「一輝の卒業後、もう一度 あの施設に行ってみたら、そこに おまえは もういなかった。一輝もどこに行ったのか 行方知れず。施設の人に尋ねても、個人情報だからと言って 教えてもらえず、俺は失意のうちに半年を過ごした。絶望し、世の中のすべてを恨みそうになっていたが、まさか グラードに入学していたとは。灯台下暗しとは、このことだ!」
氷河当人は 喜色満面のつもりらしいが、第三者の目には 不機嫌の極みとしか映らない、氷河の表情。
「あの……」

氷河の表情と言葉と感情の不一致に戸惑い 混乱していた瞬に、真面目なのか不真面目なのか第三者には判断しようのない目と声と顔で、氷河は、
「俺と付き合ってくれ」
と、居丈高に命じた(氷河当人は、丁寧に頼んだつもりなのかもしれない)。
氷河にそんなことができたのは、これほど人様を混乱させておきながら、彼自身は全く混乱していなかったからだったろう。
「……え?」
彼自身は混乱のしようがなかったのだ。
彼の前には常に、彼が進むべき1本の道があるだけなのだから。
しかし、氷河以外の人間は、そうではない。
氷河以外の人間は、彼の言動に ただ ひたすら混乱することしかできない。

「なに言ってるんだよ! じゃあ、てめーは なんで、瞬の邪魔ばっかりしてんだよっ !! 」
星矢の混乱は、限界を超えて爆発した。
その大音声に接して初めて、氷河が 戸惑う様子を見せる。
彼は、星矢が爆発した事実は認めたが、星矢が爆発した理由は全く わからなかったらしい。
「俺がいつ、瞬の邪魔をしたというんだ」
彼は、真顔で星矢に問うてきた。
星矢が、こめかみを引きつらせながら、氷河に怒声をぶつけていく。
「邪魔してないとは言わせねーぞ! 自分のエントリー、ことごとく 瞬のエントリーに かぶせてきやがって!」

星矢に怒鳴りつけられて、氷河はやっと――ついに、やっと――“瞬の邪魔”が何のことなのかを理解したらしい。
否、彼は理解していなかっただろう。
だからこそ、彼は、
「俺は、瞬の邪魔をしたわけじゃない。俺は なにしろ、物静かで控え目な男だから、瞬は俺という存在に気付いていないようだった。だから、俺は 俺という男を瞬に認知してもらおうと思ったんだ。瞬の興味のある分野で 俺が好成績を上げれば、瞬が俺の存在に気付いてくれると思った」
などというセリフを、いけしゃあしゃあと言ってのけることができるのだ。

「はあ?」
この男は何を言っているのか。
星矢には、氷河の日本語の意味が まるで わからなかったのである。
それは、瞬も大同小異。
「面と向かって 好きだと言う厚かましさは、俺にはないし」
紫龍は、『わからない』というより『わかりたくない』顔。

氷河は やはり、自分が瞬のポイント獲得の邪魔をしていることを まだ自覚できていないようだった。
悪びれた様子もなく、瞬に面と向かって、
「瞬に、俺の存在を認知してほしかったんだ」
と言ってのけるところを見ると。
そして、氷河は、裏表のない男のようだった。
「ものすごく認知しました。きっと、死ぬまで忘れません」
少し疲れを含んだ微笑を浮かべて、瞬が告げた その言葉を、皮肉と取らず、
「そうか!」
素直に、嬉しそうに、瞳を輝かせて喜ぶところを見ると。

瞬と付き合いの長い星矢だから、それが皮肉でないことがわかったのだ。
瞬は皮肉など言う人間ではない。
氷河が 同じだけ深く瞬を理解して素直に喜んだのか、それとも彼は その可能性に気付かないほどの ただの馬鹿なのか。
氷河という男が あまりに奇天烈すぎて、星矢には判断のしようがなかった。

「こんな顔してるけど、瞬は一応 男だぞ、わかってるのか」
わかっていないのか、わかっているが どうでもいいのか、そのどちらかなのだろうと思いつつ、星矢が確認を入れる。
この件に関しては、後者が“当たり”であるようだった。
「男子校の男子寮にいるんだ。当然だ。だが、これだけ綺麗なら、何の問題もない。その上、優しく、強く、『痛いの痛いの飛んでけ』が、マーマに似ているんだ。俺は瞬がいい」
「それが わかった上で言ってるなら、いいけどさ」
それが わかった上で言っているなら、大問題である。
大問題だということに、だが、星矢は気付いていないようだった。

「でも、氷河も一輝の行方は知らないのか……」
星矢だけではない。
「うん……。いったい 兄さんはどこに行ってしまったんだろう……」
不安そうに眉を曇らせ 兄の身を案じている瞬も、その大問題を大問題として認知していなかったのだ。

誰にも大問題だと認知されない大問題は、大問題であり続けることができるだろうか。
少なくともグラード学園高校内では、それは大問題であり続けることはできなかった。
人の世とは、そういうものであるらしい。


死ぬまで忘れないほど はっきり瞬に認知してもらった氷河は、目的が達成されたというので、秋の国体の陸上競技のエントリーを すべて取り下げてくれた。
氷河と瞬は、なぜか、いつのまにか 付き合うことになり、実際 付き合い始めた。


一輝の居所が判明したのは、それから半年後。
氷河と紫龍の卒業時、ギリシャに来て アテナの聖闘士になるための修行を始めないかと、聖域からのスカウトが来た時だった。
一輝は昨年、その誘いに乗ったらしい。
グラード学園高校は、地上の平和を守るために 命をかけて戦うアテナの聖闘士候補を探すための、言うなれば、聖闘士ホイホイだったのだ。
氷河は、瞬も一緒でないなら聖域になんか行かないと 盛大に駄々をこね、女神アテナや聖域の偉くて強い人たちを困らせている。
瞬が高校を卒業するまで、あと2年間は、氷河は駄々をこね続けるに違いないと、星矢や紫龍は踏んでいた。

ともあれ。
運命の糸で出会うべく結びつけられている仲間たちは、どんな環境、どんな境遇に置かれても、結局 いつかは出会ってしまうものらしかった。






Fin.






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