悲しい幸せ






「しかし、奇妙なメンツだな」
そう言ったのはミロだった。
それは、ミロにしか言えない台詞だったろう。
他の五人(四人と一羽)は、その集団の構成メンバーを“奇妙”と感じ、気付き、思っても、声に出して言うことはできない。
その台詞を口にして、その事実を冗談にすることのできる男は、その場には ミロしかいなかったのだ。

ミロ。そして、シュラ、デスマスク、アフロディーテ、カミュ。フクロウの姿をしたサガ。
その日、開店前のヴィディアムーに集まっていたメンツは、ミロを除けば全員が、十数年前に聖域に降臨したアテナに従わず、当時 青銅聖闘士だった真の“アテナの聖闘士”たちに敗北を喫して 命を落とした者たちだった。
約一名ほど、極東の島国からやってきたアテナが真実のアテナか否か、何が正義で誰が邪悪かなどという事実は、取るに足りない問題と考えていた黄金聖闘士もいることはいたが、『アテナも正義も どうでもいい』と考えている時点で、彼は立派なアテナへの反逆者だったろう。

その“立派なアテナへの反逆者”は 今日も、『アテナも聖域もどうでもいい』という気持ちを隠そうともせず、目に入れても痛くないほど可愛い孫娘を 悪党たちの瘴気から守るべく、自分の隣りに座らせて、ご満悦。
本当は自分の膝の上に座らせたいのだが、バーのテーブル席は あいにく そういう座り方に適していない。
それでなくても四人が座れるコーナーブースに、二人掛けのテーブルをくっつけて、無理に長テーブルを作って集団で盛り上がっている様は、ほとんど居酒屋の様相。
大人の憩いの場であるはずのバーの雰囲気は 完全に消え失せていた。

“奇妙なメンツ”は全員が、この店の店長より年下。なのに、先達。
元アテナへの反逆者。しかし、今は アテナ側の人間。
そして、自分たちが命を奪った相手(うち、一人は自分の師)。
あまりに立ち位置が複雑すぎて、カウンターにいる氷河は、バーを居酒屋にしてくれている不届き者たちに、文句どころか 嫌味の一つも言えずにいた。

ちなみに、この奇妙なメンツが 今日 開店前のヴィディアムーに集まって酒盛りをすることになったのは、氷河の提案や企画によるものではない。
その支払いを瞬に任せようと決めたのは(決めているらしいのは)、瞬ではない。
氷河と瞬のあずかり知らぬところで、いつのまにか、それは決まってしまっていたのだ。

シュラは、今日はバイト要員ではなく 客として来ているので テーブル席。
瞬はカウンター席で、ナターシャが酔っ払いたちに絡まれる事態になったら、すぐに避難させられるよう、態勢を整えていた。
奇妙なメンツたちは、自分の懐が痛むわけではないので(と、勝手に決めていたので)、好きな酒を量のセーブもせずに どんどん重ねている。
もっとも 彼等は、カミュから、
『ナターシャのいるところで、酒臭い息を吐くな!』
という厳命が出ていたため、通常の酔っ払いとは様子が少々――否、かなり――異なっていた。
彼等は、地上の平和を守るために使うべき小宇宙を、アルコールの分解を瞬時に行なうために用いていたのだ。

つまり、今、氷河の店で行なわれているのは、アセトアルデヒドと酢酸の匂いが 呼気として体外に出ないように注意している酒飲みたちによる酒盛り。
アルコールが一瞬で分解されるということは、彼等が酒に酔っていないということなのだが、普段から常時 酔っているようなメンバーたちには、そんなことは大した問題ではないようだった。
彼等は、酒を飲んで、その味を楽しみ、だが 酔わず、酔っていないのに、酔って盛り上がっていた。

“酔う”の定義を問われる酒盛り。
傍迷惑なこと甚だしいが、今は営業時間外。
そのため、氷河は、“他の客への迷惑”を理由に 彼等を店から追い出すこともできずにいたのである。


「ナターシャは、自分のパパは世界一 カッコよくて強いと信じているのだろう? 君は、氷河と喧嘩をした時には、ナターシャの前では わざと負けてやったりするのか?」
『なぜナターシャのいるところで、瞬に そんなことを訊く !? 』と、声には出さずに、氷河がアフロディーテを睨む。
氷河にとっては幸いなことに、カクテルのデコレーション用フルーツの盛り合わせにアイスクリームとホイップクリームを添えた特製アラモードと 一対一の真剣勝負中のナターシャに、ギリシャ語なまりのきついアフロディーテの日本語は 聞き取れていないようだった。
ナターシャを酔っ払いの暴挙から守るために この場に控えていたが、自分が防ぐべきは、むしろ黄金聖闘士同士の喧嘩だったのかもしれないと、氷河とアフロディーテの小宇宙の衝突の余波を 払いのけながら、カウンター席に着いていた瞬は思ったのである。

「僕は、氷河と喧嘩をしたりはしませんよ」
「それは あれか? 一触即発状態になると、“一触”する直前で、氷河が 勝てない喧嘩に挑むことを避けて、さっさと おまえに謝るということか?」
デスマスクが 小馬鹿にした口調で そんなことを言ったのは、実際には そうならないことを、彼が よく知っているからだったろう。
氷河と瞬が一触即発状態になれば、その喧嘩を止めるのは、氷河の理性や分別ではなく、氷河の賢明な娘の制止だということを、デスマスクは知っていた。
彼は、つまり、わざと“ハズレ”の答えを口にして、氷河を揶揄したのだ。

黄金聖闘士のなかでは比較的 素直なミロが、デスマスクの揶揄を言葉通りに受け取り、頭を大きく左右に振る。
「アテナと世界の平和を守るためになら、勝てない相手とわかっていても、たとえ敵が黄金聖闘士でも神でも、決して 怯むことなく挑んでいくのが、青銅聖闘士だった頃の おまえたちの売りだったのに、最初から負け戦を避けるとは、氷河も大人になったものだ」

ミロは氷河を褒めていない。
氷河が大人になったと勝手に推測し、その推測を 勝手に嘆いているだけである。
『氷河が大人になってしまった』が買い被りにすぎないことを知ったら、ミロは嘆くのをやめ、氷河の変わらなさ(=成長の無さ)を喜ぶのだろうか。
おそらく、ミロは喜ぶまい。
逆に、彼の嘆きは、より一層 深いものになっていただろう。
知らぬが仏とは、まさに このことだった。






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