ギリシャ聖域近くの小村で、幸せな人生を生きた一人の女性が、その命を終えようとしていた。 夏には まだ間がある、春の終わりが始まった頃。 うとうとと心地良く まどろみながら――まさに、眠るように生を終えることができそうな、優しく晴れた、暖かな午後だった。 彼女が病床に就いたのは、2ヶ月ほど前。 大きな病気などしたことのない彼女のこと、すぐに寝台から起き上がり、また元気に家事を始めるだろう。 誰もが そう信じていたのに、彼女は そのまま床に就いてしまった。 彼女の家族や友人たちは、彼女の明るさや快活のせいで すっかり忘れていたのだが、彼女は まもなく80になろうという高齢。 明るい銀髪に見えている髪は、実は白髪。 彼女の夫は 5年も前に他界しており、この村に彼女より年上の人間はいない。 それは不思議でも何でもないことだったのだ。 彼女は どこかが痛むというのではなく、どこかが苦しいというのでもなく、最期の日に向かって 少しずつ力が失われていっているようだった。 彼女が 最初に床に就いた日から、入れ替わり立ち代わり見舞いに来ていた 親族や友人たち。 こんなにも優しい気持ちになる、暖かく晴れた今日この日、もしかしたら 本当に その時が来るのではないか。 誰ともなく その時の到来を感じ取って、今日は 昼過ぎから 彼女の枕元に、彼女を愛する多くの者たちが集まってきていた。 それぞれ大人になり、自分の家を持った子供たち――娘が1人と2人の息子。 その夫と妻。 孫は ちょうど10人。 村で特に彼女と付き合いの長い友人たち。 彼等は、彼女の病床を囲み、愛する母を、大好きなお祖母ちゃんを、親しい昔馴染みを、不安と気遣いの入り混じった目で見守っていた。 この70年ほど、聖域の周辺は平和だった。 アテナイとスパルタが戦ったコリントス戦争が終結。 マケドニアのアレキサンドロス大王の東征、大王の死後には 彼の後継者争いもあったが、それらは 人と人との争いであり、聖域が関与するような戦いではなかった。 平和な時代。 彼女は 生涯を共にできる人と出会い、結ばれ、子供に恵まれた。 夫を愛し、子供たちを愛し、友人たちを愛し、夫に愛され、子供たちに愛され、友人たちに愛された。 そして、明るく快活なお祖母ちゃんを大好きな孫たち。 誰もが 彼女の人生を幸福なものだったと言うだろう。 彼女自身も、そう認めないわけにはいかないに違いない。 彼女の名はナターシャ。 幸福で恵まれたナターシャ。 だが、誰の人生であっても、どれほど恵まれた人の人生であっても――幸福だけでできている人生などというものは存在しないのだ。 彼女は、実の両親を知らない。 彼女の持つ最も古い記憶は、たった一人で、泣きながら、父を探して 戦場を さまよっていた自分の足の痛み、悲しみ、心細さ。 歳は3、4歳だったろうか。 そんな彼女を戦場の外に連れ出し、安全な居場所、日々の食事、綺麗で清潔な衣服を与え、父になってくれたのが、彼女の養父――彼女のパパだった。 血は繋がっていないが、だからこそ、愛だけで結ばれた父と娘。 大好きなパパ。 彼女の大好きなパパは、聖域のアテナに仕える闘士――聖闘士だった。 世界の平和を守るために命をかけて戦うのが、アテナの聖闘士の務めである。 彼女の大好きなパパは、聖域の聖闘士の中でも最も強い黄金聖闘士で、その上 常に最強の仲間たちが一緒だったので、どんな敵と戦うことになっても、必ず その戦いに勝って ナターシャの許に帰ってきた。 強くて優しくてカッコいいパパが、ナターシャの自慢だったのである。 幸福な時が数年。 彼女の幸福な日々は、彼女が まもなく10歳になろうという頃に、ふいに終わりを告げた。 滅亡の危機に陥った世界を救うために、彼女の大好きなパパは 彼の仲間たちと共に、敵のない戦いに挑むことになった。 命をかけて、彼等は この世界を守り抜いたのだが、それきり彼女のパパと 彼の仲間たちは 彼女の許に帰ってこなかったのだ。 彼女のパパと その仲間たちは、滅びかけていた世界を救った英雄として、永遠に語り継がれる伝説になった。 そして、彼女は 世界を救った英雄の忘れ形見になった。 大好きなパパを失って 一人ぽっちになった彼女を、聖域のアテナや 英雄たちに命を救われた多くの人々が気遣ってくれた。 誰もがナターシャに優しかった。 彼等の優しさを すべてまとめても、パパを失ったナターシャの心の中にできた巨大な空洞を埋め切ることはできなかったが。 彼女のパパは、『必ず生きて帰ってくる』と約束して、仲間たちと共に聖域から旅立った。 世界は救われたのに、パパとパパの仲間たちは帰ってこなかった。 滅びずに済んだ世界と 帰らぬ英雄たち。 その事実を見て、『彼等は世界を守るために自らの命と力を使い切ったのだ』と、聖域の人々は言った。 だが、誰も 彼等の死んだ場所にいたわけではないし、その屍を見たわけでもないのだ。 死は推測にすぎない。 必ず生きて帰ってくると、パパは約束した。 だから、きっとパパは帰ってくる。 そう信じて数年。 生きているなら、帰ってくるはず。 帰ってこないのは、生きていないということなのか。 心のどこかで諦めて、更に数年。 諦めながら、諦めきれずに、数十年。 ナターシャにとって、パパを失ってからの数十年は、パパがいなくても生きていられる自分、パパがいなくても 幸福を感じることさえある自分に驚きながら過ごす日々だった。 長かった その日々も終わる。 パパを失った喪失感、堅く交わした約束を守ってもらえなかった傷心から立ち直るのに、10年近い時間を要した。 生涯の伴侶となる人に出会えなかったら、ナターシャは 今も立ち直れないままでいたかもしれない。 愛する人に出会うことで、ナターシャは立ち直った。 その人と、この村に家を構え、子を成し、育てた。 『幸せだった。ありがとう』と言って先に逝った人の許に行くのだ。恐いことはない。 そこにはパパもいるのだろうか――。 |