氷河が 城戸邸プライベートエリアへのカメラ設置に大反対で、瞬と星矢はどちらでも構わない。
となれば、少なくとも青銅聖闘士たちの居住区へのカメラ設置計画は立ち消えになるだろう。
瞬は、沙織が持ってきたカメラ設置計画のことは、早々に念頭から消し去った。
そして、沙織がいなくなってくれたので できるようになった話を 始めたのである。

「もし 本当に 星矢が誰かに恨まれたり妬まれたりしているのだとしたら、それって、女性関係という可能性が大きいんじゃないかな。星矢、女の子に もてるから」
「どういうことだ」
と、瞬に問い返したのは、“女の子に もてる”自覚のない星矢ではなく、“女性はマーマ一筋”の氷河だった。
氷河は、本当に“どういうこと”なのか わかっていない顔をしている。
氷河に気取られないよう、胸中密かに、瞬は苦笑した。

「つまり、沙織さんや美穂ちゃんやシャイナさんに好意を抱いている男性が、星矢を羨んで――」
「常識的に考えて、それはないだろう」
瞬が“どういう”つもりで言ったのかを理解した氷河が、ほぼ即行で、瞬の考えを否定する。
自分の考えを否定されたのに、瞬は、自分の考えを否定する氷河に深く頷き返した。
「うん。常識で考えれば、自分が好きな人が、たとえ自分を選んでくれなかったとしても、普通は その意思を尊重して、自分は身を引くものだと思うんだけど……」
「いや、俺の言う常識は――」

瞬の思案顔に 氷河が微妙な表情を向けたのは、瞬の常識と彼の常識が全く違っていたからだった。
『星矢が どんなに もてても、星矢を羨む者はいないだろう』というのが、氷河の常識だったのだ。
『星矢が なぜもてるのか、その訳を理解できず、首をかしげる者はいるだろうが』というのが。
そもそも当の星矢本人が、“自分が もてている理由”どころか、“自分が もてている事実”にすら気付いていないのに。
そのあたりのことは、瞬にも星矢にも 説明するだけ無駄で無意味のような気がして、氷河は口を つぐんだ。
黙ってしまった氷河に代わって 星矢が、ソファの背もたれに預けていた身体を起こし、僅かに眉根を寄せながら 口を開く。

「誰かに恨まれる理由に 心当たりはないんだけどさ。そういや、俺、こないだ、歩道橋の階段を下りようとしてた時、誰かに後ろから 背中を押されて、下に落ちたぞ」
「落ちた?」
「っていうか、下まで あと10段くらいのとこだったから、空中で 一回転して下に着地した。俺、缶コーラ 飲みながら歩いてたんだけど、一回転してもコーラが全然 零れなくて、ちょっと感動しちまったぜ。あの回転スピードが、遠心力が重力に負けない ぎりぎりのスピードだったんだろーなー」

のんきに 物理的考察を始めた星矢を、
「あれ、星矢の悪ふざけじゃなかったのっ !? 」
瞬が遮る。
その時、瞬は歩道橋の下にいて、まさか星矢が誰かに突き落とされたのだとは思いもせず、星矢の一回転着地に、『星矢、危ないよ』と注意までしていたのだ。

「悪ふざけしてたわけじゃないけど、その前の日には、頭の上から鉢植えが落ちてきたり、いつのまにか服に縫い針が刺さってたり、妙なことが立て続けに起きてたんで、きっと、その流れの一環なんだろーなーと思って、あんまり気にしなかった」
「星矢……」
星矢の その報告には、瞬だけでなく、氷河も紫龍も、心から呆れてしまったのである。
階段から突き落とされ、空から鉢植えが落ちてきて、衣服には針が刺さっている。
それは、脅迫を通り越した立派な傷害未遂事件である。
並外れた運動神経と運動能力を持ち、並外れて運のいい星矢だから、何事もなく済んでいるが、人によっては 落命の可能性もなくはない事態なのだ。
それを『(危険な出来事の)流れの一環だろうから、気にしなかった』とは、何事だろう。

「次は、電車のホームから線路に突き落とされるのが お約束だから、用心のために 駅には行かない方がいいぞ」
と忠告する紫龍の口調が 少々投げやりなものになったのも致し方のないことだったかもしれない。
問題は、紫龍の その忠告を真に受けた(?)星矢が、脅迫状の送り主を捕まえるために駅に行くと言い出したことだったろう。
そうして 勇んで城戸邸を飛び出した星矢目がけて、銃弾が飛んできたこと。

それは、セキュリティシステム完備の城戸邸の敷地を出た途端の急襲だった。
星矢を思いとどまらせるべく、仲間のあとを追ってきた瞬の足と心臓は、城戸邸の門まで あと3歩という場所で、音もなく止まってしまったのである。



瞬の心臓が止まっていたのは、数秒間だけのことだった。
星矢は銃弾による襲撃を受けただけで、負傷したわけではも落命したわけでもなかったから。
星矢に向かって撃ち込まれた銃弾は、サバイバルゲームで使用される アサルトライフル用のプラスチック製のBB弾だったのだ。
アテナの聖闘士はもちろん、一般人を殺傷する能力もないし、星矢は飛んできた弾をすべて、自分の手で掴み防いだ。

閑静な高級住宅街。
一軒一軒の家の敷地は広く、人通りも車の往来も少ない。
たとえば ネビュラチェーンを使って、攻撃者を探し出すことは容易だった。
瞬が そうしなかったのは、星矢を攻撃してきた人間(十中八九、その人物は星矢の脅迫者と同じ人間である)が地上世界の平和を乱すほどの力を持つ者ではないから――アテナの聖闘士の敵ではないから――だった。
星矢をサバイバルゲームの武器で脅せると考えているような一般人相手に、聖闘士の力を使うわけにはいかない。

「星矢。中に戻ろう」
瞬に 促された星矢が 無言で、にもかかわらず、『まるで わけがわからない』と言っているのが 丸わかりの顔で、瞬の言に従う。
そうして、邸内に戻った星矢と瞬は、城戸邸のエントランスホールにある来客用クロークの卓の上に、2通目の脅迫状が置かれていることに気付いたのだった。






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