Raphael






「鬼はそとー。福はうちー。ぱらっぱらっぱらっぱらっ、豆の音ー。鬼はこっそり、逃げていくー」
ナターシャが歌う歌は豆まきの歌だが、今年の節分は 豆まきをしないことになってしまった。
元はといえば、味気のない煎り大豆ではなく、子供が喜んで食するような豆を求めて立ち寄った和菓子店。
そこで、節分用菓子として売られていた”KAWAII 赤鬼さん Part.2”をナターシャが 非常に気に入ったため、今年は豆まき用の豆は購入せず、代わりに“KAWAII 赤鬼さん Part.2”を買って、家に連れ帰ることになったのだった。

道明寺の桜餅を 桜の葉で包まずに、着色成形した練りきりで角や目や口をつけた、可愛らしい桃色の赤鬼さんは、かなりの人気を博しているらしい。
「ご予約の方ですか?」
と尋ねてくる店員さんの背後の棚には、本日 お渡し分の”KAWAII 赤鬼さん Part.2”が入った紙袋が20袋ほど並べられていた。
ショーケースに にっこり笑顔で並んでいる”KAWAII 赤鬼さん Part.2”たちの可憐な佇まいに、ナターシャも 一目で心を奪われ、めでたく(?)今年の豆まき中止が決定したのである。

だからというわけではないだろうが、歌だけは豆まきの歌。
『どんぐりころころ』並みに 簡単で親しみやすい曲だったため、和菓子店で流されていた その曲を、ナターシャはすぐに覚えてしまったのだ。
“KAWAII 赤鬼さん Part.2”をマーマに預け、パパと手を繋いで、歌を歌いながら公園の遊歩道を歩いていたナターシャが、手を繋ぐ相手をパパからマーマに変更したのは、彼女の中に謎が一つ生まれたからだった。
“KAWAII 赤鬼さん Part.2”が、今度は氷河の手に渡る。

ナターシャの中に生まれた謎。
それは、『こっそり逃げていく』まで、鬼はいったいどこにいたのか――という謎だった。
鬼が『外』に『こっそり逃げていく』ためには、鬼は まず 家の中にいる必要があるのではないか。
と、ナターシャは考えたらしい。
「マーマ。鬼さんは、いつもどこにいるの? おうちの中にいるの?」
と、瞬に尋ねてくるナターシャの顔は真剣そのもの。
彼女にとって、それは、何としても解明しなければならない重要問題なのだ。

ナターシャの『なぜなぜ どうして。なんでなの?』は、いつも思いがけない視点で発生する。
可能な限り答えるし、知らないことは 後で調べて説明するようにしているが、瞬が答えに最も悩むのは、この手の風習や民俗学の分野の質問だった。
つまり、答えが“諸説あるもの”。
諸説をすべて説明しても 更なる混乱を招くだけであるし、安易に 諸説のどれか一つを選ぶわけにもいかないのだ。

「んー。昔々の中国では、節分はお年寄りを敬う、敬老の日だったんだよ。昔、死んだ人はみんな、鬼になるって言われてたんだ。お年寄りは、長く生きている分、鬼に近いところにいると思われていて、だから、年の分、ご馳走をたくさん捧げて、お祝いした。『豆』っていうのは、本当は、ご馳走を載せる お皿――お皿に 1本 脚のついた食器のことだったんだよ。それを誰かが、お豆と間違えて 日本に伝えちゃったおかげで、日本の節分は、恐い鬼に豆をぶつけて おうちに来ないでって騒ぐ お祭りになっちゃったんだ」

夏季のお盆には、鬼籍に入った人を迎え火を焚いて迎え、送り火で丁重に送り返していた生者が、冬場には、豆をぶつけて、『家に入るな』と騒ぐのだから、考えてみれば おかしな話である。
相手は、同じ死人、同じ鬼だというのに。
ナターシャは、”KAWAII 赤鬼さん Part.2”と知り合ったばかりだったので、鬼には 至極 好意的だった。

