「おまえは なぜ、死人のデータを わざわざ生きている人間に届けるサービスなんてものを思いついたんだ?」
「え?」
「おまえがデリバー ドットコムでしている仕事は、俺がデリート ドットコムでしている仕事とは真逆だ。どうして そんな仕事を思いついたのか、そんな仕事が何の役に立つのか、俺には皆目わからない。その謎の答えを知りたくて、俺は 今日、ここに来たんだ」
二つの会社の成長率が違いすぎ、その違いを探ってくるように言われてきたと、本当のことを言うのは癪だったので、氷河は そう切り出した。
実際、瞬がデリバー ドットコムで提供しているサービスが何の役に立つのか、氷河には よくわかっていなかったのである。

「普通、人間は、自分の死後に恥になるようなことや 都合の悪いものは処分したいと思うものだろう。恥ずかしい日記や記録、悪事の証拠、ネットの閲覧記録、自分が記した記事や画像データ、挫折した夢の残骸。恥、不名誉、汚点、人に知られたら嘲笑される可能性のある記録をすべて消して、さっぱりして死のうと思う。立つ鳥 跡を濁さずだ。自分自身も忘れたい、憶えていたくない、他人にも忘れてもらいたい、憶えられたくない、笑いものになりたくない。最後の最後には、自分が存在した記録をすべて消したいと思うのが、人間だ」
そう考えたから、氷河は 人間の生前の記録を全消去するサービスを提供する会社を立ち上げたのだ。

「でも、その人たちは、生前、自分で消そうとはしなかった」
「なに?」
瞬は、氷河の考えを否定しようとしたのではないようだった。
ただ、氷河の その考えを悲しんでいるだけで――悲しんでいるように見えた。
「氷河さんは そうなんですか? 死んだら、誰からも忘れられたい? 誰からも思い出されたくない?」
「ああ」
「……」

悲しそうに見えていた瞬が、もはや疑いようもなく明白に悲しんでいる。
「氷河でいい。俺も瞬と呼ぶ」
氷河が このタイミングで言う必要のないことを、あえて このタイミングで言ったのは、そのせいで瞬の悲しみが少しでも散じてくれたらいいと思ったから――だったかもしれない。
そのくせ、すぐ 亡き母の話を始めたのは、瞬の同情を引きたかったからなのか。
氷河自身にも、自分の真意が よくわからなかった。
もしかしたら最初から――瞬に会う前から、デリート ドットコムを立ち上げた時にも、氷河は 自分の真意をわかっていなかったのかもしれない。

「俺の母は、俺を守るために、俺の目の前で死んでいった。俺は、俺の母を忘れられない。忘れた方が楽だということはわかっているのに、忘れられない。忘れたいのか、忘れたくないのか、自分でもわからない。だが、死んだのが俺の方だったら、俺は、生きている人間には少しでも早く俺のことを忘れて楽になってほしいと思うぞ。その人のためにも、俺自身のためにも」
「それは……」
「自分では消さずに、俺の会社に消去を依頼して、自分の記録や記憶を他人に預けること自体が 自分という存在への未練なのかもしれないな。人は本当は皆、自分の真の願いが何なのか わかっていないのかもしれん」
瞬の悲しむ様子が 少し薄らいだのは、氷河が、人間が生きていた記録と記憶の消滅を、断固として望み推奨しているわけではないことがわかったから――だったろうか。
氷河の曖昧な意見を、瞬は どちらかといえば喜んだようだった。

「僕は、僕の兄が死んだ時、僕が兄を愛していたことや、いつも兄に感謝していたことを、兄が生きているうちに ちゃんと伝えておけばよかったと、深く悔やんだんです。そういう人は多いだろうと思った。自分の思いを伝えられずに死ぬ人や 伝える前に相手に死なれてしまった人。後者はどうしようもないですけど、前者は第三者が間に入れば、何とかなるでしょう? 僕は、そのメッセンジャーになろうと思ったんです」
目許に 切なげな微笑を刻んで、瞬は そう言った。
「『ありがとう』や『ごめんなさい』や『愛してます』。伝えたいけれど、生きているうちは伝えられないとか、クライアントが亡くなってからでないと 人に与える権利が発生しない物や事。いろんな事情を抱えた人がいるんですよ」

それらの伝言は、遺言書の形で、瞬のデリバー ドットコムに預けられることが多いらしい。
公証役場に届け出るような形式ばったものではないこと、相続税が発生しないこと、家庭裁判所での検認を必要とするようなものでないこと――等の条件を付して、瞬はクライアントと契約を結ぶ。
伝言の9割は、『ありがとう』や『ごめんなさい』、『愛してます』に類するものだが、瞬は、そうとは知らずに 犯罪の証拠や告白を関係者に届ける役目を担ってしまったこともあったらしい。
タイムカプセルを埋めた場所の地図。
父や母の違う兄弟の存在を知らせる手紙。
人間の人生(と死)には、様々なエピソードがあり、秘密を永遠に秘密にしてしまえない人間も多いのだそうだった。

「同性の恋人へのラブレターを届けたこともあります。依頼人は 余命宣告を受けた70歳を超えた老紳士で、渡す相手も同い年の老紳士。自分が死んだら、40年も連絡を取っていなかった古い友人に、その死去の報告がてら、手紙を届けてほしいと言われたんです。若い頃の写真を見せていただいたんですけど、お二人共、とても凛々しい美男子で――。ラブレターといっても、『愛している』なんて一言もない手紙。長く連絡を絶っていたけど、友情は 変わらず抱いていた。君は素晴らしい友人だったと伝えるだけの手紙なんです。でも、相手の方には、それが恋文だということがわかったらしくて、瞳を潤ませてらした。生きているうちは出せない手紙だったんですね。僕に何度も、『ありがとう』と言ってくださった……」
「生きているうちは出せない手紙か……」

氷河は、デリバー ドットコムの高い成長率の訳がわかったような気がしたのである。
瞬のデリバー ドットコムの業務内容は、思いを届ける仕事、思いを残す仕事である。
氷河のデリート ドットコムの業務は、消し去る仕事。
生きていた痕跡を消したいのは、死ぬ者の都合で、閉じた仕事。
だが、思いを残す仕事は――思いを残された者、託された者たちは これからも生き続けるのだ。
彼等が残され託された思いを喜び感謝すれば、今度は彼等自身がデリバー ドットコムを利用しようと思うだろうし、知人友人にデリバー ドットコムを紹介することもあるだろう。
デリバー ドットコムの成長率が高い水準で推移しているのは、デリバー ドットコムの提供するサービスが、死にゆく人と生き続ける人、両者のためのものだからなのだ。
翻って、デリート ドットコムの提供サービスは、死に向かう人のためだけのもの。
デリート ドットコムに情報の消去を依頼したクライアントは、氷河の仕事振りに満足し感謝するかもしれないが、死人に感謝されても、次の仕事には繋がらないのだ。

その仕事ができるのは誰なのか――という問題もある。
ある人間が生存していた痕跡を消し去ることは、その人間自身にもできるのだ。
ならば、自分で消し去ることこそ最善――と考える人間は多いだろう。
だが、ある人間が死んでから伝言や物品を届けることは、その人間にはできない――第三者に頼むしかない。
デリート ドットコムの代表である氷河自身、自分に関する情報の消去は 誰にも頼まず自分でやるが、思いを託す仕事は瞬に頼むしかない。
そういうことだった。






【next】