『コスモス』は、ラテン語で、『整然たる秩序を有する完結した世界体系としての宇宙』を意味する言葉である。 そして、その昔、『秩序』と『美』は同じ言葉で表された。 1の倍数の倍数の倍数。 花びらが8枚の花は、意外にも少ない。 綺麗に対象になった8枚の花びらが、人間に 秩序ある美を感じさせたのだろうか。 だから、その花に、人は『コスモス』という名をつけたのかもしれなかった。 日本国の関東地方における コスモスの花の盛りは、例年は9月中旬から10月中旬である。 しかし、今年は、夏の暑さが異様かつ異常だった。 そのせいで、秩序の名を冠する さすがのコスモスも調子が狂ったらしい。 『まだ暑い、秋はまだ。まだ暑い、秋はまだ』 そういう意識が働いて(?)、今年のコスモスは 咲き時を逸してしまったのかもしれない。 そして、例年より1ヶ月も遅く10月に入ってから、慌てて花を咲かせ始めた――のかもしれない。 ともかく、11月に入ったというのに、東京都の外れにある某コスモス畑は まだまだ満開――むしろ、これから満開になるという状況だった。 コスモス祭は 10月をもって終わっている。 融通の利かない人間たちは、今年のコスモスは これからが見頃だというのに、例年通りにコスモス祭を終わらせてしまったのだ。 そのせいで、今なら 人のいないコスモス畑を満喫できると聞き、瞬たちは そのコスモス畑にやってきたのである。 そして、そこで、コスモスの狂い咲きを撮影に来ていたテレビ局の下請け番組制作会社の取材クルーたちに掴まったのだった。 昨今の異常気象を採り上げた2時間ほどの特別番組を作るために、彼等は全国の異常な事象の絵(取材スタッフの責任者らしき男は そう言った)を集めているらしい。 採用されるかどうかは わからないが、ぜひ このコスモス畑の感想を聞かせてほしいというスタッフに、もちろん 氷河は 断わりの言葉を手渡すつもりだったのである。 だが、氷河と違って親切なナターシャが、あろうことか 黄金聖闘士である氷河より素早く、カメラとマイクを持った大人たちに向かって、コスモス畑の感想を 大喜びで語り始めてしまったのだ。 「あのね。今年の夏は、とっても とっても暑かったでショ。それでね、ナターシャは、ネッチューショーになるから、お昼は公園で遊んじゃだめって言われてたノ。天気予報の最高気温が35度以上の日は お外に出るのは禁止で、30度から35度の間の日は1時間だけならおっけーって、マーマに言われてたんダヨ」 「ナターシャちゃんのマーマが? お外に出ちゃ駄目って言ったんだ?」 「ウン。ネッチューショーは とっても恐い病気だって、ナターシャは マーマに教えてもらったノ。それでネ。それで、ほんとは、ナターシャは暑いの平気なんだけど、ナターシャのパパが、あんまり暑いと 絵本の雪娘みたいに融けちゃうカラ、ナターシャはマーマの言いつけを守って、いい子にしてたんダヨ」 「絵本の雪娘みたいに、パパが融けちゃうから?」 「ウン。ナターシャのパパは寒いのは平気なんだケド、暑いのは とってもとっても苦手なノ。パパが融けて消えちゃったら 大変デショ。パパが融けて消えちゃったら、ナターシャ、悲しくて泣いちゃうヨ」 「それは そうだよね。パパが融けちゃったら、大変だよね」 日本では、政治問題でも経済問題でもない環境問題を軽んじる傾向がある。 異常気象を憂える特別番組のリポーター(兼インタビュアー)は、どう見てもまだ20代前半の軽輩と言っていい若い女性だった。 その若い女性が、小さな娘を左腕で抱きかかえている金髪のパパを見て、声を押し殺そうともせずに、くつくつと軽い(軽快という意味ではなく、軽薄という意味で“軽い”である)笑い声を洩らす。 雪で作られた雪娘は、焚き火の炎を飛び越えようとして、炎の熱に融かされ、消えてしまう。 むすっと不機嫌そうにしているイケメンなのに強面のパパが、儚く可憐な絵本の雪娘に例えられることが、彼女は おかしくてならなかったらしい。 無礼なリポーターだと、氷河は腹を立てた。 その立腹を、氷河が 表情に出さず、言葉にもせずにいるのは、ただただナターシャのため。ナターシャがテレビに映るのが嬉しくてならない様子でいるからだった。 「ナターシャちゃんは、コスモスの花が好き?」 「大好き! だって、とっても綺麗で可愛いんだモノ。ナターシャ、コスモスをナターシャのお花にしようカナ」 「え? ナターシャちゃんのお花に?」 「ウン。ナターシャのパパは薔薇の花で、ナターシャのマーマは百合の花ナノ。だから、コスモスを ナターシャのお花にしようかなあって、ナターシャ、思ったんダヨ」 「パパが薔薇の花で、ママが百合の花だなんて、ナターシャちゃんのおうちは すごいね。お花畑みたいに綺麗な おうち……」 氷河と瞬とナターシャの背後には雲一つなく晴れ渡った水色の空。 そして、ピンク色やオレンジ色のコスモスの花の絨毯。 軽輩のリポーター(兼インタビュアー)は、彼女自身の本気の溜め息の音も、マイクに拾わせていた。 