この世界のありようを、『大地は、その周囲を 大洋 オケアノスに囲まれている』というべきか、あるいは、『大地は大洋 オケアノスに浮かんでいる』というべきか。 そのどちらも間違ってはおらず、正しいのだろう。 ともかく、世界は 陸地と海とで できているのだ。 そして、陸地は、大きな一つの大陸と 幾つもの小さな島に分けられる。 大陸を ぐるりと囲む大洋は“世界の果て”を意味し、ゆえに、その大洋に浮かぶデスクィーン島は 世界の果ての島(の一つ)ということができた。 デスクィーン島は独立した小さな王国だった。 デスクィーン島は、すなわち、デスクィーン王国。 『独立した小さな王国“だった”』と言ったが、もちろん デスクィーン島は 現在も独立した一つの国である。 一応 そういうことになっている。 今はまだ。 先月、世界の果てにある この王国を治めていた国王が亡くなった。 その後を継いだのは、彼の一人娘であるエスメラルダ王女。 暴君の中の暴君と言われていた父王の許で、自分の意見を口にすることなど許されなかったため、エスメラルダ王女は強く自己主張することのできない、気弱で控えめな少女だった。 エスメラルダ王女の気弱は、母親を早くに亡くしたせいもあったかもしれない。 率直に気持ちを訴えられる人が、彼女の側には一人もいなかったのだ。 父王の死後、他に王の血を引く者がいなかったので、エスメラルダ王女はエスメラルダ女王になった。 デスクィーン島には、彼女の即位に異議を申し立てる者はいなかった――ただの一人もいなかった。 エスメラルダが――彼女だけが――デスクィーン王国の王になる権利を有する人間なのだ。 それは間違いない。 とはいえ。 美しさと優しさと善良――王女としての美質は持ち合わせていても、統率力と決断力と強さ――王としての才は全く持ち合わせていない彼女に、王国を統治することができるのか。 彼女をデスクィーン王国の女王とすることは、むしろ彼女を不幸にし、彼女の国と彼女の国の民をも不幸にすることではないのか。 強権を持つ王の下で、小国ながら独立を保ってきたデスクィーン王国も、ついに大国の一部になる時が来たのではないか――。 と、そんなふうに、気弱な女王に統治されることになったデスクィーン王国の未来を、誰もが危ぶんでいた。 そんな時だったのである。 エティオピア王国の船団が、突然 デスクィーン島の沖に姿を現したのは。 エティオピア王国の船団は、巨大な10隻の帆船から成る、まさに大船団だった。 強力な統率力を持った王が亡くなった途端に やってきた他国の大船団。 それが何のための来訪なのかは、火を見るより明らか。 デスクィーン王国の独立とエスメラルダ女王の命運は風前の灯火と、デスクィーン島の民も、近隣の島の住民も、大洋を行く船を操る者たちも――要するに、エティオピアの巨大船団によるデスクィーン島侵攻(?)を知った ほぼすべての人間が、デスクィーン王国の消滅を予感していた――否、そうなると決めつけていた。 その決めつけを早計ということはできない。 小国デスクィーン王国に比して、エティオピア王国は、それほどの大国だったのだ。 この世界には、三つの大国がある。 北のヒュペルボレイオス、南のエティオピア、中央のギリシャ。 それら三大国の他に、国土は広くないが、一瞬で世界を破壊し尽くすことができるほどの戦力を有する(と言われている)聖域がある。 ヒュペルボレイオスは世界の北の果てにあり、デスクィーン島の侵略を企てるには、本国との間に距離がありすぎる。 ギリシャは 高い文化を誇り、他国を見下しているきらいのある国。世界の果ての小さな島国を、自身の一部とすることを喜ぶとは思えない。 そして、聖域は領土的野心を持たない独特の勢力。 もし デスクィーン島を侵略し自国の領土とする国があるとすれば、それは エティオピアを置いて他にないと言われていた、まさに その国の大船団が、デスクィーン島の沖に姿を現したのだ。 次に何が起こるのかは、子供にもわかる。 デスクィーン島の民は、祖国の運命に戦々恐々。 他国の民は、エティオピアの動向に興味津々だった。 デスクィーン島の沖に現われたエティオピア王国の大船団は、すぐにデスクィーン島に攻め入ってくることはしなかった。 