キャッチャーとクローバー






どこぞの高校生が163キロの球を投げた。
163キロってのは、もちろん重さじゃないぞ。
速さだ。時速163キロ。
で、その球を受けたキャッチャーの指の皮が、球を受け止めた時の衝撃で裂けてた――とかいうニュースが出まわっていた。
捕球できるキャッチャーがいる程度の球で、いちいち騒ぐんじゃねえよって、正直、俺は思ったんだけどな。

指の皮が裂けたって言ったって、どうせ、たまたま 正面で球を取り損なって ちょっと擦りむいた程度のことなんだ。
163キロの球なんて、フェンスに当たったら、フツーに撥ね返るだけだろ。
当たった場所によっては、フェンスの隙間に めり込んじまう程度。
そんなの全然 大したことない。

その点、俺の投げる球は、金網フェンスを突き破ったこともある。
金網フェンスよりヤワにできてる人の手で、俺の球を まともに受けたら、まじで血を見るぞ。
俺の球は、軽く180キロは出てる。
中学を卒業した頃に――てことは、2年前くらいか――ピッチング練習のできるバッティングセンターで球速を測ったんだけど、俺の球は、あの時点で175キロを超えてたからな。
あの時は、速すぎる俺の球が ピッチングネットを破っちまって、おかげで 俺はそのバッティングセンターを出入り禁止になった。

175キロを超えた俺の球の測定値を、バッティングセンターのスタッフは信じなかったんだ。
出るはずのない175キロの球速が出たことも、破けるはずのないネットが破けたことも、俺が何か質の悪い小細工を弄したからだと決めつけてくれた。
なんで俺が そんなことするんだよ。
そもそも、スピードガンにそんな小細工できるようなアタマは、俺にはねーよ。

まあ、バッティングセンターのスタッフのあんちゃんたちが、俺の出した球速175キロを信じられなかったのは仕方ないことなんだけどな。
人類が野球の硬球で出した最高速度は、アロルディス・チャップマンが、シンシナティ・レッズにいた頃に出した、時速 169.1キロ――ってことになってる。
これは、ギネスブックにも認められた公式な記録だ。
それ以上の速度を、俺みたいなガキに出せるわけがないって決めつけたい気持ちは わかるけどさ。

あの頃は、俺もまだ純真な(?)ただのいたずら坊主だったから、悪さなんかしてないのに悪さをしたって 大人に決めつけられたことにショックを受けた。
そんで、俺は、小細工も悪さもしてないって わめき散らした。
細工なんかしようがない。スピードガンの測定値を信じられないなら、そのスピードガンは故障してるんだって 怒鳴りまくって、しまいには バッティングセンターのオーナーだっていう おっさんまで出てきて、大騒ぎになった。

おかげで、見事に出入り禁止。
あれ以来、俺は、あそこのバッティングセンターは もちろん、それ以外のバッティングセンターにも、足を踏み入れたことがない。
金を払って、あんな腹立つ扱いされるなんて、割に合わないと思うから。
バッティングセンターは、俺には鬼門だ。

あれから2年。
あの時より、俺は背も伸びたし、筋肉も増えた。
今なら 俺は、余裕で180キロ以上の球を投げれてる――はず。
でも、どんなに速い球を投げれても、その球を受けてくれるキャッチャーがいなきゃ 何にもならないんだよな。
俺の球を捕球できるキャッチャーがいなきゃ。

俺は、リトルリーグはチームの奴等のレベルが低くてやってられなくて、入団して3日で やめた。
みんなが恐がって、俺の速球を受けようとしてさえくれなかったんだ。
高校なら、俺の球を受けられる奴がいるかもしれないって期待したけど、そんな奴はいなかった。
ウチのガッコは 野球では結構な強豪校なんだが(偏差値は お粗末だけど)、入学直後の入部テストで 『リトルリーグの経験はない』って言ったら、それだけで軽く見てくれてさ。
投手志望者のピッチングテストで 俺の球を捕球できなかったキャッチャーは、それを俺がノーコンだからだって言いやがった。

