4月初旬と言われて、緑の野原で 色とりどりの春の花が咲き乱れている光景を思い浮かべたりしてはいけませんよ。 ギリシャではそうかもしれませんが、小ルーシで4月といえば、まだまだ 立派な冬。 川も、湖も、海だって、氷が張っています。 でも、例年なら そろそろ、雪の下から フキノトウや待雪草が顔を出す春がやってくる頃。 なので、小ルーシの子供たちは、その時季に、スケートやソリ遊びなどの最後の冬の遊びに興じます。 もうすぐ冬の遊びができなくなりますから、今のうち。 それは、貧しい家の子供たちも 高貴な家の子供たちも変わらない、全く同じ気持ちでした。 その日、小ルーシの王女様――王様の孫娘に当たります――が 女官たちに見守られて、今年最後のスケート遊びに興じていました。 王女様は、瞬より ちょっと年上で、氷河より ちょっと年下。 何不自由なく育てられた普通のお姫様が そうであるように、我儘で おてんばな、ごく普通の王女様です。 王宮をぐるりと囲んでいる お堀の氷は、王女様のスケート遊びのために 綺麗に整備されていました。 でこぼこなんか なくて、まるで磨き抜かれた鏡のよう。 その鏡のような氷の上を、ビロードのドレスの上に毛皮のコートを着た王女様が、すいすいすーい。 綺麗なリンクを一人占めです。 その日は、間違いなく、スケート遊びができる今年最後の日でした。 小ルーシの4月初旬にしては5月のように暖かく、午前中は白く凍っていた氷が、午後になってからは 透き通って お堀の底が見えるようになってきていました。 つまり、厚い氷が 薄くなってきていたのです。 あまりに お陽様が元気なので、さすがに心配になったのでしょう。 王女様を見守っていた王様が、危ないから岸に上がるようにと 王女様に声をかけ、王女様は岸に上がるため、お堀を横切って岸の方に、すいー。 あと一歩で岸に上がれるという場所まで来たところで、その“あと一歩”が、薄くなっていた岸辺の氷を割ってしまったのです。 王女様は その割れ目から お堀の氷の下に落ちてしまいました。 「きゃーっ!」 叫び声を上げたのは、王女様ではなく、お供の女官たちでした。 王女様も声をあげたかもしれませんが、その声は氷の下の水の中に融け込んでしまったようでした。 「誰か! 誰か、姫を助けよ!」 王様が命じても、氷の塊が浮かんでいる お堀の中に飛び込むなんて、女官たちにはできません。 飛び込んだところで、水を吸って重くなったドレスや毛皮ごと、王女様をお堀の中から引き揚げる術を、女官たちは持っていませんでした それは、兵士たちだって同じこと。 王様だって飛び込まなかったんですから、王様に女官たちや兵士たちを責める資格はありませんよね。 「誰か、助けてーっ!」 お堀の氷の下は、冷水ではなく シャーベット状になっていて、王女様の身体は 少しずつシャーベットの中に呑み込まれていっているようでした。 それでも、女官たちは、きゃーきゃーきゃーと 安全な岸辺から叫んでいることしかできません。 そんな女官たちの声は、ですが、何の役にも立たなかったわけではないんですよ。 その声は、お堀の向こう岸を歩いていた氷河と瞬に、王女様のピンチを知らせてくれたのです。 氷河と瞬は二人共、目も耳もよかったですし、海に出て 嵐に出会ったこともあったので、お堀の向こうで何が起こっているのか、自分たちが何をすればいいのかを、すぐに察しました。 「瞬」 「うん」 氷河は、すぐに 岸の反対側から、お堀の氷の上に飛び下り、王女様の周辺の氷をすべて砕いて、氷の下のシャーベットの流れに呑み込まれそうになっていた王女様の身体を掴まえました。 もちろん、氷河も水浸しのシャーベット浸しです。 そんな氷河が空中にのばした腕に巻きつくように、瞬が岸から、重しつきのロープを投げます。 瞬は ちょうど、漁師が荒れた海に投げ出されないように身体を縛りつけておく重しつきのロープを持っていたのです。 ロープの もう一方の端を お堀の岸に立つ白樺の樹の幹に回した瞬は、そこを支点として 梃子の要領で、氷河と王女様の二人を一緒に お堀の岸に引き揚げました。 氷河と瞬の連携プレイは、タイミングばっちり。 多分、女官たちの『誰か、助けてーっ!』の10秒後くらいには もう、氷河と瞬は 王女様を岸に引き揚げていたでしょう。 「王女様っ!」 お堀の岸辺で おろおろしながら、叫び声の大合唱をしているだけだった女官たちが、王女様の周囲に わらわらわらと集まってきます。 「すぐ温めてやれ」 自分だって ずぶ濡れなのに、泣きもせずにそんなことを言う10歳の子供。 けれど、女官たちは驚異の子供に驚いている余裕はありませんでした。 万一 王女様の命が助からなかったら、自分たちが王様に罰を与えられるかもしれません。 女官たちは、王様をさえ その場に放っぽって、大急ぎで、王女様を お城の中に運びこんだのです。 ぐしょ濡れの王女様を抱えた女官たちが お城の中に駆け込んだあとに 残されたのは、王様と 兵士たち。 そして、王女様救出劇を はらはらしながら見守っていた通行人たちだけでした。 通行人たち“だけ”が、結構 多かったのですけれどね。 |