2月は1年で最も寒い季節。
摂氏4度は、外で立ち話をするには低すぎる気温である。
アテナの聖闘士たちは ともかく、ナターシャが風邪をひいてしまうかもしれない。
せっかく生和菓子を買ってきたのに、カフェに入ってお茶を飲むのもナンセンス。
以上の事柄を考慮した上での最適かつ最善プランは、『貴仁少年を自宅に招待し、暖かい部屋で、皆で”KAWAII 赤鬼さん Part.2”を食する』だった。

オデカケや ゴショウタイが大好きなナターシャは、一も二もなく大賛成。
自分より年上の(だが、パパより若い)、素敵なお兄さん(しかも、妹思いで優しい)が、ナターシャは 大いに気に入ったらしかった。

客間を兼ねたリビングルームのテーブルの上には、”KAWAII 赤鬼さん Part.2”。
お茶は煎茶。
ナターシャは黒文字の使い方も知っている。
問題は、”KAWAII 赤鬼さん Part.2”が可愛らしすぎて、どこから食べればいいのかが わからないことだった。
「やっぱり、角からカナ。でも、角を折られたら、赤鬼さんは痛いヨネ。ほっぺだって、削られたら痛いに決まってるし、ナターシャ、困っちゃうヨ」

ナターシャが最も困っているのは、それでも、どうしても、”KAWAII 赤鬼さん Part.2”を食べたい――ということだったろう。
散々 悩んだ挙句、最終的に ナターシャは、”KAWAII 赤鬼さん Part.2”の ふっくらしたほっぺから食べ始めることにした。
子供の味覚に合わせた”KAWAII 赤鬼さん Part.2”の顔の中には、甘いアンコと生クリームがたっぷり。
「鬼さん、あま~い!」
一口食べるなり、ナターシャは幸せそうな――もとい、幸せ そのものの笑顔になった。

そんなナターシャを見て、貴仁少年が 子供らしくない溜め息をつく。
「美貴も、ナターシャちゃんくらい 元気で明るかったらよかったのに……」
それは、小学生の子供らしからぬ嘆きだった。


貴仁少年の語るところによると、彼の妹は現在6歳。
本来なら、2ヶ月後――4月になったら、小学校に通い始める歳。通い始めなければならない歳。――のはずだった。
だが、彼女は、幼い頃から ほとんど寝たきりで、幼稚園や保育園に通ったことはなく、集団生活を経験したこともない。
寝たきりと言っても、それは、“ベッドやソファに横になっていることが多く、家の外を歩いたことがない”という意味で、家の中を歩き回る程度の体力はあるし、歩行能力を欠いているわけではない。
春や秋の気候のいい時には、ベランダや庭に出ることも多い。
貴仁少年が、月に二度ほど通ってくる医師に、
「美貴の病気は治らないの?」
と訊いた時には、
「美貴ちゃんは病気じゃないから、治らないんだよ」
という答えが返ってきたのだそうだった。

「僕だって、学校の勉強が大好きなわけじゃないです。でも、学校に行かなかったら、美貴には 友だちもできない。もし 美貴が 本当に学校に行かなかったら、美貴は、大人にならずに 死ぬしかないような気がする。学校には――家の外には、確かに、嫌な奴も意地悪な奴もいるよ。いい人や優しい人ばっかりじゃない。でも、だからって、家の中に閉じこもって、楽しいことも嬉しいことも知らずにいたら、つらいことや 悲しいことも経験せずに ぼんやり生きてたら――それ、生きてる甲斐がないってことでしょう?」

小学生の男の子の悩みの内容が、“妹の人生と生きている甲斐”。
人生に懊悩するには、小学生では早すぎる――などと言うつもりはない。
瞬たちは、今の彼より幼い頃から、人生の過酷も 社会の不公平も 人間の無慈悲も知り尽くし、味わい尽くしていた。
だが、彼には、家があり、その家庭には 自宅に定期的に主治医を呼べるほどの経済力があり――当然、親もいるだろう。
にもかかわらず、小学生の彼が 妹の小学校入学を心配している。
そういった環境が、どういう場合になら あり得るだろう。
瞬には、それが わからなかったのである。

「僕は、美貴は学校行かなきゃならないと思うのに、美貴は 家の外に出たくないって言うんだ。お母さんは『行きたくないなら、行かなくていい』って言う」
「まさか」
やはり親はいるらしい。
そして、ほとんど無意識に、口を 突いて出た疑念の言葉。
貴仁少年は、瞬に 切なげな視線を投げてきた。

「お母さんも、家の外に出たくない病気なんだ。お母さんの病気が美貴に伝染った。だから、お母さんは美貴に学校に行けって言わない。そんなこと言ったら、自分も外に出なきゃならなくなるから」
貴仁少年の妹の病気は、母親のそれが伝染ったもの。
それは どうやら、内科的疾患でも 外科的障害でもないようだった。
「それでも、美貴が学校に行きたいって言えば、行かせてくれると思うんだ。入学式での お母さん役なんて、代わりにやってくれる人を雇えばいいんだし、美貴が学校に行きたいって思いさえすれば……。だから、そのために天使が必要なんです!」

貴仁少年は、妹が学校に行きたいという意欲さえ持てば 問題は解決すると考えているようだった。
主治医の言う、『美貴ちゃんは病気じゃないから、治らないんだよ』という言葉が事実なのであれば、少年の考えは正しいのだろう。
しかし、なぜ そこで“天使”が必要になるのだろう?
瞬には――氷河にも――まさに“話が見えない”状態。
身を乗り出して訴える貴仁少年の勢いに、ナターシャも”KAWAII 赤鬼さん Part.2”を食べる手を止め、ぽかんと貴仁少年の顔を見上げている。
貴仁少年も、自分の説明が不親切なことは わかっているらしい。
一度 唾を呑み込んでから、彼は、順を追って 彼の家庭の事情と これまでの経緯を語り始めた。






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