in your mind's eye






“200年に一人の天才作曲家”という呼び名は、1791年に没したモーツァルトに遠慮したからとも、1827年に没したベートーヴェンに遠慮したからとも言われている。
いずれにしても、彼の名に その異名が付されるようになったのは、天才作曲家当人の自負と遠慮ではなく、周囲の大人たちの思惑によるものだったろう。
なにしろ、“200年に一人の天才作曲家”縦山斗音(とおん)は、現在 5歳と10ヶ月。
まだ小学校にも入学していない上、左右共に先天盲。
つまり、彼は まだ幼く、その上、生まれて この方 一度も光を見たことがない、生まれながらの盲人なのだから。

天才作曲家の両親である縦山夫妻は、国際的なヴァイオリニストとピアニストで、二人が奏でるクロイツェルソナタは圧巻にして絶妙と言われているらしい。
“国際的”と言えば聞こえがいいが、それは“日本国内での評価より海外での評価の方が高い( =日本国内の人気は今ひとつ)”という意味で、そのため 彼等は 1年のうち 10ヶ月は海外に演奏旅行に出ている。
一人息子の斗音の障害も、ピアニストである縦山夫人が、妊娠がわかってからも 全く身体を気遣わず、それまで同様のハードな活動を続けたために、胎児に起こった角膜変形が原因と言われているのだとか。
縦山夫妻の精力的な演奏活動は、全盲の子供が生まれてからも変わることなく続いていて、彼等は滅多に日本に帰ってこない。
盲学校の教員だった男性を家庭教師として、保育士の資格を持つ女性を養育者として、栄養士の資格を持つ女性をハウスキーパーとして雇い、子供の世話は 専ら それらの使用人たちに任せているのだそうだった。

幼い子供が作曲を始めたのも、両親の影響ではない。
ほとんど両親に顧みられることのない子供の心を慰めるために、家庭教師の男性が、目が見えなくても扱えるパソコンと作曲用ソフトを買い与えたことが きっかけ。
音楽教育も受けたことのない未就学児童に 作曲などできるわけがないという世間の疑惑を晴らすために奔走したのも、天才少年の両親ではなく、両親のプロモーションとマネージメントを行なっている事務所の人間だった。
もちろん盲目の少年作曲家の存在が多大な利益を生むと踏んでのことなのだろうが、少年の作曲風景の映像を公開したり、複数の著名人を招いた公の場で、少年に主題を与えて即興曲を作らせるイベントを開催したりして、その疑惑を晴らしたのだ。

少年は、もともと音楽に触れる機会が多く、目が見えない分、音に敏感だったのだろう。
健常者には気付きにくい音の持つ力と その力の使い方に気付いた彼は、生まれて この方 一度も見たことのない光を音で表現することを始めた。
彼が 光への憧れを楽の音に乗せて作った、処女作にしてデビュー曲『光の組曲』は、小品10曲を それぞれ、新進気鋭のピアニスト、ヴァイオリニスト、ギタリスト、ハーピストたちが演奏する形で発表され、目が見える人間たちにも新しい光をもたらしたと、高く評価されることになった。

彼の作った曲が、多くの人間に――特に、絶望の中にいた人々に――感動と希望を もたらしたことは間違いない。
角膜移植でどうにかなるのであれば、幼い作曲家に自らの角膜を提供したいと連絡してきた人間は、一人や二人ではなく、数十人に及んだのだから。
その半数が余命宣告を受けた男女で、彼等の申し出は かなり現実味のあるものだった。
その話を聞きつけたアイバンク協会は、盲目の天才作曲家が 献眼登録の推進に利用できると踏んで、早速 盲目の天才作曲家と接触を持とうとしているらしい。

「今、手術すれば、間違いなく見えるようになります。目が見えるようになれば、小学校も、盲学校ではなく普通学校に入学できるんです。でも、当人が手術を嫌がってるんですよ。目が見えるようになったら、視覚情報に惑わされて、これまで通りに音に鋭敏でいられなくなるのではないかとか、作曲ができなくなって 両親をがっかりさせることになってしまうのではないかとか、そういうことを案じているようです。ですが、そんなことは 案じる必要のないことでしょう。彼が曲を作って稼がなければ、家族が貧するとでもいうのならともかく、区外とはいえ都内に大邸宅を構え、住み込みの使用人を三人も雇って、子供の世話をさせている、間違いなく富裕層。当人は言うに及ばず、いや、当人より親の方が、子供の目が見えるようになったら 嬉しいに決まっている。人の親なら、当然 そのはずだ!」

光が丘病院の眼科主任執刀医は、力強く断言してから、
「私が そう思いたいだけなのかもしれませんが……」
と、一気に語調を弱めた。
盲目の天才作曲家は、1週間前から、検査のために特別室に入院中。
演奏会のために欧州に行っていた両親は、昨々日 半年振りに帰国したのだが、いまだに病院に姿を見せていないのだそうだった。

「それは……」
それは、瞬でも、語調が弱まる事態である。
多忙ではあるのだろうが、“人の親”に、我が子の一生にかかわる問題に優先する重大事があるものだろうか。
重大事などなくても、ずっと家を離れていたのであれば、何を置いても我が子の顔を見たいと思うの人の子の親というものだろう。
消沈した眼科医は、だが、すぐに気を取り直し、再び 気負い込んで 話を始めた。

「芸術家には、凡人には わからない愛情の抱き方があるのかもしれませんから、それはそれとして、いちばんの問題は 手術に乗り気でない当人の方です。瞬先生に、ぜひ 斗音くんを説得してもらいたいんです」
いったい彼は何のために、眼科のある病棟から 本館までやってきて、自分をミーティングルームに連れ込んだのだろうと訝っていたのだが、彼の用件は それだったらしい。
手術を嫌がっている子供の説得。
用件はわかったが、その仕事が自分に依頼される理由が、瞬にはわからなかった。
治療計画の説明や 手術への同意は、主治医もしくは担当医が行ない、求めるものである。

「どうして僕に」
「どうしてと言われて――瞬先生に説得を頼んでみたらどうだろうと提案したら、それはいいアイデアだと、医師も看護師もみんな 賛成してくれましたよ。病院長、診療本部長、看護部長の許可も得ました。天才作曲家の目が見えるようになることを、皆が望んでいるんです。我が院も、アイバンク協会も、彼のファンも。当人以外は、誰もが。ここは、何としても説得しなければ!」
「いえ、ですから、なぜ僕が――」
「瞬先生は、子供に――いえ、誰にでも好かれますからね。天才作曲家は気難しくて、私の話を まともに聞いてくれないんですよ。私が近付いていくと、目が見えていないのに、目を背けるんです」
「はあ……」

盲目の天才作曲家が どんな子供なのかは わからないが、この調子で 担当医に、『手術、手術、手術!』と迫られたら、幼い子供は 確かに恐れ怯むかもしれない。
本音を言えば、瞬も 少々 及び腰になっていた。
ここは どう考えても、主治医でも担当医でもない医師が しゃしゃり出ていっていい場面ではない。
患者にとって 大事なのは、実際に手術を行なう眼科医との間に 信頼を築くこと。
そして、患者の説得は、担当医の意見を聞いた患者の両親が行なうべきことだろう。

「僕、娘を 保育室で預かってもらっているので、今日は これから お迎えに行かなきゃならないんです。その件は、明日以降に」
気負い込む眼科医に そう言って、瞬は 逃げるように 院内保育室に向かったのだった。






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