恋をしてもいいのよ。恋をしたら その人間は清らかでなくなるというのも、人間嫌いなハーデスの勝手な思い込みだから、気にすることはないわ」
「アテナ! あなたは、俺の恋の恩人だ。俺は、あなたに、生涯の忠誠を誓うぞ!」
『瞬にもう一度 会いたい』の一心でアテナの聖闘士になりはしたが、俺は、アテナが これほど素晴らしい女神だということを知らずにいた。
今となっては、己れの不明を恥じるばかり。
俺は、虚心に反省した。

まあ、瞬解放の、アテナの本来の狙いは、
「恋も自由だけど、私の聖闘士になることも、あなたの自由意思で決めていいのよ。ハーデスはもう――いいえ、最初から、あなたの生き方に干渉する どんな権利も有していなかったのだから」
ということの方にあったようだったが。

俺としては、瞬には、か弱くて 可愛い王子様のままでいてもらって、強くカッコいい俺が守ってやる――というシチュエーションの方が 断然 好みなんだが、俺の恋の恩人が それを望むというのなら、致し方ない。
瞬が聖闘士になることを 俺が手放しで喜んでいないのを察したらしく、瞬は 心配そうな目で、俺の顔を見上げてきた。

「おまえの人生だ。おまえの好きなように生きればいい」
そう言ってやるくらいの分別は、俺の中にもあった。
俺の何が気に入ったのか、俺自身にも全くわからないんだが、瞬は俺を好きになってくれたようで――これ以上の厚遇を望んだから、バチが当たるというものだ。
瞬は、ほっと短い安堵の息を洩らして、
「ありがとう」
と言った。
そして、花も恥じらうような可憐な微笑を浮かべ、
「僕、ハーデスの『恋をしてはならない』は、『氷河が来てくれるのを待て』という意味だったんじゃないかと思うんです。待っていたら、氷河が来てくれた」
と、身悶えするほど可愛いことを言ってくれた。


世界は理不尽で、人生は不公平だ。
善良な人間も 邪悪な人間も、同じように その命が有限だなんて。
若く美しく心優しい人が死んで、生意気で非力で 生きてたって何の役にも立たないガキが生き延びるなんて。

マーマが俺の命を救うために 自分の命を諦めた時、俺は そう思った。
今だって、その考えは変わらない。
世界は理不尽で、人生は不公平だ。
俺みたいに、善良とは言い難い ひねくれた男にも、幸運な出会いがあり、時に 運命の神が微笑んでくれることがあるんだから。
そして、幸福になれてしまうこともあるんだから。
だから、人生は 生きてみる価値があるのかもしれない。


ハーデスに続き、アテナの気配も消えた万神殿の地下広間で、冥府の王ハーデスより禍々しい一輝の小宇宙が、幸せいっぱいの俺を妬んで烈火のごとく燃え上がっていたが、俺はもちろん 自分の人生から逃げることなく、その強大な敵に立ち向かうつもりだ。
自分の兄の攻撃的な小宇宙に気付いていないはずはないと思うんだが、瞬は 俺の瞳を見詰めて 幸せそうに にこにこしている。

愛と憎しみ。幸福と、幸福に至るために乗り越えるべき試練。
人間が己れの人生を生きるってことは、つまり、こういうことなんだろうな。
マーマに守ってもらった俺の命と人生を、俺は たくましく生きていく。






Fin.






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