償い






パパが死んでしまったら、どうしよう――と、ナターシャが悩み始めることになったのは、紫龍が商談のために大陸に渡っている時だった。
翔龍の顔を見たいという春麗が紫龍に同行し、蘭子は春分の季節限定のククルカン降臨マヤ文明ツアーに参加するというので、ユカタン半島に旅行中。
星矢チャンには、子守りは論外。
瞬は、交代の調整ができない夜勤。
バーにとっては書き入れ時の金曜の夜。
つまり、他に どうにも都合がつかなくなった氷河と瞬が、ナターシャを城戸邸の魔鈴とジュネに預かってもらった3月後半のある日から、彼女の懊悩は始まったのである。

その日、城戸邸の図書室で、ナターシャは、魔鈴とジュネに、一般人は滅多に お目にかかれない特別製の『灰かぶり姫』の絵本を見せてもらった。
それは、某有名細密画家が描いた、正しく“絵”本で、大判の1ページ1ページが見事な芸術作品。
半世紀ほど前に限定発売されたもので、画家が昨年 亡くなったこともあって、今 オークションに出品すると、複製画であるにもかかわらず、7、80万の値がつくらしい。
その絵本の灰かぶり姫は、ナターシャが これまでに読んだことのあるシンデレラ姫の話と違って、3回も舞踏会に出掛けていく。
最初の夜は 月のドレスと銀の靴で、次の夜は 太陽のドレスと金の靴で、三度目の夜は 星のドレスとガラスの靴で。

綺麗な洋服が大好きなナターシャなら、ドレスのデザイン誌のような その“絵”本を気に入るだろうと考えて、魔鈴たちは、ナターシャに その絵本を見せたのだろう。
魔鈴たちの予想通り、ナターシャは、目が眩むばかりに豪華なドレスの絵3連発に すっかり目と心を奪われてしまった。
確かに 奪われてしまったのだが、それはそれで それとして、それとは別に。

シンデレラ姫のお話で、ずっと気になっていたことを、ナターシャは魔鈴とジュネに尋ねたらしい。
何となく、パパとマーマに訊いてはいけないことのような気がして、訊けずにいたシンデレラ姫の謎。
それは、
「どうして、シンデレラ姫のパパは、継母や意地悪な お姉さんたちが シンデレラ姫に意地悪するのを やめさせなかったの?」
という謎だった。

シンデレラ姫のパパだけではない。
白雪姫のパパも、魔女の継母が 白雪姫を殺そうとするのを 止めようとしない。
白鳥の王子のエリザ姫のパパも、魔女の継母が エリザ姫とエリザ姫のお兄さんたちを お城から追い出すのを許してしまう。
お姫様たちを庇い守ってくれない お姫様のパパたちの怠惰を、ナターシャはずっと不思議に思っていたのだそうだった。

問われた魔鈴とジュネは、子供相手に、『パパが止めても、継母たちは継子いじめをやめないに決まっているから(絵本の作り手は、無駄な描写にページを割かないのだ)』という、身も蓋もない説明をするのは好ましくないと考えた。
そして、自分の娘が いじめられているのを防げない父親や、娘がいじめられている様を見て見ぬ振りをする父親よりは、娘を守ってやりたくても守ってやれない父親――つまり、死んでしまって そうできない父親――の方が、ナターシャには まだ受け入れやすいだろうと考えた。
だから、そう答えてやったのだそうだった。
「お姫様のパパたちは、心のひねくれた継母と結婚したせいで、パパたち自身も いろいろ苦労して、すぐに死んじまったんだろうな。男ってのは、女に比べると しぶとさや生命力が乏しいから、意外とあっさり くたばっちまうもんなんだ」
と。
それは、ナターシャのために告げた言葉だったのだが、魔鈴たちの気遣いは 思い切り裏目に出た。

ナターシャは それまで、パパは強いから、決して死んだりしないのだと思っていた。
だが、パパは男だから、魔鈴やジュネのような しぶとさや生命力を持っていない(らしい)。
だから、パパは意外とあっさり、くたばってしまう(のかもしれない)。
いかにも しぶとく 生命力のありそうな魔鈴やジュネに言われたせいもあって、ナターシャは、『そうに違いない』と、固く信じ込んでしまったのである。


「そんなことがあったんですか……」
事情を知らされて、瞬は、ほっと短い溜め息をついたのである。
それが 安堵の溜め息なのか、前途を憂える溜め息なのかは、瞬自身にも わかっていなかった。
ともあれ、なぜ ナターシャが急にパパの死を恐れ始めたのか、その原因だけは わかった。
原因がわかれば、あとはそれを取り除いてやるだけである。
「まあ、実際、氷河は、しぶとさが足りなくて、生命力旺盛って感じでもないから、ナターシャが心配になるのも仕方ないだろうね。基本的に氷河は 貫禄不足なんだよ」

『それは、魔鈴さんに比べれば、そうでしょうけれど』と言わないだけの分別を、瞬は持ち合わせている。
その分別を持たない星矢なら言ってしまっていただろう言葉を口にせず、瞬は、ナターシャを預かってもらった礼(だけ)を告げて、魔鈴との電話を切ったのだった。






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