んなわけないだろ。ふざけやがって。
俺は、ストライクゾーンのど真ん中にストレートを投げたのに!
つか、俺は それしか投げられないんだ。
あの嘘つきキャッチャーは、手元で球速が増す俺の球に対応しきれなくて、腰がひけて――つまり、俺の球から逃げたんだ。
入部テスト受ける側の俺が 先輩様に、そんなこと言えるわけないけどな。

まあ、どっちにしても、捕球できる奴がいないんじゃ どうにもならないわけで――俺は ピッチャーとしては使い物にならないと言われた。
外野なら、センターの いちばん深いところから ホームまでノーバウンドで投げることもできるけど、俺にできるのは それだけだから、俺に外野は務まらない。
なにしろ 俺は、バッティングが壊滅的に駄目なんだ。
他人の投げる球が とにかく遅く感じられて、いらいらして早めに打ちにいって、ことごとくフライにしちまう。
ファールを量産して、対戦チームのピッチャーを疲れさせることはできるけど、高校野球じゃ、そういうの卑怯だって言われるだけだろうしな。

で、高校の野球部への入部も諦めた。
大学野球に希望を繋ぎたいとこだけど、大学は 家の経済力と俺自身の学力の問題で論外。
こうなったら、プロに行くか、いっそ大リーグに挑戦するしかないんじゃないかと、俺はかなり本気で思ってる。
プロなら、俺の球を捕球できるキャッチャーもいそうじゃん。
でも、俺は高校の野球部には入れなくて、公式試合には出てないから、スカウトなんてのが来てくれるわけもない。
となると、プロテストを受けるしかない。

このプロテストってのが、どこの球団も応募資格が17歳以上(来春高校卒業予定者)以上24歳未満なんだ。
ドラフトが10月だから、どこの球団も プロテストは そのちょっと前の9月にやるらしい。
高校1年2年は 何もできずに過ごしたけど、3年になって、俺は やっとプロテストに挑戦する資格をゲットしたんだ。
4ヶ月後の9月。
ピッチャーができれば、チームはどこでもいいから、俺は片っ端からプロテストを受けてみるつもりだ。

この2年間、俺は、1人で孤独な練習を続けていた。
硬式ボールはいつも持ってる。
とはいえ、高校の野球部に入れないと、学校のグラウンドは使えない。
公園の野球場は、未成年の個人には貸してくれない。
バッティングセンターは出禁だし、先立つものがない。

結局、俺は、公園の人の来ないところで、キャッチャーミット代わりの木の幹に向かって投げ込みを続けるしかなかった。
塀やフェンスに向かって投げると、ボールが当たった塀やフェンスは砕けたり 破けたりするんだけど、木だと、厚みがあるからなのか、簡単にぶっ壊れないんだ。
コンクリートや金網より、木の方が強い。
お釈迦様でも知らない事実なんじゃないだろうか。

俺の投球練習場は、光が丘公園のクスノキ広場の隅の端っこ。
キャッチャーミット代わりのクスノキまで18.5メートル、障害なく投げられる場所があるんだ。
2年間 続けたピッチング練習。
俺が足を踏み込む場所は 草もなくなって、何となくグラウンドのマウンドぽくなってた。
俺は、暇を見つけては そこに出向いて、ほぼ毎日 クスノキに向かって球を投げ込んでたんだ。
ガッコの勉強は単位不足で落第しない程度にこなしてた。

もともと俺はピッチャーをやりたいんであって、野球っていうゲームをやりたいわけじゃないから、公式試合に出られなくても さほど虚しさは感じてなかったんだ。
大して強くも上手くもない(当然、不愉快な)先輩たちの下で、いろいろ我慢しながらチームの一員でいるより、一人で好きなことをしてる方がいい。

まあ、野球友だちが一人もいないってのは不便だったけどな。
180キロは出てると思うんだけど、バッティングセンター出入り禁止の俺はスピードガンで球速を測ってもらうこともできないから。
でも、気に入らない他人と不満を抱えながら付き合ってるよりは、一人の方が断然いいよな。
どのみち 俺は、チームワークより 個人の技量が物を言うプロに行くんだから。






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