青春とは何だ






私立城戸学園高校にキックボクシング部ができたのは、今から2年前のことである。
現在3年生である一輝が まだ1年生の時。
年度の半分が過ぎ、各部から最上級生である3年生たちが引退して受験態勢に入るタイミングを見計らって、当時 最下級生だった一輝は 驚異的企画力と恐るべき政治力を発揮して、日本国の どの高等学校にもない(だろう)その部を創設したのだった。

ボクシングでも、レスリングでもない、キックボクシング。
それは、インターハイにも国体にもない種目である。
だからこそ、日本の高等学校にはキックボクシング部が存在しないと言ってもいい。
ということは つまり、城戸学園高校キックボクシング部の部員は、K1グランプリにでも出場しない限り、部活動の成果を対外的に発表することはできない。
にもかかわらず、一輝がキックボクシング部を正式な部として 学園に創部を認めさせることができたのは、他でもない、一輝が集めたキックボクシング部への入部希望者数が異様に多かったからだった。

城戸学園高校において、正式な部として認められるために最低限必要な部員数は20名と定められている。
しかるに、キックボクシング部創部の要望書を提出する際、一輝が確保していたキックボクシング部への入部希望者数は 軽く50名を超えていたのだ。
その50名超の入部希望者を、一輝は、『いじめに遭った時、俺が守ってやる』という惹句で獲得した。
ちなみに、それから2年後、一輝が3年になった今現在、キックボクシング部に所属する部員は 1年生から3年生まで合わせて120名超。
もちろん、城戸学園高校で最多の部員数を誇る有力な部である。

とはいえ、120名を超える部員の中で、主体的かつ積極的に部活動を行なっているのは、3年の一輝、2年の紫龍と氷河、1年の星矢の4人のみ。
他の120人前後の部員たちは、万一 いじめに遭った時、あるいは いじめ行為を見聞きした時、それを一輝たち部の幹部に報告するのが、彼等の部活動――ということになっていた。
とはいえ、城戸学園にキックボクシング部ができてから丸2年、その活動を行なった部員は ただの一人もいなかったが。
当然だろう。
一輝を敵にまわすことを覚悟して いじめ行為を行なうのは、狂人でなかったら自殺志願者くらいのものである。

――というように、キックボクシング部の存在意義と活動成果は極めて明瞭明白だったのだが、それは校内に身を置く生徒たちにしか わからない意義と成果だった。
何といっても、キックボクシングは、インターハイにも国体にもない種目。
城戸学園高校キックボクシング部は、その活動の成果を対外的にアピールする場がないのだ。
部の存続を、部員数だけに頼るのは危険と考えた一輝が、彼の仲間である紫龍を生徒会長として生徒会に送り込んだのは、キックボクシング部創部の1年後。
生徒会長である紫龍は、学内の各部への部費の割り当てを決める予算委員会を牛耳っており、各部の通年の活動のみならず、文化祭での出し物や会場配置の決裁権も握っている。
彼に逆らう生徒は、城戸学園高校にはいなかった。

部員数は学内最多。
全校生徒参加の選挙で選ばれた生徒会長が支持し、所属している部。
民主主義的には、キックボクシング部の存在には 何の問題もない。
少なくとも 一輝が学園在籍中の10月現在、キックボクシング部を廃部にする理由は何一つなく、キックボクシング部を廃部にすることで、学園の生徒が何らかの益が得られるということもないはずだった。
――はずだったのだが。






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