世界人権宣言の第一条に曰く、 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」 続いて、第二条に曰く、 「すべて 人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的 もしくは 社会的出身、財産、門地その他の地位 又は これに類する いかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げる すべての権利と自由とを享有することができる」 東京都の多くの公共施設や駅の壁に 世界人権宣言のポスターが貼られているのも、街中の電光掲示板に その文言が ひっきりなしに映し出されるのも、あらゆる教育機関で その宣言の意味するところを教え、学ぶことが義務付けられているのも、結局は、現実社会では それが ただの理想、綺麗事、絵空事にすぎないからだろう。 理想は理想にすぎず、建前は現実ではない。 現実社会に生きる者たちの多くは、東京都のどこにも“平等”などというものが存在しない現実を知っているし、その現実に慣れてもいるのだ。 当たり前ではないか。 人は平等ではない。 もちろん、人は、決して人種や肌の色や性別などで差別されるべきではないし、差別されない。 そういう意味では、確かに人は平等である。 しかし、人は平等ではないのだ。 人の性質、価値観、品位は、彼(彼女)が今 在る環境に大きく左右されて、低俗にも高雅にもなる。 人は、その人が生きている環境によって、全く違うものになるのだ。 東京都は西部の多摩地域と島嶼部、そして、23の特別区から成っている。 俗に東京23区と呼ばれる都区部を中心とした東京都市圏は、3700万以上の人口を有する 世界最大の都市圏である。 その世界最大の都市圏の頂点に君臨するのは、もちろん、都心三区筆頭の千代田区。 居住者人口、僅か4万。 次に、中央区。居住者人口 約10万。 そして、港区。居住者人口 約18万。 日本国には、貴族も華族も平民も奴隷もいない。そんなものは存在しない。 それでも、日本国東京都は、明確な身分社会だった。 |