さすがは氷河の見立てというべきか、葡萄のタルトに、ハニージンジャーの紅茶カクテルは よく合った。
氷河の笑顔に近付くコツを瞬に教えてもらったナターシャは、もう言葉を待たない。
タルトを食べながら、カクテル(もちろん、ノンアルコールである)を飲みながら、ナターシャは しきりに ちらちらと氷河の顔を窺い見ていた。

氷河は、ナターシャの期待に応えるべく、“ナターシャを心から愛しているパパの目”を作ろうとしたのだが、それは作ろうと意識して作れるものではない。
ナターシャの期待通りの自分になれているのかどうかがわからず、氷河は もどかしく思っているようだった。
そんな氷河を横目に見ながら、いつも通りの氷河でいるだけでいいのに――と、瞬は胸中で苦笑していたのである。

氷河の瞳の奥にあるものを見て、ナターシャは満足そうだった。
氷河の瞳の奥に、ナターシャが何を見たのかは、瞬にもわからない。
もしかしたら、ナターシャは、ただ『綺麗だ』と感じただけだったのかもしれない。
だが、大好きなパパの瞳が美しいなら、ナターシャは それだけで幸せになることができただろう。
パパの瞳が綺麗で、ナターシャは そんなパパを愛している。
それで、ナターシャが幸せでないはずがないのだ。
ナターシャの秋冬のおしゃれについて 熱心に語り合ったあと、瞬が帰宅する頃には、ナターシャは すっかり 翳りのない笑顔を持つ少女になっていた。


「すまん。助かった」
店の客の見送りすらしない氷河が、身内も同然の瞬を、わざわざ玄関まで見送りに出てくる。
おそらく、幼い娘への接し方がわからず、未婚で子無しの仲間に泣きついて、わざわざ家まで来てもらったことを、ナターシャに知られないため――こっそり、瞬に礼を言うため。
そういうところには 気がまわる氷河に、瞬は微苦笑した。

「幾つになっても不器用な氷河」
「返す言葉もない」
「何も言わなくていいよ。ナターシャちゃんのために、絶対に死なないって約束してくれれば」
「瞬」
その“約束”の意味がわからずに――むしろ、わかりすぎるから(?)――氷河は 瞬の顔を強く見詰めてきた。
ナターシャを幸せにする綺麗な目。愛も孤独も悲嘆も喜びも――すべてを たたえ、すべてを隠している青い瞳で。

「氷河はきっと、僕のために死ぬことはできる。僕のために生きることもできるだろうけど――でも、ナターシャちゃんのためには、生きること一択だよ。そのこと、忘れないで」
「ああ」
「ん。なら、不器用も不愛想も許してあげるよ」
「瞬、愛してるぞ」
「もう、こういう時だけ」

こういう時だけ、言葉を手渡してくる。
瞬に相談もせずにナターシャを引き取ることを決め、そのせいで二人になれる機会が減ったことを、氷河は氷河なりに申し訳なく思っているのかもしれない。
だが、もし 氷河がナターシャを“よその子供”として切り捨てていたら、そんな氷河は 瞬が好きになった氷河ではないのだ。

「じゃあ、明日、夕方、氷河がお店に行く前に、ナターシャちゃんを預かりに来るよ」
「いや、店に行く前に、俺がおまえのところにナターシャを連れて行く」
「でも、それじゃあ遠回りでしょう」
「こっちが預かってもらう立場なんだから、当然だ」
「氷河、あのね」

小さな女の子を男手一つで育てているパパは そんな遠慮はしなくていいのだと、瞬が氷河に言おうとした時。
「瞬ちゃんが、パパとナターシャのおうちに お引越ししてくればいいヨ。それでね。それで、瞬ちゃんがナターシャのマーマになるの。そしたら、ナターシャ、いつもいっぱい いろんなことを瞬ちゃんに相談できてサイコウダヨ」
ふいに下の方から、ナターシャの弾んだ声が立ち昇ってきた。
光速拳での戦いを普通にこなす黄金聖闘士ともあろうものが、未就学児童の接近に全く気付いていなかったとは。
ナターシャの隙の衝き方が巧みなのか、氷河たちが 二人になると つい油断してしまうのか。

「ナターシャ……いや、それは、さすがに ちょっとまずい」
氷河の声が 少々――もとい、かなり――しどろもどろになったのは、だが、彼が幼い子供に隙を衝かれたことに慌てたからではなかった。
そうではなく、彼が慌てたのは――彼を慌てさせたのは、ナターシャの提案の内容の方だったのだ。

「まずいの? ドーシテ?」
「ドーシテと言われても……」
氷河が珍しく、無表情以外の表情を浮かべている。
「いや、それは、だから……」
氷河がナターシャを抱き上げたのは、彼女が我儘を言って、瞬にすがらないようにするためだったろう。
しかし、ナターシャは、瞬に教えてもらった通り、氷河の瞳を覗き込んで、そこに氷河が隠しているものを読み取った。

「パパ、嬉しそう。瞬ちゃんマーマ、いいアイディア?」
「それは……いや、だが……」
「ね。ソーシヨ。瞬ちゃんに、ナターシャのマーマになってもらお」
中途半端に大人になって、気配りや遠慮をすることができるようになった氷河の言葉には、嘘も混じる。
だが、氷河の瞳は嘘をつけない。
氷河は、好きという気持ちに嘘をつけない。
氷河の瞳は、そうなったら嬉しいと言っていた。
氷河の瞳が そうしたいと言っているのだ。
パパの瞳が隠していることを言葉にできることが、そうすることのできる自分が、ナターシャは嬉しくて、得意だった。

「マーマ。ナターシャのマーマ。ナターシャ、瞬ちゃんみたいに 綺麗で優しいマーマがいたらいいなあって、ずっと 思ってたんダヨ。ソーシヨ。パパ、絶対にソーシヨーネ!」
パパの言葉を期待せず、その瞳の中にパパの心を探しに行く。
瞬に教えてもらった秘策を実践した途端、ナターシャは すべてが わかってしまったのである。
パパを喜ばせるには どうしたらいいのか。
パパに愛されるには どうしたらいいのか。
パパと仲良しになり、いつまでもパパと一緒にいるには どうすればいいのか。
ナターシャには、今では すべてがわかっていた。

それは簡単なことだったのだ。
パパと同じものを好きになればいい。
パパが愛する人を、自分も愛すればいい。
ナターシャは今、パパと一緒に、パパと頭を突き合わせて、瞬を自分のマーマにする作戦を練っている。






Fin.






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