今日、こんなふうに ナターシャを交えて会う場を設けたのは、カミュに、少しでも楽しい思い出を作ってもらうためだった。
消し去り難い別れの予感。
その時までの短い時間の中で、少しでも楽しい思い出をカミュに作ってやりたいと、氷河は思ったのか。
思い出は、できるもので、作るものではないのに。

氷河の思いと願いを、カミュも感じていただろう。
だからこそ、彼は、氷河とナターシャの前で、終始 穏やかな笑みを絶やさなかった。
氷河のために。
そう遠くない未来に、また氷河を悲しませる自分が悲しいから。

何か未来の話をすればよかった――と、瞬は、今になって後悔したのである。
どんなに ささやかな未来でも、未来の話をすればよかった――と。
氷河とカミュの間に、言ってみれば部外者である自分が割り込み、しゃしゃり出ていくのは避けた方がいいだろうと遠慮して、極力 脇に控えていたが、未来につながる話題の端緒を、二人の間に さりげなく差し出すくらいのことは、自分にもできたはずなのだ。
それが どれほど小さく、他愛のないものであっても――カミュにとっても、氷河にとっても、それは すべての人間が常に心から欲している“希望”というものになり得たはず。
そして、自分はアテナの聖闘士 ――希望の闘士なのに。
胸に後悔の念を抱きながら、瞬は、ナターシャの髪を撫でてやったのである。

その時だった。
一向に眠くなる気配を見せずにいたナターシャの瞳が、一層 輝きを増したのは。
「マーマ! ナターシャは、いいこと思いついたヨ! ナターシャの王子様がパパに意地悪されたら、その時は、おじいちゃんに王子様を守ってもらうことにするヨ。おじいちゃんにお願いするヨ!」
「おじいちゃんに、ナターシャちゃんの王子様を?」

ナターシャのアイディアは、どこまでも斬新。子供らしい柔軟性に満ちている。
瞬の反問に、ナターシャは大きく頷いた。
「そーダヨ! 王子様は おじいちゃんに守ってもらうヨ。それで、王子様に意地悪しちゃ駄目って、マーマにパパを叱ってもらう。ナターシャは、マーマに叱られて しょんぼりしてるパパを慰めてあげるヨ。それで、パパは きっと、マーマの言うことを よく聞く いい子のパパに戻ってくれるヨ!」

王子様はおじいちゃんに守ってもらい、パパはマーマに叱ってもらい、ナターシャはパパを慰める役。
何とも ちゃっかりした役割分担だが、おそらく それが最善の策、最高の適材適所である。
いつか――今から ずっと先の未来に、カミュにも役目が割り振られているところがいい。
「さすがはナターシャちゃん。素敵なアイディアだね。おじいちゃん、すごく 喜ぶよ。きっと、ナターシャちゃんのために、うんと張り切ってくれる」

瞬に褒められたナターシャが笑顔になる。
瞬は もう遠慮はしなかった。
「ナターシャちゃんの素敵なアイディアを氷河とカミュに教えて、褒めてもらおう。今なら まだ、カミュ……おじいちゃんは 氷河のお店にいるだろうから、氷河のスマホに電話すれば掴まえられる。今のうちに、おじいちゃんに 未来の お仕事を頼んでおこう」
「おじいちゃんに、お仕事の予約ダネ !! 」

『ナターシャに重要な仕事を頼まれている。いつか やってくる未来の その時、ナターシャのために大切な仕事をしなければならない』
その一事が、絶望に囚われそうになったカミュに、力を与えることがあるかもしれない。
ナターシャとの約束を守るために、死よりも生を、諦めより希望を選ぼうと思ってくれる時が来るかもしれない――。

ナターシャは、パパと電話で お話するのが大好きである。
今日は その上、おじいちゃんとも お話できるというので うきうきしている。
今度会った時ではなく、たった今すぐ。
カミュに希望を渡すために、瞬はスマホで氷河を呼び出した。






Fin.






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