「ナターシャちゃんは、顔以外は私の娘ではないと思う」
彼の娘と同じ顔をした少女をナターシャと呼ぶことは、彼には つらいことだろう。
だが、幾度か 光が丘公園に通ううちに、彼はそれをするようになっていた。
冷静になったのでも、娘を取り戻すことを諦めたのでもない。
ブロン氏は、必死に 冷静になろうとし、何よりもまず 彼女の幸福を考えようと努めているのだ。
「指の形、手の形、歩き方。彼女は いろいろな点が私のマリエッタとは違う」
今日は ナターシャは、氷河の腕を鉄棒にして“パパで鉄棒”ごっこをしている。
動く鉄棒にぶら下がっているナターシャを、パパと一緒でない他の子供たちは 羨望の眼差しで見詰めていた。

ブロン氏は悔やんでいるようだった。
彼は、彼のマリエッタと共に暮らしていた時、こんなふうに娘と遊んでやることをしなかったのだ(多分)。
もちろん娘を深く愛してはいただろうが、多忙を理由に、あるいは彼の性格的に、これほど娘と一緒に遊んでやることはしなかったに違いない。
幼い娘の父親として、彼は 氷河に、敗北感といっていいほどの気後れを感じているようだった。
瞬の目には、そう見えた。

「ブロンさん……」
彼の名を呼ぶ自分の声が、驚くほど か細くて、瞬は自分の声に ぎょっとしたのである。
ブロン氏も、少なからず驚いたらしい。
彼は、
「どうして瞬さんが そんなに悲しそうなんです」
と、瞬に尋ねてきた。

「ナターシャちゃんを引き取って一緒にいられるようになってから、僕たちは ずっと楽しく幸せに暮らしてきました。今もそうです。僕たちには、ナターシャちゃんを失うことなど考えられない。そんなこと、想像するだけで泣いてしまいそうです。なのに、ブロンさんは……」
そんな状況に、ブロン氏は耐えているのだ。
しかも、彼が失ったのは娘だけでない。
ブロン氏の心の内を思うだけで――そこには もしかしたら、明るいものや楽しいものは何一つ存在しないのかもしれないと思うだけで、瞬の胸は涙を流し、傷付き、呻吟した。

「マリエッタが優しい子に育つわけだ……」
俯く瞬を見おろして、ブロン氏が一人ごちる。
彼は一瞬 ためらってから、瞬の肩を その手で包んできた。


「パパ。マーマがケーキのお兄ちゃんと仲良ししてるヨ」
ナターシャが氷河への ご注進に及んだのは、ナターシャに 美味しいケーキをご馳走してくれた お兄ちゃんが、この頃 しばしば光が丘公園にやってきて――それも必ず マーマが一緒の日にやってきて、二人だけで こそこそ話をしているから――だった。
『俺が一緒にいない時、瞬に近付いて べたべたする奴がいたら、必ず俺に報告するんだぞ』と、ナターシャはいつも氷河に言われていたのだ。
ケーキのお兄ちゃんがやってくるのは、“パパが一緒にいる時”だけだったので、報告する必要はないのかもしれないが、念のため。

パパの答えは、
「瞬は、俺とナターシャを守る防波堤の役をしてくれているんだ」
で、特に腹を立てることはなかったので、ナターシャは ほっと安堵したのである。
ナターシャは むしろ、
「ボーハテーって ナニー? テッペキのボーギョとは違うノ?」
というナターシャの質問に わかりやすい答えを返してくれないパパの方を 心配することになったのだった。






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