未来の記憶






「氷河。気がついた?」
目覚めた俺に そう尋ねてきたのは、瞬と同じくらい澄んだ目をした、瞬と同じくらい綺麗な、だが、瞬ではない誰かだった。
瞬と同じくらい綺麗なんだから、当然 途轍もない美人だ。
それは間違いない。
それは間違いないんだが。

普通の人間が、瞬を、ただの“滅茶苦茶 可愛い子”だの“少女のように可憐な美少女(何だ、そりゃ)”だのと思う(らしい)のは、間近で瞬の目を見たことがないからだ。
間近で瞬の瞳を見たら――あの超純水並みに澄んで美しい瞬の目、澄んでいるのに深くて、温かいのに揺らぎなく、優しいのに力強く 毅然とした瞬の あの目を 間近で見たら――そいつの目が節穴でない限り、瞬が人類史上 唯一無二の奇跡のような存在だってことがわかるはずだ。

俺の名を呼んだ その人の目は、そんな瞬の目に似てた。
本当に よく似てた。
“ほぼ同じ”と言っていいくらい、似てた。
だが、瞬じゃない。
俺の瞬は13歳だが、この人は どう見たって20歳は超えてる。
それに――バトルで負傷して、意識不明になっていた俺が 意識を取り戻したのなら、俺の覚醒に気付いた瞬は もっと はっきり喜ぶはずだ。
こんな抑揚のない声で、『気がついた?』なんて、冷静に確認を入れてきたりしない。
だから、この人は、絶対に瞬じゃない(と、わざわざ 力説するようなことでもないが)。

だが、そうすると。
瞬のそれのように澄んでいる、この人の瞳は どういうことだ。
俺は 俺の瞬を唯一無二の奇跡のような存在だと思っていたんだが、実は そうじゃなかったんだろうか。
奇跡は、もう一つあったんだろうか。
それは、ちょっと嬉しくないな。
事実は事実として受け入れるが、全く嬉しくない。


もう一つの奇跡は、白衣を着てた。
瞬が看護師だったら、危ないくらい可愛いだろうけど、この瞬に似た人は医者みたいだ。
それでも、十分 アブナイ。
医者が こんな綺麗な顔をしてたら、どう考えても まずいだろ。
どう まずいのかは わからないが、とにかく まずい。

そのまずい人は、本当に、俺の瞬が大人になったら こんなふうになるんじゃないかと思うくらい綺麗で――だから、俺は本気で心配になったんだ。
誰かが 勝手に瞬の細胞を使って 瞬のクローンを作るようなことをしたんじゃないだろうか――と。
そして、本物の瞬より早く成長するような何か――成長促進剤を投与するとか――をして、それで、この瞬に似た人ができあがったんじゃないだろうか、と。

瞬のクローンなら、この人が 瞬と同じくらい綺麗なことへの説明がつく。
とはいっても、それは、この人が瞬と同じように 澄んで綺麗な目をしていることの説明にはならないけどな。
まあ、瞬の瞳や心が美しいのは、生まれつきのものじゃないから、瞬と同じような経験をして 瞬と同じような価値観を持つに至れば、瞬と同じように澄み切った瞳の持ち主になることは、瞬以外の人間にだってできないことではないだろう――とは思うが。

う……ん。俺は、何か、ほぼ不可能なことを考えているような気がする。
誰でも、瞬と同じ瞳と心の持ち主になれるなんて、その可能性は、論理的にはゼロではないかもしれないが、現実問題としては不可能なことだ。
ああ、面倒臭い。
難しいことを考えるのは、しばし やめよう。
俺は どうやら、かなり重い怪我を負っていたようだし。
十中八九、意識不明の重体だったんだろう。

ここは病院ではなく、グラードのラボでもなく、城戸邸の一室のようだ。
天井が高い。
刺繍が施された絹が貼られている天井には見覚えがある。
つまり、この瞬に よく似た人は城戸邸にいる――ということだ。
だが、城戸の関係者に こんな人がいた記憶はないし、俺は そんな話を聞いたこともない。
こんな、瞬に匹敵するほど綺麗な人がいたら、噂にならないはずはないのに。
本当に、この人は何者なんだろう。
『あなたは誰ですか』と訊くのは、失礼だろうか。
でも、この人が何者なのかがわからないと、俺は おちおち 自分の身体の心配もしていられないぞ。

