元気で活発で外で遊ぶのが大好きな活発なナターシャには、梅雨の季節は試練の季節である。 関東地方は、もう3日も続けて雨降り。 ナターシャは、ずっと室内で、絵本を読んだり、ブロックを組み立てたり、氷河に お馬さんになってもらったりして遊んでいた。 お絵描きもしたし、折り紙で白鳥も折った。 パパと一緒に、新しいミックスジュースのレシピ研究実験もしたし、ネットで夏のお洋服の物色もした。 だが、もう限界である。 週末はパパとマーマとナターシャで公園に行こうと計画していたのに、また雨。 今日もまた、朝から雨なのだ。 「マーマの嘘つき! 一緒に公園に行こうって約束したのに!」 「お天気がよかったらって、言ったでしょう? こんなに冷たい雨が降っている日に、外で遊んでいたら、濡れて風邪をひいちゃうよ」 「デモデモ、今日もお外で遊べなかったら、ナターシャは運動不足で病気になっちゃうヨ!」 十分な睡眠、栄養バランスのとれた食事、適度な運動。 それが健康の三大要素だと、常日頃 言い聞かせていたのが裏目に出た。 室内で、下の階の部屋に迷惑をかけないように 静かに行なうイスの応援団の体操や ぶんばぼん体操だけでは、ナターシャは物足りない。 ナターシャは、全速力で駆けっこをしたいのだ。 両手両脚を思い切り伸ばして、撥ねて跳びまわりたいのだ。 それができないと、ナターシャは 本当に 病気になってしまうような気持ちになるらしかった。 「明日は晴れるそうだから、何とか今日一日だけ 我慢してもらわなきゃ」 普通に聞けば 決意表明だが、瞬のそれは、4分の1が泣き言、4分の1が弱音だった。 ナターシャに家の中にいてもらうために腐心している瞬に、氷河が嘆息で応じる。 「大人は、雨の中、食糧確保のために外に出るのも億劫がるのに」 梅雨の季節に入ってから、マンションの車寄せでネットスーパーの配送車を見掛けることが多くなった。 世の大人たちは、雨空の下、外に出ずに済むのなら一歩も外に出たくないし、実際に出ないのだ。 ナターシャが外に出たいと騒ぐのは、彼女が 大人たちとは違って 怠け者ではなく、何より彼女が健康な証拠だろう。 だが、今日も、夜まで雨は止みそうにない。 ナターシャのパパとマーマは、元気で健康な彼女に、あと1日。何とか あと1日、運動不足を辛抱してもらわなければならなかった。 「世界が水浸しになって困るアニメでも見せるか? 水の中に出るのが嫌になってくれるかもしれん」 「世界が水浸しになって困るアニメ?」 無責任に そんなことを言う氷河の念頭にあるアニメは、当然、『聖闘士星矢 海皇ポセイドン編』だろう。 そういう作中作パラドックスが起きるようなことはやめてほしいと、瞬は思ったのである。 しかし、地球温暖化で南極北極の氷が融け、世界の大陸が水没するようなパニック映画は、ナターシャほどの歳の女の子には少々 刺激が強すぎるだろう。 それで、ワダツミだった頃の記憶が ナターシャの中に蘇りでもしたら、目も当てられない。 瞬が思いついた適切な作品は、ドイツが世界に誇る大文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと、完璧主義者として名を馳せたフランス人作曲家ポール・アブラアム・デュカスがタッグを組んでできた名作だった。 「ゲーテの『魔法使いの弟子』はどう? 未熟な魔法使いの弟子が、魔法を制御できなくなって、家の中を水浸しにしちゃう お話」 「家の中が水浸しになるだけなら、日本沈没ほどには怖くないな。Dズニーの『ファンタジア』の中にあったか」 すっかり幼児向け作品に詳しくなってしまった氷河の口から、すぐに該当の作品のタイトル名が出てくる。 お姫様も王子様も登場しない作品にナターシャが興味を示してくれるかどうか。 それがDズニーの名作アニメへの懸念事項だったのだが、 「水と氷の魔術師のカミュおじいちゃんと、まだ子供だった頃の弟子氷河のお話だと思って観ると、とっても楽しいお話だよ」 という瞬の宣伝広告文に、ナターシャは大いに興味をそそられたらしい。 「パパとおじいちゃんのお話?」 外に出たいと訴えて半泣き状態だったナターシャの瞳から、涙(のようなもの)が瞬時に消える。 “お外より パパ”の法則発動。 ナターシャは、公園に行って遊びたいという気持ちを速やかに放棄し、自分から進んで リビングの長ソファにパパと並んで座ってくれた。 そうして、ナターシャは、めでたく(?)、プロジェクタースクリーンに映し出される子供の頃のパパのアニメの鑑賞に勤しみ始めてくれたのである。 |