いずれにしても、ミコちゃんから これ以上の情報を聞き出すことはできそうにない。
ミコちゃんとミコちゃんのママと氷河の関係を知るには、直接 ミコちゃんのママに当たるしかなさそうだった。
「ミコちゃんのおうちは この近く?」
「あんまり近くないと思う」

ミコちゃんの言葉に 初めて、推測――彼女の判断――が入る。
光が丘公園は、都内で4番目に広い公園である。
代々木公園や上野公園より、はるかに広い。
南側の ふれあいの小径から入って北口まで歩けば、3、4歳の子供には それだけで十分に“遠い”だろう。
東西は、更に距離がある。
ミコちゃんの『近くない』が どれほどの距離を言っているのかは わからないが、ミコちゃんは“近くない”と思える程度には、自分の家の場所を把握しているのだ。
瞬は、そこに行ってみることにした。

「ねえ、ミコちゃん。ママが帰っているかもしれないし、一緒に おうちに帰ろうか。僕を、ミコちゃんのおうちまで連れていってくれる?」
ただの迷子なら、公園のサービスセンターに託すところだが、まがりなりにも氷河の娘。
無関係な他人として放り出す気にはなれない。
ミコちゃんの手を取って、瞬は立ち上がった。
途端に、ナターシャが抗議の声を上げる。

「マーマ! マーマは今日、このあと、パパとナターシャと一緒に けやき広場の どうぶつふれあいフェスティバルに行って、いっぱい動物と触れ合うんダヨ!」
そうすることを、瞬はナターシャと約束していた。
昼間 家にいるパパとは毎日一緒に遊ぶことができるが、パパとマーマとナターシャが三人で外で遊べるのは、マーマがお休みの日だけ。
“三人の日”をナターシャは いつも楽しみにしているし、大切にしている。
それが見知らぬ女の子のせいで“なし”になるなんて。
それは、ナターシャには どうにも合点のいかないことであるらしかった。

ナターシャの気持ちはわかる。
ナターシャは何も悪いことをしていないのに、約束を破ろうとしているのは――悪いのは、マーマのほうなのだ。
だが、人生は、いつも自分の思い通りになるとは限らないもの。
瞬は、ナターシャに、そのことを知ってもらわなければならなかった。

「ねえ、ナターシャちゃん。氷河は、ナターシャちゃんだけのパパだよ」
「そうに決まってるヨ!」
「なのに、ミコちゃんのママは、氷河をミコちゃんのパパだと言って、一緒にいるように言った」
「そんなの、変ダヨ!」
マーマが約束を守らないのも変。
パパがナターシャだけのパパでないことも変。
今日は変なことの連続で、ナターシャは神経が過敏になっているようだった。
声がいつもより高く、上擦っている。

「うん。本当に変だ。変なことが起こっている。何か大変なことが起こって、そのせいで ミコちゃんのママは、ミコちゃんと一緒にいられなくなったんだと思う。危険が迫って、ミコちゃんを その危険に巻き込みたくなかったのかもしれない。氷河と一緒にいれば、氷河がミコちゃんを その危険から守ってくれると思ってくれると思ったのかもしれない。氷河の側にいると、悪者は近寄ってこれないからね」
「パパは、悪者をやっつけるヨ!」
話が、(ナターシャにとって)変でないものになる。
かなり斜めに傾いていたナターシャの機嫌は水平に戻り、上昇し始めたようだった。

「ミコちゃんのママを探して、ミコちゃんのママとミコちゃんに迫っている危険をなくしてあげないと、ミコちゃんは いつまでもミコちゃんのママのところに帰れない。ミコちゃんが、ママのところに帰れるようにしてあげなきゃ」
「困ってる人を助けてあげるのが正義の味方ダヨ」
「うん。だから、ナターシャちゃん。今日の どうぶつふれあいフェスティバルには――」
『氷河と二人で行って』と、瞬は言うことができなかった。
ナターシャは、どうぶつと触れ合うことよりも 正義の味方の務めの方を優先し、それだけなら まだしも、自身も正義の味方として振舞うことにしたらしい。

「ナターシャとパパも一緒に、ミコちゃんのママを探すヨ! ママをたずねて三千里ダヨ!」
「それは……。ナターシャちゃんは、予定通り、氷河と一緒にフェスティバルで動物と遊んでて。ミコちゃんのママは、僕が探すから」
ミコちゃんは、どう考えても ただの迷子ではない。
ただの迷子なら、赤の他人の氷河をパパだと偽ったりするわけがない。
何か特殊な事情があるのだ。
もしかしたら、ナターシャには知られない方がいいような事情が。
瞬は、ミコちゃんの件にナターシャを関わらせたくなかった。
が、ナターシャは首を横に振る。

「どうぶつふれあいフェスティバルは、マーマが一緒じゃないと詰まらないんダヨ。ナターシャは、にゃんこも、わんこも、おさるさんも、ひつじさんも、ポニーも、ライオンも、人食いトラも、暴れ馬も、みんな、マーマの側で いい子になるのを見たかったんダヨ」
ナターシャは、以前 動物園に行った時に見た、気が立っていた猛獣たちが瞬の接近で急に大人しい いい子になる場面の再現を期待していたらしい。
なるほど、瞬がいないと、どうぶつふれあいフェスティバルの楽しみは半減することになる。
「さすがに、人食いトラや暴れ馬は 公園には来ないと思うけど……」
瞬は、ナターシャに笑ってみせてから、どうしたものかと氷河に小声で相談した。

「急に氷河をパパと言われて、素直にそれを信じるってことは、ミコちゃんのお宅はおそらく 母子家庭か、それに類する状態にあるんだと思う。実父か養父のDVから逃げているのかもしれないし、だとしたら、ミコちゃんのママを大々的に探してまわるのは危険かもしれない。借金返済のトラブルの可能性もある。犯罪に巻き込まれて、公園で見掛けた無関係な他人の家をミコちゃんの一時的な避難場所にしようとしたのかもしれない」
何となく思いつくだけでも、色々な状況が考えられる。
しかも、あまり楽しくない可能性ばかり。
思いつくままに 様々な可能性を口にしているうちに、自然に浮かんできた自分自身の溜め息の陰鬱さによって、瞬は それ以上の可能性の考察をやめさせられた。






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