「だったら、ナターシャ、鬼さんは角におリボンをつければいいと思う。そしたら、可愛いから、みんな、恐がらないと思う」
ナターシャは、鬼が 人間に恐がられているのは、赤かったり青かったり 角があったりするからで、悪者だからだとは考えていない。
人間とは姿が違うから悪者なのに違いないと決めつけていないのは、”KAWAII 赤鬼さん Part.2”の可愛らしさの力なのか。
中身がいい人ならば、『見た目は気にすべきではない』とは考えず、『見た目も可愛くすれば、人に受け入れてもらえるはず』と考えるあたり、ナターシャは なかなか現実的だった。

「そうだね。人間は、自分と違うものを区別して、鬼は角があるから悪者だとか、天使は綺麗だから いい人だとか決めつけることが多いね。本当は、鬼さんにだって、優しい鬼さんや気弱な鬼さんがいて、天使にだって、悪い子の天使はいるかもしれないのに。“鬼だから外”は、かわいそうだよね」
キリスト教の悪魔は、元は“悪い子の天使”である。
鬼も 天使も 神ですら、人間の想像力や願望が作ったもの。
人間同様、いい者も悪い者も、強い者も弱い者もいると思った方がいいだろう。
アテナは、その賢明や強さが 人間に愛され望まれる特性だから、強い。
ハーデスは、人間が“死”を恐れているから、強いのだ。
人間は、全知全能の存在にも 絶対善にも なり得ないから、人間が作り出す全知全能の神、絶対善の神は論理的に必ず破綻する。
ナターシャは、その点、思考が柔軟だった。

「えっとね。えっと、ナターシャは、鬼さんが来たら、『ナターシャに意地悪しなかったら、おうちに入れてあげる』って言う」
“鬼だから外”には反対しつつ、だからといって、無条件に鬼を受け入れるわけでもない。
幼い子供の親として、ナターシャの対応は、なかなか安心できるものだった。
「それはいい考えだ。ナターシャに優しくされたら、悪い鬼も いい鬼になるだろう」
パパに褒めてもらって、ナターシャはご機嫌である。
「うふふ」
広い遊歩道に出たので、ナターシャはパパとマーマと手を繋いだ。

「マーマ、天使にも 悪い子がいるノー?」
「いたずらっ子の天使はいるんじゃないかな」
「ナターシャは いい子にしてるヨ」
「心配しなくても、ナターシャちゃんが いい子だってことは よく知ってるよ」
「それで、パパもいい子ダヨ! すごく いい子!」

ナターシャが わざわざ“パパも いい子”アピールに及ぶのは、マーマが『パパは外』と言い出す事態を防ぐためである。
つまり、パパが いつも いい子でいるとは限らないからである。
起きなければならない時刻に起きなかったり、使った食器を片付けなかったり。
ナターシャは時々、パパを起こすために、パパのベッドの上でぴょんぴょん跳ねたり、パパが出しっぱなしにしているグラスを こっそりシンクまで運んであげたりしているのだ。
それもこれも、悪い子のパパが マーマに叱られないようにするため。

日頃、愛するパパの悪い子部分を必死で隠してあげているナターシャの苦労を知っている瞬は、わざと疑うような素振りで、氷河の横顔に視線を投げた。
「氷河が いい子って、ほんとかなぁ……」
瞬の不信に気付いたナターシャが、すぐさまパパの援護にまわる。
「断然 いい子ダヨ! パパはいい子!」
「ナターシャちゃんが そんなに言うなら、氷河も おうちに入れてあげてもいいかなあ」
瞬が態度を和らげる素振りを見せると、ナターシャは安心したように 顔をほころばせた。

「ヨカッター」
「俺の家だぞ。なぜ、俺が入れてもらわなければならんのだ!」
「それは もちろん、ナターシャちゃんのおうちは いい子のおうちだからだよ。ね、ナターシャちゃん」
「ウン。ナターシャとパパの おうちは、いい子のおうちだヨ」

いい子なら、鬼でも入れるが、悪い子なら、家の所有者でも立ち入り禁止。
厳しいルールに、氷河は顔を引きつらせ、いい子のナターシャは余裕の笑顔。
そんな二人を見て、瞬が笑み崩れた時だった。
光が丘公園の遊歩道。
瞬たちの前に立ちふさがり、その行く手を遮る者が現われたのは。






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