上陸もせず、大船団を沖に停泊させたまま、デスクィーン島のエスメラルダ女王の許に、まずは平和的な使者を送ってきた。 つまり、“宣戦布告”の使者でもなく、“降伏勧告”の使者でもない使者を。 デスクィーン王国の王宮が、宮殿というには あまりにも規模の小さな館なのは、デスクィーン王国の国土の狭さを表わしている。 そして、王宮の規模の小ささに反して、その内装調度が贅を極めているのは、デスクィーン王国の豊かさを示している。 そんな王宮の謁見の間で、エスメラルダは、数人の廷臣と共に エティオピア王の使者を引見した。 エスメラルダの前に進み出たエティオピア王の使者が、定石通りに、王家への弔意を示し、続けて エスメラルダ女王の即位を祝してくる。 そうして 使者は、エティオピア国王が デスクィーン王国の新しい女王との会見を希望している――と言った。 『デスクィーン島の新女王に、ご挨拶 申し上げたい』 そのために、エティオピア国王は 地の果ての この島まで わざわざ出向いて来たという。 船団の旗艦に、何とエティオピア国王 その人が乗っているというのだ。 「エティオピアの王が じきじきに?」 「女王に“ご挨拶”とは、どういう意味だ」 攻めてきた(?)エティオピアの使者は礼儀正しく控えているというのに、攻められている(?)デスクィーン王国側の廷臣たちは礼を失していた。 女王がまだ一言も言葉を発していないというのに、廷臣たちが 女王を差し置いて、勝手に あたふたと慌て始める。 エティオピア王は本気のようだった。 本気で、デスクィーン島を自国の領土にしようとしている。 ――と、デスクィーン王国の廷臣たちは思った。 “ご挨拶”とは、そういう意味なのだと。 会見を拒めば、エティオピア国王は、その無礼を デスクィーン島に攻め込む理由にするだろう。 かといって、エスメラルダとエティオピア国王が直接 会うのは、飢えた虎の前にウサギを放してやるようなものである。 デスクィーン島は人口千人に満たない小国である。 それに比して、エティオピア王国の人口は百万近く、国土の広さも数千倍。 国力の差は歴然としている。 デスクィーン王国の採るべき道(採れる道と言うべきか)は、逍遥としてエティオピアに降るか、抵抗して滅びるか、その二つに一つしかないと言えた。 デスクィーン王国は、小国ではあるが、海上交通の要衝といえる港を持つ、豊かな国である。 大洋を行くすべての船は、北から南に向かう場合も、南から北に向かう場合も 必ずデスクィーン島で食料や燃料の補充を行なうのだ。 デスクィーン島で積荷の売買をする商船も少なくなかった。 デスクィーン島の周囲には、他にも幾つもの島があるのだが、それらの島は いずれも遠浅の浜しか持っていない。 大型船が入ることのできる港を持つ島はデスクィーン島だけ。 そういう意味で、デスクィーン島は地理的にも商業的にも価値ある島ではあった。 エティオピアがデスクィーン島を自国の領土にすることを望むのは不思議なことではないのだ。 不思議なことではないから 受け入れられるかというと、それは全く別の問題だったが。 ある国が他国の支配を受けることになった場合、支配される側の人間は、支配者たちに虐げられるのが常。 王位や王の権力に執着がなくても、自国の民の幸福を願う王は、国の独立を維持しようとするものである。 望んで国の統治者になったわけではないエスメラルダにも、その気持ちはあった。 そのためにできることは何でもしたいという思いもあった。――のだが。 国力の差を考えれば、デスクィーン王国の王とエティオピア王国の王が会見することになった場合、デスクィーン王国の王が エティオピア王国の王を訪ねなければならない。 それが、国家間の外交儀礼だった。 つまり、デスクィーン王国の王とエティオピア王国の王が会見を行なう場合、小国の君主であるエスメラルダ女王が、大国の君主であるエティオピア国王の乗る御座船に向かわなければならないのだ。 牙も爪も持たない非力なウサギが、逃げ場のない虎の穴に、自ら入っていかなければならないのである。 エティオピアの使者が その場を辞し、謁見の間にいるのが自分と自分の侍臣だけになっても、 『そんなこと、恐くて できない』 という思いを言葉にすることさえ、エスメラルダは“恐くてでき”ずにいた。 |