「コスモスの花は可愛いから、ナターシャちゃんにぴったりだね」 「ウフフ」 軽輩のリポーター(兼インタビュアー)の言葉に、ナターシャは 我が意を得たりとばかりに、にっこり笑った。 だが、それで そのまま コスモスを自分の花に決めてしまわないところが、軽輩リポーター(兼インタビュアー)とは違って、ナターシャの慎重なところである。 そういう大事なことを決める時には、ナターシャは 必ずパパとマーマの意見を聞いてみるのだ。 マーマが微笑で、パパが瞳で、『それは とてもいい考え』と言うのを確かめてから、ナターシャは、 「じゃあ、ナターシャのお花はコスモスにするヨ」 と、満面の笑顔で宣言したのだった。 ナターシャにマイクを向けていた軽輩リポーター(兼インタビュアー)の顔が(カメラに背を向けているので、画面には映らない)一瞬 引きつったのは、彼女自身が現在 パートナーと うまくいっていないからなのか、あるいは彼女の両親が 何らかの問題を抱えているせいなのか。 愛と信頼で結びついている美しく平和な家族の存在を、素直に喜ぶことも羨むこともできない。 そういう顔。 「以上、お花のようなご家族でした」 インタビューを終えて カメラに報告する際には ちゃんと笑顔になっているあたりは、軽輩といえど 彼女なりのプロの矜持ということなのかもしれなかった。 テレビ番組制作スタッフは、おそらく 当初は、ナターシャへのインタビュー映像を それほど長く流すつもりはなかっただろう。 狂い咲きのコスモス畑を訪れている子供が、地球の危機に思いも至らせず、『綺麗』と喜んでいる場面を5秒間ほど流す。 その後、速やかに地球の異常気象と狂い咲きの説明に進む――というのが、当初の予定だったに違いない。 5秒の予定が5分になったのは、おそらく ナターシャのコメントが的確すぎたからである。 夏の暑さから秋のコスモスの狂い咲きまで、その因果関係を、時系列で、物怖じしない口調で、子供の視点で はきはきと 説明してみせたナターシャ。 末期的な地球の現状を、子供の日常の視点で、ある意味 平和に 呑気に語るナターシャ。 しかも、ナターシャのコメントには、不安を煽るだけでない、面白味と希望があった。 何より彼女と彼女の家族の絵が美しすぎた。 これは話題になり、視聴率を稼げると、番組のプロデューサーは考えたのだろう。 昨今は、視聴者の関心を引く映像を流せば、その情報は すぐに――1分以内に――ツイッターに流れ、更に その1分後には そのツイートに触れた多くの人間がテレビのスイッチを入れ、チャンネルを合わせる。 その視聴者を掴まえて、番組を最後まで見てもらうためには、どうしても5分。 最低5分間、視聴者の関心を引く映像を流し続ける必要があったのだ。 実際、コスモス畑でのナターシャのインタビュー映像がテレビで放映されると、当該番組のハッシュタグ付きのツイート、リツイート、ファボ数は、そのテレビ局、その曜日、その時間帯のものとしては、過去最高を記録したらしい(もっとも、そのテレビ局が SNS関係のデータを収集・記録し始めたのは、つい8年前からのことらしいが)。 ツイッターの反響は、それが どれほど大きくても一時的なものだが、CMに起用したいという ハウジング、薬品、保険等の企業や 広告代理店からの問い合わせという、一過性のものではない反響も多かったらしい。 ナターシャは、ナターシャという名前以外の個人情報は口にしなかったので、ツイッター等SNSの騒ぎは無視すればよかった。 実際、氷河たちは無視したし、テレビ局側も無視した。 しかし、民放テレビ局には、番組のスポンサーになる可能性のある企業の意向を無視することはできなかったらしく、CM起用打診の件は、テレビ局の営業局の局員が いちいち氷河たちに知らせてきたのである。 無論、氷河は それらも無視した。 ただ一つ、テレビ局にも氷河たちにも無視できなかった問い合わせ。 それがフランス大使館からの問い合わせだった。 フランス大使館は、テレビ局に、コスモス畑の少女の連絡先を教えてほしいと依頼し、もしそれが叶わない場合には、日本国の外務大臣経由もしくは法務大臣経由で 情報開示を命じることになるだろうと言ってきた(脅してきた)らしい。 瞬が指示のあったフランス大使館のメールアドレス宛にフランス語で連絡を入れると、『ご両親とご令嬢にお会いしたいので、可能な限り早く、大使館まで ご足労願いたい』という、日本語の返信が届いた。 『一両日中に 都合がつかなければ、こちらから出向く』という但し書き付きの。 念のため、沙織に 何か心当たりはないかと尋ねてみたのだが、フランス共和国 及び フランス人、フランス大使館と聖域の間に、特段の問題は発生していないとのことだった。 無論、フランス大使館からの呼び出しが 良くない話とは限らないが、良い話に、『日本国の外務大臣もしくは法務大臣に圧力をかけてでも指示に従わせる』というニュアンスが付されることは、滅多にないだろう。 だから――氷河と瞬には、良くない予感しかしなかったのである。 おしゃれしてオデカケができるというので、ナターシャは大はしゃぎだったが。 |