訊くべきか。自己紹介を待つべきか。
瞬に似た人の顔を ちらちら盗み見ながら、俺が そんな益体もないことを考えていると、瞬に似た その人は、自分のことじゃなく、俺の症状についての説明を始めてしまった。
ちっ。自分の愚図ぶりに 腹が立つ。

「脳は無傷だったけど、腕と内臓の損傷がひどかったんだよ。氷河、あんまり無茶をしないで。知ってるでしょ。アテナの聖闘士が重い怪我を負うと、色々 大変だってこと。アテナの聖闘士は、回復力が尋常じゃないから、普通の医師には見せられない。常識では考えられない回復力に驚いて、医師や看護師がパニックを起こしちゃうから」
この人は、俺がアテナの聖闘士だってことを知っているようだ。
ということは、この人は 聖域の関係者なのか?
だとしても、自分の名すら名乗らず、俺のことは呼び捨てってのは、礼を失してるんじゃないか?
瞬に似てなかったら、完全無視を決め込むところだ。

「もう歩けると思うけど、氷河は3日間も意識不明だったんだよ。一般人なら出血多量で完全に死んでた。奇跡的に 命を取りとめても、回復に3ヶ月、リハビリに1年かかるくらいの重体」
大袈裟なことを。
そんな大怪我をしたら、いくら俺だって、3日で回復できるわけがない。
十二宮戦のあと――あの時も、俺たちは 一般人なら完全に死んでたくらいの重体で、半月近く ベッドから起き上がれなかったんだ。
3日で回復できたなら、その程度の軽傷。
軽傷でなかったとしても、重体ってほどじゃなく、重傷レベルだったに決まってる。

まあ、それはともかく、そんなことより。
なぜ俺は そんな大怪我を負うことになったのか。
その理由と経緯を思い出せないことの方が問題のような気がするぞ、今の俺は。

敵との戦いで不覚を取って、こういうことになってしまったのか?
だが、誰と戦って?
怪我をしたのは、俺だけか?
瞬たちは どうしてるんだ。
無事なのか?
無事なんだよな?
それとも、瞬たちは、俺ほど重篤じゃないから、普通に病院にいるのか。
えーい、くそ。
俺は やはり ぼけてる。
思考力が戻っていない。
いや、記憶が戻ってこない。

俺の怪我の原因も問題だし、この人が 瞬に似ていることも問題だが、そんなことより、瞬がここにいないことの方が ずっと大きな問題だ。
俺の具合いより、瞬の具合い。
瞬が無事でいるのかどうかの方が、はるかに重要な問題なんだ。

「瞬――星矢たちは?」
『瞬は?』と訊きかけた言葉を、その直前で、俺は『星矢たちは?』に変更した。
『瞬は?』じゃ、他の仲間たちのことは気に掛けていないようで、体裁が悪いからな。
星矢や紫龍のことも、俺は ちゃんと気に掛けてるんだ。
瞬の10分の1くらいは。
瞬のことが いちばん気になるだけで。

「星矢たちは お花見に行ってるよ。すぐそこの隅田公園。ナターシャちゃんも一緒。氷河が倒れてから、ナターシャちゃんは、紫龍と春麗さんに預かってもらってたんだ。氷河は 出張中ってことにして。城戸邸にいると、ナターシャちゃんは きっと氷河を見付けちゃうからね。意識の戻らない氷河を見たら不安がるだろうし、それは避けたかったから。すぐ会いたいだろうけど、ナターシャちゃんを迎えに行くのは、明日の方がいいかもしれないね。どっちにしても、光速移動は駄目だよ。電車か車で。氷河の身体は、光速移動には まだ耐えられないと思う」
「ナターシャ……?」

マーマと同じ名前―― ナターシャというのは、誰のことだ。
そして、春麗が日本に来ているのか?
いや、そんなことより、仲間が意識不明の重体だっていうのに、星矢たちは 花見だと?
ずっと枕元についていられても迷惑だが、花見はないだろう、花見は。
まさか、瞬も 星矢たちと一緒なんじゃないだろうな?
さすがに、それはないか。
俺が重体なのに、あの優しい瞬が花見に興じていたりなんかするはずがない。
だが、だとしたら、瞬はどこにいるんだ。
瞬は無事なのか。






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